週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

TopPageへ   ご意見ご感想はありおーにゆ〜たるまで。   RSS2.0

最新  24 23 22 21 20.. 10.. ページ

21 ページ 10 段分です。


第二百八段 経文などの紐を結ふに
 経文(キヤウモン)などの紐(ヒモ)を結ふに、上下(カミシモ)よりたすきに交(チ
 ガ)へて、二筋(フタスヂ)の中よりわなの頭(カシラ)を横様(ヨコサマ)に引き出
 (イダ)す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜(ケゴンインノコウシ
 ユン)僧正、解(ト)きて直させけり。「これは、この比様(ゴロヤウ)の事なり。い
 とにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、上より下へ、わなの先を挟(サシ
 ハサ)むべし」と申されけり。
 
 古き人にて、かやうの事知れる人になん侍りける。
 
 ※
 経文などの紐を結ぶ時、上下からたすき掛けに巻いて、できた二筋の中より輪の頭を横
 から引き出すというやり方は、最近のやり方だ。そうしていたのを見とがめた、華厳院
 弘舜僧正は、解いて直させた。「これは、この頃の流行りなのか。見苦しいものだ。正
 しくは、ただ、くるくると巻いて、上から下へ、輪の先を挟むだけだ」とおっしゃっ
 た。
 
 古事に通じている人だから、こういう事も御存じなのだろうな。
 
 ※
 「ご隠居はん、調べてみたところ現在とは違うようです。」
 「何がかな。」
 「巻物の結び方です。」
 「そんなことかね。」
 「え、やめときますか。」
 「まぁ続けなさいな。」
 「え...これが兼好さんの頃の流行りの結び方です。タスキ掛けに巻いて二筋を作り、
 先端に輪を作って横へ通す。」
 
 「次が現在推奨されている巻き方。」
 
 「そして、僧正の言うように巻くとこうなります。」
 
 「なんか最後のは汚いなぁ。」
 「紐によっては目立ちませんよ。それに一番簡単ですから合理的といえます。」
 「とにかく、時を経ると何でも形式ばって来るってことかな。」
 
 ※巻き方については、あくまでありおーの推測です。
2010/06/05(Sat)

第二百七段 亀山殿建てられんとて地を引かれけるに
 亀山殿(カメヤマドノ)建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇(クチナハ)、
 数も知らず凝(コ)り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由(ヨ
 シ)を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問(チヨクモン)ありけるに、「古くより
 この地を占(シ)めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人(ミナヒト)申
 されけるに、この大臣(オトド)、一人、「王土(ワウド)にをらん虫、皇居(クワウ
 キヨ)を建てられんに、何の祟(タタ)りをかなすべき。鬼神(キシン)はよこしまな
 し。咎(トガ)むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩(ク
 ヅ)して、蛇をば大井河に流してンげり。
 
 さらに祟りなかりけり。
 
 ※
 嵯峨の亀山に御所を造営しようと地割をしていると、大きなヘビが、数え切れないほど
 集まり塚のようになっていた。「この土地の主ではないか」と思い、事情を報告する
 と、「どうするのがよいか」と勅問が下ったので、「古くからこの地の主であるのだか
 ら、簡単に捨てるわけにもいかない」と皆で話し合っていると、徳大寺実基、ただ一
 人、「天皇の治めたる土地にいるヘビが、皇居を建てようとする事に、何の祟りをもた
 らすのだ。鬼神にも道理はある。気にすることはない。すべて取って捨ててしまえ。」
 と言い、塚を崩して、ヘビを大井河へ投げ捨てた。
 
 これでも祟りは無かったのだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、牛に分別は無いが、鬼神に道理ありですか。」
 「何をするにも皆が安心する理由が必要ってことだよ。」
 「人の上に立つ者は常にそういう事を考えておけと。」
 「そうそう。」
 「リーダーとしての心構えはそれでいいとして、何時も出てくる下々の者は何でいつも
 こう情けないのでしょうか。」
 「それは、何かあった時の責任を取りたくないという思いがあるからじゃないかな。」
 「なるほど、そう言う時は合理的に物事が判断できないという事ですね。」
 「だからこそリーダーシップが必要なのだよ。」
2010/05/29(Sat)

第二百六段 徳大寺故大臣殿
 徳大寺故大臣殿(トクダイジノコオホイトノ)、検非違使(ケンビヰシ)の別当(ベツ
 タウ)の時、中門にて使庁(シチヤウ)の評定(ヒヤウジヤウ)行はれける程(ホド)
 に、官人章兼(クワンニンアキカネ)が牛放れて、庁の内へ入りて、大理(ダイリ)の
 座(ザ)の浜床(ハマユカ)の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異
 (ケイ)なりとて、牛を陰陽師(オンヤウジ)の許(モト)へ遣すべきよし、各々(オ
 ノオノ)申しけるを、父の相国(シヤウコク)聞き給ひて、「牛に分別(フンベツ)な
 し。足あれば、いづくへか登らざらん。尫弱(ワウジヤク)の官人、たまたま出仕(シ
 ユツシ)の微牛(ビギウ)を取らるべきやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したり
 ける畳をば換へられにけり。あへて凶事(キヤウジ)なかりけるとなん。
 
