週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第六十九段 書写の上人は
 書写(シヨシヤ)の上人(シヤウニン)は、法華読誦(ホツケドクジユ)の功(コ
 ウ)積りて、六根浄(ロクコンジヤウ)にかなへる人なりけり。旅の仮屋(カリヤ)
 に立ち入られけるに、豆の殻を焚(タ)きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給
 ひければ、「疎(ウト)からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛(カラ)き目
 を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心より
 することかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給
 ひそ」とぞ聞えける。
 
 ※
 書写の上人は、法華経を読み続けた功が積もって、六根が清らかになった人だ。旅先
 の宿屋に入ったところ、豆の殻を焚いて豆を煮る音のつぶつぶと鳴っているのを聞い
 て、「知らない仲ではないお前が、恨めしいことに、私を煮るなんて、辛い目に遭わ
 せてくれるもんだな」と言った。焚かれている豆殻のばらばらと鳴る音は、「私が望
 んでしていることではない。焼かれることがどんなに耐え難いことでも、私にはどう
 しようもないのだ。そんなに恨みなさんな」と聞こえたそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、この話三国志の中にもありますね。たしか、曹丕と曹植の話ですよ
 ね。」
 「そうそう、同じことを考えていたよ。」
 「だから六根浄は関係なく、ただ単に受け売りしただけのように思えるのですが。」
 「ははは、最近促さなくても批判精神で読んでるね。」
 「えぇ、正しいかどうかは分かりませんが、この路線でいきます。」
 
 書写の上人:兵庫県姫路市の書写山頂にある円教寺、その創建者の性空のこと。
       この人、橘善根の息子でご自身は善行って名前。前段の大根を善根の例
       えとしたけれど、まさか関係ないでしょうね。
 六根:眼、耳、鼻、舌、身、意のこと。やっぱり大根と....関係ないか。
2007/02/04(Sun)

第六十八段 筑紫に、なにがしの押領使
 筑紫(ツクシ)に、なにがしの押領使(アフリヤウシ)などいふやうなる者のありけ
 るが、土大根(ツチオホネ)を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひけ
 る事、年久(ヒサ)しくなりぬ。
 
 或時(アルトキ)、館(タチ)の内に人もなかりける隙(ヒマ)をはかりて、敵襲
 (カタキオソ)ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵(ツハモノ)二人出で来て、
 命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してンげり。いと不思議に覚えて、「日比(ヒゴロ)
 こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひけれ
 ば、「年来(トシゴロ)頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失
 (ウ)せにけり。
 
 深く信(シン)を致(イタ)しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。
 
 ※
 九州に、なんとかという押領使がいたんだけど、大根を万病に効く薬だといって、毎
 朝二本づつ焼いて食べること、もう何年にもなるそうだ。
 
 あるとき、館の中に人がいない隙を狙って、敵が襲い、囲んで攻めかかってきたんだ
 けれど、館の内に兵士が二人現れて、命を惜しまず戦い、敵を全て追い返した。とて
 も不思議な出来事だったので、「日頃ここに仕える兵でもないのに、見事な戦いぶ
 り、いかなる者ぞ。」と問うてみると、「いつもあてにされ、毎朝召し上がっておら
 れる大根でございます。」と言い、立ち去った。
 
 深く信じれば、こんなありがたいこともあるんだってさ。
 
 ※
 「ご隠居はん、不思議な出来事だったって、なんとものんびりしてませんか。」
 「あほらしいと思いながら書いたのかもね。でもねいつものように深読みしてみれば
 どうかな。例えば大根は善根を表しているとか。」
 「えっ、大根が善根ですか。おやじギャグみたいな話ですね。ん...そうですね一日
 一善ならぬ、二善行えば、ピンチのとき助けてくれる人が現れる。なんて、無理やり
 か。でも、世の中の万病には効果あるかも。」
 
 
 押領使:平安時代からある、今で言えば機動隊みたいな組織なんでしょうけど、この
     時代では武士が台頭してきていますから、本来の役目がこなせていたのか、
     そもそも手兵が居たのか怪しいな。
2007/01/28(Sun)

