週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第三十段 人の亡き跡
 人の亡き跡(アト)ばかり、悲しきはなし。 
 
 中陰(チユウイン)のほど、山里などに移ろひて、便(ビン)あしく、狭(セバ) 
 き所にあまたあひ居(ヰ)て、後のわざども営(イトナ)み合へる、心あわたゝし。
 日数(ヒカズ)の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果(ハ)ての日は、いと情( 
 ナサケ)なう、たがひに言ふ事もなく、我賢(カシコ)げに物ひきしたゝめ、ちりぢ
 りに行(ユ)きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。
 「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌(イ)むなることぞ」など言へるこ
 そ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。 
 
 年月経(トシツキヘ)ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎(ウト) 
 しと言へることなれば、さはいへど、その際(キハ)ばかりは覚えぬにや、よしなし
 事いひて、うちも笑ひぬ。骸(カラ)は気(ケ)うとき山の中にをさめて、さるべき
 日ばかり詣(マウ)でつゝ見れば、ほどなく、卒都婆(ソトバ)も苔(コケ) む
 し、木の葉降(フ)り埋(ウヅ)みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがな
 りける。 
 
 思ひ出でて偲(シノ)ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失(ウ)せて、
 聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、
 いづれの人と名をだに知らず、年々(トシドシ)の春の草のみぞ、心あらん人はあは
 れと見るべきを、果ては、嵐に咽(ムセ)びし松も千年(チトセ) を待たで薪(タ
 キギ)に摧(クダ)かれ、古き墳(ツカ)は犂(ス)かれて田となりぬ。その形(カ
 タ)だになくなりぬるぞ悲しき。
 
 ※
 人を亡くす、その喪失感ほど悲しくさせられるものはない。
 
 四十九日までの間、山里などにある、不便で、狭い所に大勢で集まって、法事を営む
 んだけど、なんともあわただしい。こんなに日の経つのが速いなんて、他にはないよ
 な。最終日は、ちょっとだらしなく、互いに声を掛けるでもなく、かしこまった顔を
 しながら荷物をまとめて、そそくさと帰ってゆく。家に帰ってからのほうが、悲くな
 ることが多い。「あぁ大変だった、いややめておこう、家族に悪いしな。」などと言
 うんだから、こんな時に何を言うのかと、人の心の見苦しさを感じさせられてしまう
 んだ。
 
 月日が経っても、忘れ去るようなことはないのだけれど、「亡くなった人のことは
 日々薄れてゆく」と言われるように、死に際の悲しさに比べると、らちもないことを
 言っては、笑っていられるようになる。亡骸はひと気のない山中に埋葬してあるの
 で、命日だけお参りして見ていると、ほどなく、塔婆も苔が生え、落ち葉が降り積も
 り、嵐や、月だけが、ここを訪れるようになる。
 
 思い出して偲んでくれる人があるうちはいい、でもその人もほどなく亡くなり、聞き
 伝えでしか知らない人たちは、悲しいと思うことができるだろうか。そして、法事も
 営まれなくなると、どこの人だろうかと名すら知らずに、ただ雑草が茂っているのを
 見て、心ある人が哀れだと思うぐらいのことになるだろうな、いつかは、嵐に鳴って
 いた松の木も寿命を待たずに薪としてくだかれ、古いお墓も耕されて田んぼになって
 しまうと言う。跡形もなくなるなんて悲しいことだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、やはり身近な人が亡くなったんですね。」
 「そうだね。」
 「法事に集まる人のどれだけが、本当に悲しんでいるのでしょう。そして、いつまで
 思い出して弔ってもらえるのでしょう。そのうち形式的な弔いすらもなくなり、墓さ
 え朽ちてゆく。」
 「これもまた無常と言うものなんだろうね。」
2006/04/23(Sun)

第二十九段 静かに思へば
 静かに思へば、万(ヨロヅ)に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。 
 
