週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第二百十八段 狐は人に食ひつくものなり
 狐(キツネ)は人に食ひつくものなり。堀川(ホリカハ)殿にて、舎人(トネリ)が寝
 たる足を狐に食はる。仁和寺(ニンナジ)にて、夜(ヨル)、本寺(ホンジ)の前を通
 る下法師(シモボフシ)に、狐三(ミ)つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀(カタナ)
 を抜きてこれを防ぐ間、狐二疋(ヒキ)を突く。一つは突き殺しぬ。二つは逃げぬ。法
 師は、数多所(アマタトコロ)食はれながら、事故(コトユヱ)なかりけり。
 
 ※
 狐は人を襲うものだ。堀川屋敷では、牛飼が寝ていたところ足を狐に噛まれた。仁和寺
 では、夜、本堂の前を歩いていた坊主が、狐三匹に襲われ噛みつかれたので、刀を抜い
 て撃退しようと、狐二匹を突いた。一匹を突き殺した。二匹は逃げた。坊主は、あちこ
 ち噛まれたが、命に別状は無かったそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、坊主が刀を携帯していて、動物を殺すって...。」
 「そういう時代だからね。時代の雰囲気がよく出てるじゃないか。」
 「そんなもんですかねぇ。」
 「ところでさ、本当に狐だと思うかい。」
 「えっ...もしかして人間ですか。」
 「色々と想像できないかい。」
2010/08/08(Sun)

第二百十七段 或大福長者の云はく
 或大福長者(アルダイフクチヤウジヤ)の云はく、「人は、万(ヨロヅ)をさしおき
 て、ひたふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生けるかひなし。富(ト)めるのみ
 を人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、先づ、その心遣(ココロヅカ)ひを修
 行すべし。その心と云ふは、他の事にあらず。人間常住(ジヤウヂユウ)の思ひに住
 して、仮にも無常を観(クワン)ずる事なかれ。これ、第一の用心なり。次に、万事
 の用を叶(カナ)ふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量(シヨグワンム
 リヤウ)なり。欲に随(シタガ)ひて志を遂げんと思はば、百万の銭ありといふと
 も、暫(シバラ)くも住すべからず。所願(シヨグワン)は止む時なし。財(タカ
 ラ)は尽くる期(ゴ)あり。限りある財をもちて、限りなき願ひに随ふ事、得(ウ)
 べからず。所願心に萌(キザ)す事あらば、我を滅すべき悪念来(アクネンキタ)れ
 りと固く慎(ツツシ)み恐れて、小要(セウエウ)をも為すべからず。次に、銭を奴
 (ヤツコ)の如くして使ひ用ゐる物と知らば、永く貧苦(ヒンク)を免(マヌカ)る
 べからず。君の如く、神の如く畏(オソ)れ尊みて、従へ用ゐる事なかれ。次に、恥
 (ハヂ)に臨むといふとも、怒り恨むる事なかれ。次に、正直(シヤウヂキ)にし
 て、約(ヤク)を固くすべし。この義を守(マボ)りて利を求めん人は、富(トミ)
 の来る事、火の燥(カワ)けるに就(ツ)き、水の下(クダ)れるに随ふが如くなる
 べし。銭積(ツモ)りて尽きざる時は、宴飲(エンイン)・声色(セイシヨク)を事
 (コト)とせず、居所(キヨシヨ)を飾らず、所願を成(ジヤウ)ぜざれども、心と
 こしなへに安く、楽し」と申しき。
 
 そもそも、人は、所願を成ぜんがために、財(ザイ)を求む。銭を財とする事は、願
 ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、全く貧者(ヒ
 ンジヤ)と同じ。何をか楽しびとせん。この掟(オキテ)は、たゞ、人間の望みを断
 ちて、貧を憂(ウレ)ふべからずと聞えたり。欲を成じて楽しびとせんよりは、如
 (シ)かじ、財なからんには。癰(ヨウ)・疽(ソ)を病む者、水に洗ひて楽しびと
 せんよりは、病まざらんには如かじ。こゝに至りては、貧(ヒン)・富分(プワ)く
 所なし。究竟(クキヤウ)は理即(リソク)に等し。大欲(タイヨク)は無欲に似た
 り。
 