第六十七段 賀茂の岩本・橋本は
 賀茂(カモ)の岩本(イハモト)・橋本(ハシモト)は、業平(ナリヒラ)・実方
 (サネカタ)なり。人の常に言ひ粉(マガ)へ侍れば、一年(ヒトトセ)参りたりし
 に、老いたる宮司(ミヤヅカサ)の過ぎしを呼び止(トド)めて、尋(タズ)ね侍り
 しに、「実方は、御手洗(ミタラシ)に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の
 近ければと覚え侍る。吉水和尚(ヨシミヅノクワシヤウノ)の、
 
 月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはら
 
 と詠み給ひけるは、岩本の社(ヤシロ)とこそ承(ウケタマハ)り置き侍れど、己
 (オノ)れらよりは、なかなか、御存知などもこそ候はめ」と、いとやうやうしく言
 ひたりしこそ、いみじく覚えしか。
 
 今出川院近衛(イマデガハヰンノコノヱ)とて、集(シフ)どもにあまた入りたる人
 は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前(ミマヘ)の水にて
 書きて、手向(タム)けられけり。まことにやんごとなき誉(ホマレ)れありて、人
 の口にある歌多し。作文(サクモン)・詞序(シジヨ)など、いみじく書く人なり。
 
 ※
 賀茂神社の岩本社・橋本社は、在原業平・藤原実方を祭っている。人々は常にこの二
 つを取り違えてしまうので、ある年お参りした時に、老いた宮司が通り過ぎたのを呼
 び止めて、尋ねてみたんだ、「実方は、御手洗川に影の映る所とくれば、橋本が、水
 に近いからと覚えます。吉水和尚の
 
 月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはら
 
 と詠まれたのは、岩本の社のことと聞き及んでおりますが、これは私共より、あなた
 様のほうが、よくご存知ではと思いますが。」と、とても詳しく丁寧に教えてくれた
 のが、印象深かった。
 
 今出川院に仕えた近衛と言う人は、歌集によく載る人で、若い頃、常に百首の歌を詠
 んだら、この二つの社の前の水で書いて、奉納したそうだ。まことに素晴らしい才あ
 る人で、人々の口にのぼる歌が多い。漢詩や和歌の端書など、巧みに書く人なんだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、マナカナのどっちがどっち?みたいな話から始まって。」
 「毎回色々思いつくね。」
 「宮司の言葉を借りて、私ってちょっと有名人、って書いてみたり。」
 「事実そうなんだからいいじゃないの。」
 「業平、実方、吉水のような有名歌人と並べられたのが印象深かったのか。」
 「そこんところも、よしとしなさい。」
 
 在原業平:歴史の教科書か国語の教科書で誰もが見たことのある名前。平安時代の歌
      人で六歌仙の一人として称えられている。好色無双と称されてもいるそう
      で。前段に出た伊勢物語の主人公のモデルとも言われる。
 藤原実方:こちらはあまり知らない名前。ですが好色ということで有名らしい。あ、
      中古三十六歌仙の一人として歌でも有名。百人一首にもその名がありま
      す。いや、失礼。光源氏のモデルと言う説もあるそうです。ウィキペディ
      アによりますと、枕草子の中に、賀茂川の橋の下に実方の亡霊が出るとい
      う噂がある、というのがあるそうです。橋の下、はしもと....。宮司の話
      もこのことを言っているのかもしれません。化けて出てくる人を祀ってい
      るわけですか。
 
 岩本社、橋本社って今でもあるのでしょうか。神社の案内図には岩本社しか載ってい
 ませんが....。御手洗川も載っていますね。古典の舞台が今も残っていると言うのは
 あり難い事です。
 上賀茂神社境内案内
 http://www.kamigamojinja.jp/guide/index.html
2007/01/21(Sun)

第六十六段 岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に
 岡本関白殿(ヲカモトノクワンパクドノ)、盛りなる紅梅(コウバイ)の枝に、鳥一
 双(イツソウ)を添(ソ)へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼(オンタカ
 ガヒ)、下毛野武勝(シモツケノノタケカツ)に仰せられたりけるに、「花に鳥付く
 る術(スベ)、知り候はず。一枝(ヒトエダ)に二つ付くる事も、存知(ゾンヂ)し
 候はず」と申しければ、膳部(ゼンブ)に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また、武
 勝に、「さらば、己(オノ)れが思はんやうに付けて参らせよ」と仰せられたりけれ
 ば、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。
 
