飛鳥川(アスカガハ)の淵瀬(フチセ)常(ツネ)ならぬ世にしあれば、時移り、事  去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野(ノ) らと  なり、変らぬ住家(スミカ)は人,改(アラタ)まりぬ。桃李(タウリ)もの言はね  ば、誰(タレ)とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古(イニシヘ)のやんごとなか  りけん跡のみぞ、いとはかなき。     京極殿(キヤウゴクドノ)・法成寺(ホフジヤウジ)など見るこそ、志(ココロザ  シ)留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂(ミダウ)殿の作り磨(ミガ)   かせ給ひて、庄園(シヤウヱン)多く寄せられ、我(ワ)が御族(オホンゾウ)の  み、御門(ミカド)の御後見(オホンウシロミ)、世の固めにて、行末(ユクスヱ)  までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。  大門(ダイモン)・金堂(コンダウ)など近くまでありしかど、正和(シヤウワ)の  比(コロ)、南門(ナンモン)は焼けぬ。金堂は、その後、倒(タフ)れ伏したる  まゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院(ムリヤウジユヰン)ばかりぞ、その形  (カタ)とて残りたる。丈六(ヂヤウロク)の仏,九体(クタイ)、いと尊(タフ  ト) くて並びおはします。行成(カウゼイノ)大納言の額(ガク)、兼行(カネユ  キ)が書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂(ホツケダウ)なども、未  ( イマ)だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき  所々は、おのづから、あやしき礎(イシズヱ)ばかり残るもあれど、さだかに知れる  人もなし。     されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟(オキ)てんこそ、はかなかるべけれ。     ※  飛鳥川の淵瀬のように変化が激しい世の中なれば、時の移り変わり、様々な出来事が  起きては消え、喜び、悲しみを繰り返し、華やかで人々が集いし辺りも人が住まない  荒野となり、変わらぬ佇まいを見せる家々も、住まう人が入れ替わっている。桃やす  ももはものを言わない、ならば誰と共に昔を語り合えばよいのだろう。まして、昔の  壮麗な建築物の跡を見ると、そのはかなさがなおさら感じられる。    京極殿、法成寺などを見ると、創建者の意志に反し、朽ち果てていくその姿は哀れだ  な。藤原道長が建て慈しみ、多くの荘園を寄進し、自身の子孫のみが、帝の御後見で  あり、その権力がいつまでも衰えず、行く末磐石だと思っていたはずなのに、まさ  か、ここまで荒廃するとは想像すらできなかっただろうね。  大門、金堂は最近まであったけど、正和の頃、南門が焼けた。金堂は、その後、倒れ  たままで、再建されるふうもない。無量寿院だけが、当時のままのその姿を留めてい  る。一丈六尺の仏が九体、尊い御姿で並んでいらっしゃる。藤原行成大納言の筆にな  る額、源兼行の書が残る扉、今も鮮やかに残っているのが哀れさを際立たせるんだ  な。法華堂なども、いまだに残っている。だがこれもまた、いつまでその姿を保てる  のやら。このような由緒すらないような場所では、寂しげに礎だけが残っているが、  はっきりと昔の面影を知っている人はもう居ない。    されば、どんなことでも、未来のことを思い色々な手立てを講じても、まったく無意  味なんだということがわかるよね。    ※  「ご隠居はん、暗いですね。」  「これが無常観なんだろうね。」  「ん....何をしても、死んでしまえば意味がない。だから、あくせくしても仕方がな  いと思うのか、それとも、だからこそ今を楽しく生きられればいいと考えるのか、で  すね。」  「いや、そうではなくて、あれこれ考えて計画しても、自分の死後のことまではコン  トロールできない、ということだよ。どんな権力者や立派な建物でも、それが未来永  劫続くわけではない、いずれ廃れていくその姿は、哀れそのものだと。」
 
  2006/03/25(Sat) 
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