 ※
 ある大金持ちが言うには、「人は、とにかく、財産を造るべきだ。貧しくては、生き
 ていたって仕方がない。豊かだからこその人なんだ。財産を造ろうと思えば、とにか
 く、まず、日頃の心がけを身に付ける事だ。その心がけと言うのは、簡単な事だ。人
 生は長いんだ、けっして何時死ぬか分からないなんて思わない事だ。これが、一番大
 事なんだ。次に、全ての欲は叶わない。この世の人々は、誰であれその欲に限りはな
 い。欲望のままに振舞おうとすると、幾らお金があっても、少しも貯まる事は無いだ
 ろう。欲はとめども無い。財産には限りがある。限りがある財産で、限りの無い欲を
 満たす、そんな事ができるわけがない。欲が出たと気づいたら、身を滅ぼす願望だと
 慎重に行動して、少しでも欲望を満たそうとしてはならない。次に、お金を雑に扱え
 ば、何時までも貧乏から抜け出せない。主君や神のように恐れ尊べば、好きなように
 使えない。次に、恥をかいても、怒ったり恨んだりするな。次に、正直に生き、約束
 は守る事。これらの心がけを守って利を求めれば、富める事、乾いたものが燃えるよ
 うに、低きに流れる水のようになる。お金が貯まって無くならなければ、酒宴も女遊
 びもしなくなり、住まいも簡素で、欲を満たさなくても、心はいつまでも平穏で、楽
 しく暮らせる」とのことだった。
 
 そもそも、人というものは、欲望を満たすため、財を得ようとするもんだ。お金を貯
 めようとするのは、望みを叶えるためだ。欲望を満たせず、お金が使えないのなら、
 それは貧乏人と同じじゃないか。何が楽しいのだ。この話は、ただ、人間の望みを断
 ち切って、貧しさを憂うなと言っているように解釈できる。望みの達成を喜ぶより
 も、それに越した事は無い、お金の無い者にとってもね。腫れ物ができた者が、水で
 冷やして気持ち良くなるよりも、腫れ物ができないほうがよい。ここまでくると、貧
 者と富者に違いは無い。悟りを開いた者も開かない者も同じ。欲が多くても少なくて
 も似たようなもんさ。
 
 ※
 「ご隠居はん、まぁまぁ兼好さん極端すぎやしませんか。と、言いたくなります。」
 「そうそう、大金持ちさん極端すぎはしませんか。と、兼好さんも言いたかったん
 だろうね。」
 「それがちょっと行き過ぎて、ですか。」
 「無常観を否定されてカチンときたんじゃないのかなぁ。」
 「腫れ物ができないほうがいいという意味では、金持ちも貧乏人も究竟も理即も欲張
 りも無欲な奴も同じなんて。。。」
2010/07/31(Sat)

第二百十六段 最明寺入道
 最明寺入道(サイミヤウジノニフダウ)、鶴岡(ツルガヲカ)の社参(シヤサン)の次
 (ツイデ)に、足利左馬入道(アシカガノサマノスケノ)の許(モト)へ、先づ使(ツ
 カヒ)を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様(ヤウ)、一献
 (イツコン)に打ち鮑(アハビ)、二献(ニコン)に海老、三献(サンコン)にかいも
 ちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨(リユウベン)僧正、主方(アルジカ
 タ)の人にて座(ザ)せられけり。さて、「年毎に給はる足利の染物(ソメモノ)、心
 もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女房
 どもに小袖(コソデ)に調(テウ)ぜさせて、後に遣されけり。
 
 その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。
 
 ※
 最明寺入道は、鶴岡八幡宮を参拝した後、足利左馬入道の許へ、先に使いを遣り、立ち
 寄られたところ、主は準備を整えて、最初は打ち鮑、次に海老、最後は掻い餅でもてな
 してくれた。その座には、主夫婦、隆辨僧正が主側の人として座についていた。さて、
 「毎年頂いている足利の染物ですが、いつも楽しみにしております」と伝えたところ、
 「用意しております」と、色々な染物三十反、取り揃え、女中たちによって小袖に仕立
 てられたものが、後日送り届けられた。
 
 その光景を見ていた人が、最近まで生きていて、話してくれた事なんだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、夏休みに帰省するなら、何時から何時まで居るのか、メシは要るのか要
 らないのか予定をちゃんと伝えないといけません。実家も準備に気をもむのです。」
 「地位が高い人でも、たとえ相手が親戚でも、気儘に振舞わないということだね。」
 
