#247 の投稿です。

跋文
 這(コ)ノ両帖(リヤウデフ)ハ、吉田ノ兼好法師、燕居(エンキヨ)ノ日、徒然(ト
 ゼン)トシテ暮ニ向ヒ、筆ヲ染メテ情(ジヨウ)ヲ写スモノナリ。頃(コノゴロ)、泉
 南(センナン)ノ亡羊処士(バウヤウシヨシ)、洛(ラク)ノ草廬(サウロ)ニ箕踞
 (キキヨ)シテ、李老(リラウ)ノ虚無(キヨム)ヲ談(ダン)ジ、荘生(サウセイ)
 ノ自然ヲ説キ、且(カ)ツ、暇日(カジツ)ナルヲ以テ、二三子(ニサンシ)ニ対シ、
 戯(タハム)レニ焉(コレ)ヲ講ズ。加之(シカノミナラズ)、後ニ、将(マサ)ニ、
 書(シヨ)シテ以テ工(コウ)ニ命ジ、梓(アヅサ)ニ鏤(キザ)ミテ、夫(カ)ノ二
 三子ニ付(フ)セントス。越(ココ)ニ、句読(クトウ)・清濁以下(セイダクイ
 ゲ)、予(ヨ)ヲシテ之(コレ)ヲ糾(タダ)サシム。予、坐(ソゾロ)ニ、其ノ志
 (ココロザシ)ヲ好(ヨミ)シ、其ノ醜(シウ)ヲ忘レ、卒(ニハカ)ニ校訂(コウテ
 イ)ヲ加(クハ)フルノミ。復(マタ)、其ノ遺逸(ヰイツ)アランコトヲ恐ルヽナ
 リ。
 
 慶長癸丑(ケイチヤウキチユウ)ノ仲秋(チユウシウ)ノ日黄門(クワウモン)
 
 光広(ミツヒロ)
 
 ※
 この二巻は、吉田の兼好法師が、家でくつろいでいた時、退屈しのぎに、筆を取って思
 い浮かんだ事を書き留めたものだ。近頃、岸和田の三宅寄斎が、都にある草庵でのんび
 りと、老子の虚無について論じたり、荘子の自然を説いたり、かつ、時間があれば、数
 人の弟子に向かって、戯れにこれを講義したそうだ。それだけではなく、後に、正に、
 書物にしようと職人に頼み、版木に刻んで、その弟子たちに与えることにした。より良
 くしようと、句読点・清濁音その他、予め編集していたようだ。私は、何とはなしに、
 その志に共感し、自身の未熟さも忘れ、ただ校訂を加えただけなのだ。それにつけて
 も、その書き洩らしの無さには感嘆するばかりであった。
 
 一六十三年の仲秋の日 中納言
 
 烏丸光広
 
 ※
 「ご隠居はん、これで最後となりました。」
 「うむ。」
 「この最後の文を読んで驚きました。徒然草が現代まで残った事に、私の住んでいる地
 域にゆかりの有る人が関わっていたなんて。」
 「偶然にしても驚きだね。それにしても、よく最後まで続けられたのう。」
 「これも、ご隠居はんのお陰です。一人だったら途中で投げ出していましたよ。お礼申
 し上げます。」
 
 
 亡羊処士:三宅寄斎(1580-1649)のこと。
 http://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%AE%85%E5%AF%84%E6%96%8E
2010/12/26(Sun) 19:55:47

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