 人しづまりて後、永き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、殘し置かじと思ふ
 反古(ホウゴ)など破(ヤ)り棄(ス)つる中に、亡き人の手習(テナラ)ひ、絵か
 きすさびたる、見出(イ)でたるこそ、たゞ、その折(ヲリ)の心地すれ。このごろ
 ある人の文(フミ)だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、
 あはれなるぞかし。手馴(テナ)れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、い
 とかなし。 
 
 ※
 ぼんやりと思いにふけると、いつだって、昔を思い出しては恋しくなっているんだ
 な。
 
 人が寝静まった後、長い夜のなぐさめに、ありふれた道具を片付けたり、書き損じな
 んかを破って捨てているうちに、亡くなった人の手習い書きや、暇つぶしの落書きな
 んかを見つけたりするんだな、すると当時の事がよみがえってくる。
 ご無沙汰している人の手紙でさえ、懐かしくなって、どんな時に、いつ頃だったかな
 ぁと思い出すんだから、そういうのってなかなかいいものだよね。
 大切に使っていた道具など、主がなくなった後も、変わりもせず、そこにある、悲し
 いよね。
 
 ※
 「ご隠居はん、掃除していると、こういう事よくありますよ。掃除の手が止まるんで
 すよね。あ、わかった。だからご隠居はんの部屋はいつも片付かないのですね。」
 「(どういう意味や。。。)いやいや、この段は自分のことではなく、遺品整理のこ
 とではないだろうか。」
 「出家の引き鉄でしょうか。」
2006/04/22(Sat)

第二十八段 諒闇の年ばかり
 諒闇(リヤウアン)の年ばかり、あはれなることはあらじ。 
 
 倚廬(イロ)の御所(ゴショ)のさまなど、板敷(イタジキ)を下げ、葦(アシ)の
 御簾(ミス)を掛けて、布の帽額(モカウ)あらあらしく、御調度(ミテウド)ども
 おろそかに、皆人(ミナヒト)の装束(シヤウゾク)・太刀(タチ)・平緒(ヒラ
 オ) まで、異様(コトヤウ)なるぞゆゆしき。 
 
 ※
 天子が喪に服している年ほど、悲しいことはない。
 
 假御所の様子など、板敷きを下げ、葦の御簾を掛けて、飾りの布は濃いねずみ色の物
 を使い、日常品や人々の装束、太刀、太刀の下緒まで、普段とは違ったものものしさ
 だ。
 
 ※
 「ご隠居はん、読んだとおり天皇の身内が亡くなって、悲しみに包まれていると言う
 ことでよろしいのでしょうか。」
 「兼好法師が批評家だとしてもっと突っ込んで解釈してみてはどうだろう。」
 「そうするとこんなのはどうでしょう。喪に服すると言う気持ちはわかるけれど、だ
 からと言って日常品や部屋の飾りまで変えてしまうというのはばかげたことで、あき
 れ果てて哀れにすら感じられると。」
2006/04/09(Sun)

第二十七段 御国譲りの節会
 御国譲(ミクニユヅ)りの節会(セチヱ)行はれて、剣・璽(ジ)・内侍所(ナイイ
 シドコロ)渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。 
 
 新院(シンヰン)の、おりゐさせ給ひての春、詠(ヨ)ませ給ひけるとかや。 
 
 殿守(トノモリ)のとものみやつこよそにして掃(ハラ)はぬ庭に花ぞ散りしく 
 
 今の世のこと繁(シゲ)きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かゝる
 折(ヲリ)にぞ、人の心もあらはれぬべき。 
 
 ※
 天子の御位を譲る儀式が行われて、剣、玉、鏡を渡し奉ってゆくたびに、とても心細
 くなっていくよ。
 
 花園天皇が退位され花園上皇となられた春、詠まれたと言われる歌にこういうのがあ
 る。
 
 殿守の 伴の御奴よそにして 掃はぬ庭に 花ぞ散りしく
 (御殿の管理をする役人達が居なくなったので、手入れもされない庭に花が沢山散っ
 ている。)
 