 武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。五葉(ゴ
 エフ)などにも付く。枝の長さ七尺(シチシヤク)、或(アルヒ)は六尺(ロクシヤ
 ク)、返(カヘ)し刀五分(ガタナゴブ)に切る。枝の半(ナカバ)に鳥を付く。付
 くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所(フタトコロ)付くべし。藤
 の先は、ひうち羽(バ)の長(タケ)に比べて切りて、牛の角のやうに撓(タワ)む
 べし。初雪の朝(アシタ)、枝を肩にかけて、中門(チユウモン)より振舞ひて参
 る。大砌(オホミギリ)の石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまおほひの毛を少しかな
 ぐり散らして、二棟の御所の高欄(カウラン)に寄せ掛く。禄(ロク)を出ださるれ
 ば、肩に掛けて、拝(ハイ)して退(シリゾ)く。初雪といへども、沓(クツ)のは
 なの隠れぬほどの雪には、参らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹はよわ腰を取
 る事なれば、御鷹(オンタカ)の取りたるよしなるべし」と申しき。
 
 花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月(ナガヅキ)ばかりに、梅の作り
 枝に雉(キジ)を付けて、「君がためにと折る花は時しも分(ワ)かぬ」と言へる
 事、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。
 
 ※
 岡本関白殿が、満開の紅梅の枝に、雉一つがいを一緒に、枝に付けて持ってくるよう
 にと、御鷹飼、下毛野武勝に御命じになったのだが、「花に雉を付ける方法を、知り
 ません。一枝に二つ付けるのも、聞いたことがありません。」と言うから、膳部に尋
 ねたり、人々に問うてみたりして、再度、武勝に、「ならば、思ったように付けて持
 ってきなさい。」と仰せられたので、花もない梅の枝に、一つを付けて持っていった
 そうだ。
 
 武勝が言うには、「柴の枝、梅の枝、蕾の頃と散った後には付く。五葉の松などにも
 付く。枝の長さ七尺、あるいは六尺、斜めに切って反対側から五分に切る。枝の半ば
 に鳥を付ける。付ける枝、踏ませる枝がある。つづら藤の蔓で、二ヶ所とめる。藤の
 先は、火打ち羽の長さと同じぐらいで切って、牛の角のように撓ませる。初雪が降っ
 た朝、枝を肩に掛けて、中門より振舞いながら入る。軒下の石を伝って、雪に足跡を
 残さず、雉の尾の付根の毛を少しむしり取り散らして、二棟の御所の高欄に立て掛け
 ておく。禄を頂いたら、肩に掛けて、拝して退く。初雪といっても、沓の鼻が隠れな
 いほどの雪なら、参らない。雉の尾の付根の毛をむしり散らすのは、鷹は急所の腰を
 取るものですから、鷹が獲ったように見せるためだと思われます。」とのこと。
 
 花に雉は付かないとは、どういうことだろう。旧暦九月の頃、梅の造花の枝に雉を付
 けて、「あなたのために摘む花は季節も問わず」と言っているのを、伊勢物語に見た
 んだけどな。造花だっていいのにな。
 
 ※
 「ご隠居はん、今回ほど現代語訳にしても意味不明な段はなかったです。とくに武勝
 の話は、”竜馬がゆく”の斬り合いシーンの描写ぐらい分かり難かったですよ。」
 「何を言うかと思えば。」
 「色々解釈してみました、つづら藤の蔓を火打ち羽のようにというのは、蝶々結びの
 ような物か、水引のような感じなのかとか、そう考えると、ただ単なる作法を実直に
 説いているのかと思いますが。」
 「なるほど、花が付いていたっていいじゃないか、堅すぎるぞと兼好が言っているわ
 けか。」
 「ただ気になるのは岡本関白が、お花で飾られた贈り物を、自分がほしかったのか、
 別の誰かに贈ろうとしていたのか、分からない点ですが...。」
 