 足利左馬入道:足利義氏(1189-1255)のこと。初代執権時政の娘の子。
        時頼からすれば祖父ぐらいの年代。
2010/07/24(Sat)

第二百十五段 平宣時朝臣
 平宣時朝臣(タヒラノノブトキアツソン)、老(オイ)の後、昔語(ムカシガタリ)
 に、「最明寺入道(サイミヤウジノニフダウ)、或宵(アルヨヒ)の間(マ)に呼ば
 るゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ヒタタレ)のなくてとかくせしほど
 に、また、使(ツカヒ)来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様(コトヤ
 ウ)なりとも、疾(ト)く』とありしかば、萎(ナ)えたる直垂、うちうちのまゝにて
 罷(マカ)りたりしに、銚子(テウシ)に土器(カハラケ)取り添(ソ)へて持て出で
 て、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴(サカナ)こそな
 けれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしか
 ば、紙燭(シソク)さして、隈々(クマグマ)を求めし程に、台所の棚に、小土器に味
 噌(ミソ)の少し附きたるを見出(ミイ)でて、『これぞ求め得て候ふ』と申ししか
 ば、『事(コト)足りなん』とて、心よく数献(スコン)に及びて、興(キョウ)に入
 られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか」と申されき。
 
 ※
 平宣時朝臣が、後年、語ったところによると、「最明寺入道からの、ある宵の頃の呼び
 出しに、『すぐに』と答えながら、直垂を着直そうとしていると、また、使いがやって
 来て、『直垂などどうでもよい。夜だから、かまわぬ、急げ』と言われ、よれよれの直
 垂だったが、そのままの格好で参ったところ、銚子と盃を両手に持って現れ、『酒を一
 人で飲むのもさびしいので、呼んだんだ。肴は無いが、皆寝静まっている、何かない
 か、何処からか探して来てくれまいか』とのこと、明りを片手に、隅々まで探している
 と、台所の棚で、小皿に味噌が少し有るのを見つけて、『こんな物しか有りませんでし
 た』と差し出すと、『それで十分』と、機嫌良く何杯も飲まれ、楽しい時を過ごされ
 た。あの頃は、こんな事もあったのだよ」ということだった。
 
 ※
 「ご隠居はん、トップは孤独ですね。」
 「今も変わらんね。」
 「それにしても他国のトップに比べて、なんとも質素ですよね。」
 「第百八十四段の母の育て方の通りだね。」
 「国を治めるのは倹約からですか。」
 
 第百八十四段 相模守時頼の母は
 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=19#187
 
 平宣時:北条宣時(1238-1323)の事。朝臣とは敬称の様なもので、名の後に付けるの
     は四位の人、姓の後なら三位以上だそうです。
 最明寺入道:北条時頼(1227-1263)の事。1246-1256まで執権。
2010/07/17(Sat)

第二百十四段 想夫恋といふ楽は
 想夫恋(サウフレン)といふ楽(ガク)は、女(ヲンナ)、男(ヲトコ)を恋(コ)ふ
 る故の名にはあらず、本(モト)は相府蓮(サウフレン)、文字(モンジ)の通へるな
 り。晋(シン)の王倹(ワウケン)、大臣(ダイジン)として、家に蓮(ハチス)を植
 ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府(レンプ)といふ。
 
 廻忽(クワイコツ)も廻鶻(クワイコツ)なり。廻鶻国とて、夷(エビス)のこはき国
 あり。その夷、漢(カン)に伏(フク)して後に、来りて、己れが国の楽を奏せしな
 り。
 
 ※
 想夫恋という楽曲は、女が、男に恋した事にちなんだものではない、もとは相府蓮と書
 いたけど、当て字の方が知られている。晋の王倹と言う人が、大臣の頃、家に蓮を植え
 て愛でたという楽曲なんだ。ここより、大臣の邸宅の事を蓮府と呼ぶようになった。
 
 廻忽という曲も廻鶻が正しい。廻鶻国と言う、未開の野蛮な国がある。その国が、漢の
 支配下に入った後、都にやって来て、自国の楽曲を演奏したのが始まりだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、未曾有=みぞうゆ、みたいなものですか。」
 「いやいや、それはある意味有名だけど、定着してないだろ。」
 「そうですか、では、喧喧諤諤みたいなものですか。」
 「それもちょっと違うけれど...」
2010/07/10(Sat)