 世の中のごたつきにまぎれ、院のおそばに参るものもないというのはさびしいこと
 だ。こういう時にこそ、人の心はあらわれるものだと思うのだけれどね。
 
 ※
 「ご隠居はん、今も昔も権力を失った者と言うのは、さびしいものですね。」
 「この時代の天皇という位は、持明院統と大覚寺統という両統がほぼ10年ごとに交互
 に即位するすることになっていたんだよ。即位のたびに、天皇の周りで働く人々も新
 天皇のもとへ行ってしまうんだね。」
 「現代でもこの季節、人事異動や新入社員やでごたついてますからねぇ。それにみん
 などことなく不慣れで、危なっかしくって心細いのですが、この時もそうだったので
 しょうか。」
 「どうなのだろうね。退位する花園天皇は22歳。即位する後醍醐天皇は31歳。なのに
 心細く感じるのは後醍醐天皇の人となりが不安にさせたということだろうか。」
2006/04/02(Sun)

第二十六段 風も吹きあへず
 風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月(トシツキ)を思へば、あは
 れと聞きし言(コト)の葉(ハ)ごとに忘れぬものから、我が世の外(ホカ)になり
 ゆくならひこそ、亡(ナ)き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。 
 
 されば、白き糸の染(ソ)まんことを悲しび、路(ミチ)のちまたの分れんことを嘆
 く人もありけんかし。堀川院(ホリカハノヰン)の百首の歌の中に、 
 
 昔見し妹(イモ)が墻根(カキネ)は荒れにけりつばなまじりの菫(スミレ)のみし
 て 
 
 さびしきけしき、さる事侍りけん。 
 
 ※
 風も吹かないのにうつろう、心の花と、共に過ごした年月を思えば、忘れられない多
 くの思い出が、心の片隅から消えてゆく、それは死に別れることより辛く悲しいこと
 だよ。
 
 だからこそ、他の色に染まってゆく糸を見ては悲しみ、道を見てはいずれ別れて歩む
 ことを思い嘆く人もあるのだな。堀河天皇の百首の和歌集の中にこういうのがある。
 
 昔見し妹が墻根は荒れにけり芽花まじりの菫のみして 
 (昔好きだったあなたの家は廃墟となって草が生い茂っている。その中にすみれを見
 つけて、あの頃のあなたを思い出したよ。) 
 
 さびしく思うのは、思い出があるからさ。
 
 ※
 「ご隠居はん、原文は意味がわかりません。何のことなんでしょう?」
 「桜の季節だけど、風に吹かれて散っていく桜を見て、もののあわれや儚さを感じる
 でしょ。今まで、ものを見ては儚いだのあわれだのと言ってきた、でも人の心という
 ものも実は風に吹かれるわけでもないのに散っていく花のようなもので、儚さやあわ
 れを感じさせるものなんだということに気づいた。そういうことなんだよ。」
 「センチメンタルな、坊主ですね。」
 「出家して、世俗を離れると言うことは、人々の記憶から自分の存在が忘れ去られる
 と言うことだからね。」
2006/03/26(Sun)

第二十五段 飛鳥川の淵瀬
 飛鳥川(アスカガハ)の淵瀬(フチセ)常(ツネ)ならぬ世にしあれば、時移り、事
 去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野(ノ) らと
 なり、変らぬ住家(スミカ)は人,改(アラタ)まりぬ。桃李(タウリ)もの言はね
 ば、誰(タレ)とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古(イニシヘ)のやんごとなか
 りけん跡のみぞ、いとはかなき。 
 