 「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。
 
 ※
 故徳大寺大臣殿が、検非違使長官の時代、中門にある庁舎で会議が開かれていた時の
 事、官僚章兼の牛が逃げ出し、庁舎の中へ入り、長官の座に登って、反芻しながら横に
 なった。これは怪異に違いないと、牛を陰陽師の許に連れてゆくべきだ、みんながそう
 話しているのを、父の相国が聞いていて、「牛に分別があるわけがない。足があるのだ
 から、何処へでも行くだろう。下級の官僚が、たまたま出勤に使った痩せ牛を取り上げ
 る理由は無い」として、牛を持ち主に返して、横になっていた畳の方を換えられた。あ
 えて凶事を無かったことにした。
 
 「怪しいものを見ても怪しまないようにすれば、怪しくなくなる」と言うからな。
 
 ※
 「ご隠居はん、今は火の無い所に煙をたてて怪しくない物まで怪しくしますからね」
 「そうだね、度量の無い者ばかりだからね。」
 「このお話も畳の張替で済んだからいいですけど、噛まれたとかだとまた話は違ってき
 ますね。」
 「そりゃそうでしょ。」
 
 徳大寺大臣:藤原公孝(1253-1305)1302-04年に太政大臣。
 父の相国:徳大寺実基(1194-1265)1253-54年に太政大臣。
 え...本当に親子なのか?
 
 十段の徳大寺実定は実基の祖父
 第十段 家居のつきづきしく
 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=1#10
 
 公孝は二度目の登場。
 第二十三段 衰へたる末の世とはいへど
 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=3#23
2010/05/22(Sat)

第二百五段 比叡山に
 比叡山(ヒエノヤマ)に、大師勧請(ダイシクワンジヤウ)の起請(キシヤウ)といふ
 事は、慈恵僧正(ジヱソウジヤウ)書き始め給ひけるなり。起請文といふ事、法曹(ハ
 ウサウ)にはその沙汰なし。古(イニシヘ)の聖代、すべて、起請文につきて行はるゝ
 政(マツリゴト)はなきを、近代、この事流布(ルフ)したるなり。
 
 また、法令(ハフリヤウ)には、水火に穢(ケガ)れを立てず。入物(イレモノ)には
 穢れあるべし。
 
 ※
 比叡山において、最澄の霊に起請するという慣わしは、慈恵僧正の頃に始まった。起請
 文というものは、法令上なんの決まりも無い。古より、今日まで、起請文をもって行わ
 れる政策など無かったのに、近年、こんなやり方が流行り出した。
 
 また、法令では、水火は穢れとは無関係。入れ物には穢れがあるね。
 
 ※
 「ご隠居はん、首相の言葉にも起請文が必要ですね。」
 「神じゃなく宇宙人のかい。」
 「それじゃぁ意味無いじゃないですか。」
 「しかし最澄だって嫌がるだろう。」
 「じゃぁ宇宙人なら喜んでってことですか。」
 「まぁ冗談は置いといて、本来は誓った相手を汚さない覚悟の表明ってところなんだろ
 うね。」
 「身命を賭して、職を賭してが軽くなっちゃいましたからね。」
2010/05/15(Sat)

第二百四段 犯人を笞にて打つ時は
 犯人(ボンニン)を笞(シモト)にて打つ時は、拷器(ガウキ)に寄せて結ひ附くるな
 り。拷器の様(ヤウ)も、寄する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。
 
 ※
 容疑者をムチで打つ時は、拷問器具に引き寄せて結び付けるのだ。拷問器具の使い方
 も、引き寄せる方法も、今では、理解している人はいない。
 
 ※
 「ご隠居はん、あくまでも拷問ですから、刑罰ではなく取り調べです。ですから容疑者
 としました。」
 「そんな事にこだわらなくても...。」
 「知る者がいないという事は、兼好さんの頃にはもう無かったのでしょうか。」
 「無かったんだろうね。ただ、憎い相手がいると『拷器にかけたい奴』とか言ってたか
 もしれないね。」
2010/05/08(Sat)

第二百三段 勅勘の所に靫懸くる作法
 勅勘(チヨクカン)の所に靫(ユキ)懸くる作法(サホフ)、今は絶えて、知れる人な
 し。主上(シユシヤウ)の御悩(ゴナウ)、大方、世中(ヨノナカ)の騒がしき時は、
 五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬(クラマ)に靫の明神(ミヤウジン)といふも、靫懸
 けられたりける神なり。看督長(カドノヲサ)の負(オ)ひたる靫をその家に懸けられ
 ぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封を著(ツ)くることになりに
 けり。
 