第二百十三段 御前の火炉に火を置く時は
 御前(ゴゼン)の火炉(クワロ)に火を置く時は、火箸(ヒバシ)して挟(ハサ)む事
 なし。土器(カハラケ)より直(タダ)ちに移すべし。されば、転(コロ)び落ちぬや
 うに心得て、炭を積(ツ)むべきなり。
 
 八幡(ヤハタ)の御幸(ゴカウ)に、供奉(グブ)の人、浄衣(ジヤウエ)を着て、手
 にて炭をさゝれければ、或有職(アルイウシヨク)の人、「白き物を着たる日は、火箸
 を用ゐる、苦しからず」と申されけり。
 
 ※
 貴人の火鉢に火を置く時は、火箸で挟んではならない。器から直に移すべきだ。だか
 ら、転がり落ちないように気をつけて、炭を積んでおく事。
 
 八幡宮への御幸に、供された人が、白い衣を着て、炭を移していると、ある物知りが、
 「白い着物の時は、火箸を使っても、構わないよ」とおっしゃった。
 
 ※
 「ご隠居はん、どういう事なのか、なぜこんな作法があるのか、さっぱりわかりませ
 ん。」
 「当時の人だって分かってなかったから、この段があるのだろうね。」
 「意味が知りたいものです。」
2010/07/03(Sat)

第二百十二段 秋の月は
 秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざ
 らん人は、無下(ムゲ)に心うかるべき事なり。
 
 ※
 秋の月は、この上なく美しい。何時の月でも同じだなんて、思っているような人には、
 ご同情申し上げる。
 
 ※
 「ご隠居はん、風流を解さない人、現代なら月を見上げるゆとりも無い人ってところで
 しょうか。」
 「わしなんかゆとりだらけだから毎日月を見ておるよ。そうしているとたまに不思議な
 光の球が右から左へ飛んで行ってパッと弾けて消えたりするんじゃ。」
 「・・・」
 「それぐらいの心のゆとりを持たないとね。はっはっはっ。」
2010/07/03(Sat)

第二百十一段 万の事は頼むべからず
 万(ヨロヅ)の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒(イ
 カ)る事あり。勢(イキホ)ひありとて、頼むべからず。こはき者先(マ)づ滅ぶ。財
 (タカラ)多しとて、頼むべからず。時の間(マ)に失ひ易し。才(ザエ)ありとて、
 頼むべからず。孔子も時に遇(ア)はず。徳ありとて、頼むべからず。顔回(グワンカ
 イ)も不幸なりき。君(キミ)の寵(チョウ)をも頼むべからず。誅(チウ)を受くる
 事速(スミヤ)かなり。奴(ヤツコ)従へりとて、頼むべからず。背(ソム)き走る事
 あり。人の志(ココロザシ)をも頼むべからず。必ず変(ヘン)ず。約(ヤク)をも頼
 むべからず。信(シン)ある事少し。
 
 身をも人をも頼まざれば、是(ゼ)なる時は喜び、非(ヒ)なる時は恨みず。左右(サ
 ウ)広ければ、障(サハ)らず、前後遠(ゼンゴトホ)ければ、塞(フサ)がらず。狭
 (セバ)き時は拉(ヒシ)げ砕(クダ)く。心を用ゐる事少(スコ)しきにして厳(キ
 ビ)しき時は、物に逆(サカ)ひ、争ひて破る。緩(ユル)くして柔(ヤハラ)かなる
 時は、一毛(イチマウ)も損せず。
 
 人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の性(シヤウ)、何ぞ異(コト)ならん。寛
 大(クワンダイ)にして極まらざる時は、喜怒(キド)これに障らずして、物のために
 煩(ワヅラ)はず。
 
 ※
 何事も人を当てにしてはならない。
 愚かな人は、信頼しすぎるため、恨み、怒る事になる。
 勢いがあるからと、期待してはならない。盛れば必ず衰える。
 資金があるからと、依存してはならない。あっという間に失う事がある。
 才能があるからと、期待してはならない。孔子も好機を得なかった。
 徳があるからと、期待してはならない。顔回も不幸であった。
 主君の寵愛に、油断してはならない。いつ誅されるかわからない。
 家来が従っているからと、油断してはならない。いつ背いて逃げるかわからない。
 人の志をも信じてはならない。必ず曲がる。
 約束したからと安心してはならない。守られる事は少ないからだ。
 