 京極殿(キヤウゴクドノ)・法成寺(ホフジヤウジ)など見るこそ、志(ココロザ
 シ)留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂(ミダウ)殿の作り磨(ミガ) 
 かせ給ひて、庄園(シヤウヱン)多く寄せられ、我(ワ)が御族(オホンゾウ)の
 み、御門(ミカド)の御後見(オホンウシロミ)、世の固めにて、行末(ユクスヱ)
 までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。
 大門(ダイモン)・金堂(コンダウ)など近くまでありしかど、正和(シヤウワ)の
 比(コロ)、南門(ナンモン)は焼けぬ。金堂は、その後、倒(タフ)れ伏したる
 まゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院(ムリヤウジユヰン)ばかりぞ、その形
 (カタ)とて残りたる。丈六(ヂヤウロク)の仏,九体(クタイ)、いと尊(タフ
 ト) くて並びおはします。行成(カウゼイノ)大納言の額(ガク)、兼行(カネユ
 キ)が書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂(ホツケダウ)なども、未
 ( イマ)だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき
 所々は、おのづから、あやしき礎(イシズヱ)ばかり残るもあれど、さだかに知れる
 人もなし。 
 
 されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟(オキ)てんこそ、はかなかるべけれ。 
 
 ※
 飛鳥川の淵瀬のように変化が激しい世の中なれば、時の移り変わり、様々な出来事が
 起きては消え、喜び、悲しみを繰り返し、華やかで人々が集いし辺りも人が住まない
 荒野となり、変わらぬ佇まいを見せる家々も、住まう人が入れ替わっている。桃やす
 ももはものを言わない、ならば誰と共に昔を語り合えばよいのだろう。まして、昔の
 壮麗な建築物の跡を見ると、そのはかなさがなおさら感じられる。
 
 京極殿、法成寺などを見ると、創建者の意志に反し、朽ち果てていくその姿は哀れだ
 な。藤原道長が建て慈しみ、多くの荘園を寄進し、自身の子孫のみが、帝の御後見で
 あり、その権力がいつまでも衰えず、行く末磐石だと思っていたはずなのに、まさ
 か、ここまで荒廃するとは想像すらできなかっただろうね。
 大門、金堂は最近まであったけど、正和の頃、南門が焼けた。金堂は、その後、倒れ
 たままで、再建されるふうもない。無量寿院だけが、当時のままのその姿を留めてい
 る。一丈六尺の仏が九体、尊い御姿で並んでいらっしゃる。藤原行成大納言の筆にな
 る額、源兼行の書が残る扉、今も鮮やかに残っているのが哀れさを際立たせるんだ
 な。法華堂なども、いまだに残っている。だがこれもまた、いつまでその姿を保てる
 のやら。このような由緒すらないような場所では、寂しげに礎だけが残っているが、
 はっきりと昔の面影を知っている人はもう居ない。
 
 されば、どんなことでも、未来のことを思い色々な手立てを講じても、まったく無意
 味なんだということがわかるよね。
 
 ※
 「ご隠居はん、暗いですね。」
 「これが無常観なんだろうね。」
 「ん....何をしても、死んでしまえば意味がない。だから、あくせくしても仕方がな
 いと思うのか、それとも、だからこそ今を楽しく生きられればいいと考えるのか、で
 すね。」
 「いや、そうではなくて、あれこれ考えて計画しても、自分の死後のことまではコン
 トロールできない、ということだよ。どんな権力者や立派な建物でも、それが未来永
 劫続くわけではない、いずれ廃れていくその姿は、哀れそのものだと。」
2006/03/25(Sat)

第二十四段 斎宮の野宮に
 斎宮(サイグウ)の、野宮(ノノミヤ)におはしますありさまこそ、やさしく、面白
 き事の限りとは覚えしか。「経(キヤウ)」「仏(ホトケ)」など忌(イ)みて、
 「なかご」「染紙(ソメガミ)」など言ふなるもをかし。 
 
 すべて、神の社(ヤシロ)こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古( 
 フ)りたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣(タマガキ)しわたして、榊(サカ
 キ) に木綿(ユフ)懸(カ)けたるなど、いみじからぬかは。殊(コト)にをかし
 きは、伊勢・賀茂(カモ)・春日(カスガ)・平野・住吉(スミヨシ)・三輪(ミ
 ワ)・貴布禰(キブネ)・吉田・大原野(オホハラノ)・松尾(マツノヲ)・梅宮
 (ウメノミヤ)。 
 