 ※
 勅勘を受けた家の門に靫を掛ける慣わしは、今は絶えてしまい、知っている人はもうい
 ない。天皇のご病気や、大抵は、世の中に病が広まった時などに、五条の天神に靫を掛
 けたりした。鞍馬にある靫の明神も、靫を掛けられた神だからだ。看督長の背にある靫
 を家の門に掛けられたら、人の出入りはできない。この慣わしが絶えて後、今では、封
 をするようになった。
 
 ※
 「ご隠居はん、蟄居謹慎で門に竹を×に組んだりするのは、この頃からという事です
 か。」
 「どうだろ。たんに、お札みたいなものを貼るだけかもしれないよ。」
 「どちらにしても、靫を掛けるより物理的に塞いでますよね。野暮ですよね。」
 「検非違使の様な朝廷の組織が弱体化して、昔のような威厳が無くなったりした結果か
 もね。」
 「神様にお願いする儀式だけが残ったのですね。」
 
 勅勘:天皇からの咎め、罰。
 靫(ユキ):矢を入れて背負う道具。
 五条の天神:大己貴命(大国主命)と少彦名神(医薬の神)を祭る。
 靫の明神:由岐神社のこと。こちらも大己貴命と少彦名神を祭る。
 看督長:検非違使庁の下級役人。
2010/05/01(Sat)

第二百二段 十月を神無月と言ひて
 十月(ジフグワツ)を神無月(カミナヅキ)と言ひて、神事(ジンジ)に憚るべきよし
 は、記したる物なし。本文(モトフミ)も見えず。但し、当月(タウゲツ)、諸社(シ
 ヨシヤ)の祭なき故に、この名あるか。
 
 この月、万の神達、太神宮(ダイジングウ)に集り給ふなど言ふ説あれども、その本説
 (ホンゼツ)なし。さる事ならば、伊勢(イセ)には殊(コト)に祭月(サイゲツ)と
 すべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸(ギヤウガウ)、その例も多し。但し、多
 くは不吉の例なり。
 
 ※
 十月のことを神無月と言うが、神事を行わないほうがよいなんてことに、根拠があるわ
 けではない。文献もない。むしろ、この月、どこの社でも祭りがないから、こう呼ばれ
 ているのではないだろうか。
 
 この月、世の神たちが、大神宮に御集まりになるという説があるけれど、これも根拠が
 ない。もしそうならば、伊勢では特に祭りの月とでもすべきなのに、そんな事もない。
 十月に、天皇が諸社へゆく、それならよくある。ただし、ほとんどが不幸な理由から
 だ。
 
 ※
 「ご隠居はん、出雲では10月のことを神有月と言うそうです。」
 「ということは、兼好さん、伊勢と出雲を間違えたのか。」
 「そういう事のようです。出雲では神事があるそうです。ただ、神無は当て字だそう
 で、出雲大社がこの話を広めたとか。」
 「なんじゃそれは...」
2010/04/24(Sat)

第二百一段 退凡・下乗の卒都婆
 退凡(タイボン)・下乗(ゲジヨウ)の卒都婆(ソトバ)、外(ソト)なるは下乗、内
 なるは退凡なり。
 
 ※
 凡人立入禁止、乗車禁止の卒塔婆、外側に乗車禁止、内側に立入禁止がある。
 
 ※
 「ご隠居はん、何の事でしょ。」
 「国語辞典で”退凡下乗”で調べてみなされ。」
 ぱらぱらっと
 「なるほど、お釈迦様の説経の時の場内整理ですね。お車はここまで、一般席と貴賓席
 がございます。」
 「その説明、なんだか有難味がなくなるなぁ。」
2010/04/17(Sat)

第二百段 呉竹は葉細く
 呉竹(クレタケ)は葉(ハ)細く、河竹(カハタケ)は葉広し。御溝(ミカハ)に近き
 は河竹、仁寿殿(ジジユウデン)の方(カタ)に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
 
 ※
 呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。清涼殿の御溝水付近のが河竹、仁寿殿そばに植えら
 れているのが呉竹だ。
 
 ※
 「ご隠居はん、ここのところ薀蓄ばかりで、まるで人に教えているような。」
 「教育係だね。」
2010/04/17(Sat)

第百九十九段 横川行宣法印が申し侍りしは
 横川行宣法印(ヨカハノギヤウセンホフイン)が申し侍りしは、「唐土(タウド)は呂
 (リヨ)の国なり。律(リツ)の音(オン)なし。和国(ワコク)は、単律(タンリ
 ツ)の国にて、呂の音なし」と申しき。
 
 ※
 横川の行宣法印によると、「大陸は陰の六音の国である。陽の六音が無い。我が国は、
 陽の音のみで、陰の音なし」だそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、音楽は大陸から伝わって来たでしょうに、どうも違うらしいです。」
 「今風に言えば、長調と単調の違いみたいなものなのだろうか。」
2010/04/17(Sat)

最新  24 23 22 21 20.. 10.. ページ


Resbo-2005 B - a (RaKuGaKiNoteTopPage)