 おのれも他人も頼りにしなければ、良い時は喜び、ダメな時は人を怨まずに済む。
 考えに幅があれば、妨げにならず、柔軟であれば、行き詰まらない。
 狭量は可能性をつぶす。
 思いやりがない厳しさは、反抗心を生み、いさかいが起こり失敗する。
 緩やかで甘くなると、不毛となる。
 
 人は天地の申し子なのだ。天地に妨げるものは無い。人の心も、当然異ならない。思い
 やりがあり余裕を持つと、感情が妨げにならず、物事に悩む事も無い。
 
 ※
 「ご隠居はん、まるで社会の出来事そのものです。」
 「思い当るところは多いね。」
 「でも、これを全て実践できるようではリーダーにはなれませんね。」
 「確かに、世捨て人だから言えるのかもしれない。」
2010/06/26(Sat)

第二百十段 喚子鳥は春のものなり
 「喚子鳥(ヨブコドリ)は春のものなり」とばかり言ひて、如何(イカ)なる鳥ともさ
 だかに記せる物なし。或真言(アルシンゴン)書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂(セウコ
 ン)の法をば行ふ次第(シダイ)あり。これは鵺(ヌエ)なり。万葉集の長歌(ナガウ
 タ)に、「霞(カスミ)立つ、長き春日(ハルヒ)の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥の
 ことざまに通(カヨ)いて聞(キコ)ゆ。
 
 ※
 「喚子鳥は春の鳥だよ」と言われているだけで、どんな鳥なのか記された書物は無い。
 ある真言の書物の中に、喚子鳥が鳴いた時に、死者の魂を呼び招く法を行うと書かれて
 いる。これは鵺の事だ。万葉集の長歌に、「霞立つ、長き春日の、暮れにける、別きも
 知らずむらきもの、心を痛み、鵺子鳥・・・」などと続けている。鵺の鳥も喚子鳥と同
 じように思えるな。
 
 ※
 「ご隠居はん、その鳥は鵺だ、といきなり言われても。」
 「鵺は実在したんだね。」
 「じゃぁ招魂の法も...」
 「それはどうだろうか。」
 「喚子鳥は伝説の鳥みたいなものですか。」
 「伝説の鳥と言えば、火の鳥、不死鳥。」
 「それに八咫烏。」
 「おぉそういえば今晩オランダに勝つだろうか。」
 
 
 喚子鳥:呼子鳥は春の季語。郭公(かっこう)は別名呼子鳥ともいうが夏の季語。
 鵺:現代ではトラツグミのことで夏の季語。鵼子鳥とも。
   平家物語で退治される怪物も鵺。鵺の鳴く夜は恐ろしいと言えば映画悪霊島。
2010/06/19(Sat)

第二百九段 人の田を論ずる者
 人の田を論ずる者、訴(ウツタ)へに負けて、ねたさに、「その田を刈(カ)りて取
 れ」とて、人を遣(ツカハ)しけるに、先(マ)づ、道すがらの田をさへ刈りもて行く
 を、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その
 所とても刈るべき理なけれども、僻事(ヒガコト)せんとて罷(マカ)る者なれば、い
 づくをか刈らざらん」とぞ言ひける。
 
 理、いとをかしかりけり。
 
 ※
 田の所有権を争っていた者が、訴訟に敗れて、その腹いせに、「その田を刈り取ってし
 まえ。」と、人を向かわせたところ、手始めに、途中にある他の田を刈り始めたので、
 「それは頼んだ田ではないだろ。何をしているのだ。」と言ったところ、刈っていた者
 共は、「その田だって刈っていい訳は無い、悪事を働こうとするのだから、何処を刈っ
 ても同じだろ。」と言い返した。
 
 理屈としては、全くその通りだけれどね。
 
 ※
 「ご隠居はん、悪事を働くと、それぞれの思惑を持った者が集まって来るってことはよ
 くあるものです。」
 「えっ、悪事を働いたのかい。」
 「いえいえ、あくまでも他人の話ですよ。」
 「まぁ上には上がいるもんだからね。」
2010/06/12(Sat)

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