 ※
 斎宮が、野宮にいらっしゃるお姿は、優美であり、この上ない感動を覚えるよ。
 「経」「仏」などの言葉を使うのを避けて「染紙」「なかご」などと言うのも興味深
 いね。
 
 どこの、神の社でも、無視できない、魅力がるよ。まわりの森の雰囲気もさることな
 がら、玉垣をめぐらし、榊に木綿をわたすなど、まことにいい感じだ。特にお勧めな
 のは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松尾や梅宮だ
 な。
 
 ※
 「ご隠居はん、タブーと言えば一言で済むものを、そんな言葉が使えるわけでもな
 く、禁句と言っても良いのに、古典で使うと意味が違うしで困りましたよ。」
 「なるほどね。ところでこの段は何を言っているとのだと思うかな。」
 「前段と同じように佇まいの素晴らしさ、ではないでしょうか。兼好さんお勧めの神
 社にお参りしてみますか。」
 
 斎宮・・・伊勢神宮に奉仕した未婚の皇女のこと。
 野宮・・・伊勢神宮へ行く前に、一定期間心身を清浄にし禁忌をおかさないようにし
      ながら暮らす場所。
2006/03/17(Fri)

第二十三段 衰へたる末の世とはいへど
 衰(オトロ)へたる末(スヱ)の世とはいへど、なほ、九重(ココノヘ)の神(カ
 ム) さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。 
 
 露台(ロダイ)・朝餉(アサガレヒ)・何殿(ナニデン)・何門(ナニモン)など
 は、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀(コジトミ)・小板敷(コ
 イタジキ)・高遣戸(タカヤリド)なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣(ヂン)に夜
 (ヨ)の設(マウケ)せよ」と言ふこそいみじけれ。夜の御殿(オトド)のをば、
 「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。上卿(シヤウケイ)の、陣にて事,
 行(オコナ)へるさまはさらなり、諸司(シヨシ)の下人(シモウド)どもの、した
 り顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに睡 (ネブ)
 り居たるこそをかしけれ。「内侍所(ナイシドコロ)の御鈴(ミスズ)の音は、めで
 たく、優(イウ)なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣(トクダイジノオホキオト
 ド)は仰(オホ)せられける。 
 
 ※
 世が乱れ衰えても、なお、宮中の様子というのは、世の中の有様とは違って、優雅さ
 を失わないものだ。
 
 露台・朝餉・何々殿、何々門などは、素晴らしい佇まいだということだ。下々の家に
 もよくある小蔀・小板敷・高遣戸なども、見事なつくりだと聞いている。
 「陣に夜の準備をせよ!」と命令する声が聞こえてくるのも心地いい。
 御寝所に、「灯りを燈しております」と報告が来るのも、優雅でいいものだ。
 上卿の、陣で任務を遂行する姿は言うまでもなく、様々な職の役人達が、神妙な面持
 ちで働いているのも、いい感じがするね。随分冷え込む夜の間中、ここかしこで居眠
 りする姿も可笑しいね。
 「賢所の御鈴の音は、楽しく、優美なものである」と、徳大寺太政大臣(藤原公孝)
 が仰せられたそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、前段では宮中の変化を嘆いていますが、今回は違いますねぇ。」
 「そうだね、世の中は武士が牛耳って、殺伐とした世の中だけど、やはり宮中の様子
 を見ると心が落ち着くってことだね。」
 「でも、べた褒めじゃないですか。居眠りOKって...」
 「まぁ詩人ですから絵になればいいのかも。」
2006/03/05(Sun)

第二十二段 何事も、古き世のみぞ
 何事も、古き世のみぞ慕(シタ)はしき。今様(イマヤウ)は、無下(ムゲ)にいや
 しくこそなりゆくめれ。かの木(キ)の道の匠(タクミ)の造れる、うつくしき器物
 (ウツハモノ)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
 
 文(フミ)の詞(コトバ)などぞ、昔の反古(ホウゴ)どもはいみじき。たゞ言ふ言
 葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古(イニシヘ)は、「車もたげよ」、「火
 かゝげよ」とこそ言ひしを、今様(イマヤウ)の人は、「もてあげよ」、「かきあげ
 よ」と言ふ。「主殿寮人数立(トノモレウニンジユタ)て」と言ふべきを、「たちあ
 かししろくせよ」と言ひ、最勝講(サイシヤウカウ)の御聴聞所(ミチヤウモンジ
 ヨ)なるをば「御講(ゴカウ)の廬(ロ)」とこそ言ふを、「講廬(カウロ)」と言
 ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。
 
 ※
 色々と、古き世のものには心がひかれる。流行のものは、あっという間に古臭くなっ
 てしまうからね。工芸職人の造る、美しい器も、昔のもののほうが味わいがあるよう
 に思える。
 
 手紙の中の言葉なども、昔使われていた言葉のほうがいい感じだ。
 なんとなく言う言葉も、残念な変化を遂げているね。昔は、「車進めよ」「松明とも
 せ」と言ったのを、最近の人は、「進め」「照らせ」という。「篝火係立て」と命ず
 るべきを、「立ち上がって明るくせよ」と言い、帝が天下泰平の祈りを聞く場所を
 「御講の廬」と言うのだが、「講廬」と言う。とても残念だ、老人たちの嘆きが聞こ
 えるよ。
 
 ※
 「ご隠居はん、現代語訳は難しかったのですが、良くわかりますよ。少し前の流行も
 のが色あせて見えますから。」
 「そうだね、でもその中から次の時代に支持されるものが残るんだよ。」
 「後半は、若者言葉と言いましょうか、ギャル語と言うのか...」
 「宮中でそんな状態なのだから、老人たちの嘆きがわかるよね。」
2006/03/02(Thu)

第二十一段 万のことは、月見るにこそ
 万(ヨロヅ)のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白き
 ものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露(ツユ)こそなほあはれなれ」と争ひ
 しこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。 
 
 月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけし
 きこそ、時をも分かずめでたけれ。「沅(ゲン)・湘(シヤウ)、日夜(ニチヤ)、
 東(ヒンガシ)に流れ去る。愁人(シウジン)のために止まること少時(シバラク)
 もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。嵆康(ケイカウ)も、「山沢
 (サンタク)に遊びて、魚鳥(ギヨテウ)を見れば、心楽しぶ」と言へり。人遠く、
 水草(ミヅクサ)清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。
 
 ※
 心のもやもやも、月を見ていると、なんだか落ち着いてくるよ。
 ある人が、「月ほど眺めていて飽きないものはない。」と言えば、別の人は、「露ほ
 どはかなさを感じさせるものはない」などと言い争ったりする、そんなのはおかしい
 よ。見る側の気持ちによって、どんなものでもあはれになるんだよ。
 
 月や花は当然として、風にさへ、人の心は感じるものさ。
 岩にぶつかりながら流れる水の様子なんて、季節にかかわらず美しいものだ。
 「沅水、湘水、日夜東に流れ去る。愁い人のために止まること少時もせず」という詩
 を見たときも、感じるものがあった。
 嵆康も「山や河で時を過ごして、魚や鳥を見れば、心がなごむ」と言ってたな。
 人里離れ、水や草のきれいな所を散策すると、心が慰められるよ。
 
 ※
 「ご隠居はん、前段の気持ちがわかってきました。」
 「ほう、どんな風に。」
 「疲れた都会人なんですよ。自然の変化に感傷的になる。」
 「ふん、なるほど。」
 「でもいいなぁ。このご時世、散策なんて言えればいいのですけれど、うろついてい
 る怪しいおっさんになってしまいますから。」
 「・・・・。」
 「だからと言って犬や小さな子供連れなら、あはれもないですし。いやぁそもそもど
 ちらも居ませんけど。」
 「それは・・・違う意味であはれではあるな。」
2006/02/19(Sun)

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