 岡本関白:近衛家平のこと。花園天皇の時代二年間ほど関白となる。
 火打ち羽は下の画像で
 
 参照もとのHPは
 http://astur.jp/index.html
2007/01/20(Sat)

第六十五段 この比の冠は、
 この比(ゴロ)の冠(カムリ)は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の冠桶
 (カムリヲケ)を持ちたる人は、はたを継(ツ)ぎて、今用(モチ)ゐるなり。
 
 ※
 この頃の冠は、昔よりはるかに高い物になっている。
 昔の冠桶を持っている人は、横を継いで、今も使っているそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、また見栄の話ですね。これだから今も昔も変わらないなぁと思うので
 すよ。」
 「久しぶりに批評として読んでみようか。」
 「はい。では。昔は冠でその人の能力の高さを現したが、最近の奴らは先祖の威光で
 背伸びしているに過ぎないな。」
 「はははは」
 
 
 原文について
 他のサイトではこういう文も紹介されています。前段と同じく「ある人おほせられ
 し。」です。
 
 「このごろの冠(かぶり)は、昔よりは遙かに高くなりたるなり。」とぞ、ある人お
 ほせられし。古代の冠桶〔冠の入物〕を持ちたる人は、端(はた)をつぎて今は用ふ
 るなり。 
 
 冠について
 こちらのサイトに詳しく書かれています。
 http://www.kariginu.jp/kikata/2-2.htm
 ここによりますと、時代が下るほど冠は小さくなったと言うことですから、兼好が遥
 かに高くなったと言うのはどこが高くなったのかな?
2007/01/07(Sun)

第六十四段 車の五緒は、必ず人によらず
 「車の五緒(イツツヲ)は、必ず人によらず、程につけて、極(キハ)むる官(ツカ
 サ)・位(クラヰ)に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。
 
 ※
 「五緒の車に乗れるのは、人によって決まっているわけではなく、家柄に応じて、最
 も高い官、位になったとき、乗ることができるものだ。」と、ある人は言っていた。
 
 ※
 「ご隠居はん、また”ある人は言っていた”ですよ。」
 「こう言っているときは、今はそうなっていないということなんだろうね。」
 「ということは、偉くもないのにいい車に乗っている人が増えたってことですね。見
 栄を張っているんだ。それに、それを恥ずかしいとも思わない。」
 「本来は家の問題だから、戒める人がいなくなったと言うことか。」
 「現代と同じですね。」
 
 五緒:簾の縁と網目を覆う皮との間に皮でできた風帯を2本たらしたもの。
    と言う風に説明されているけれど、どんな物なのか色々探してみた結果、これ
    と言う資料は見当たらなかった。
2006/12/31(Sun)

第六十三段 後七日の阿闍梨
 後七日(ゴシチニチ)の阿闍梨(アザリ)、武者(ムシヤ)を集むる事、いつとか
 や、盗人(ヌスビト)にあひにけるより、宿直人(トノヰビト)とて、かくことこと
 しくなりにけり。一年(ヒトトセ)の相(サウ)は、この修中(シユヂユウ)のあり
 さまにこそ見ゆなれば、兵(ツハモノ)を用ゐん事、穏かならぬことなり。
 
 ※
 後七日の阿闍梨、武者を集めだしたのは、いつだったか、盗人に遭って以来、宿直人
 だと言って、このように物物しくなってしまったんだ。この一年の安泰・安穏を願
 う、そんな行事であるのに、兵を用いるとは、穏やかなことではないな。
 
 ※
 「ご隠居はん、治安悪化が先か、警備強化が先かってことですよ。」
 「それはそうだけど、警備員で済むところに軍隊はどおだろう。」
 「警備員では済まないような強盗。そんな強盗に襲われる理由が新年の仏事にあるっ
 てことかな。」
 
 後七日:一月八日から七日間、宮中で行われる真言宗の行事。
     宮中で盗人に遭った?どういうことだろう。
 阿闍梨:若い僧達の軌範となる僧のこと。
     天台宗・真言宗では「あざり」と読むらしい。
2006/12/24(Sun)

第六十二段 延政門院、いときなくおはしましける時
 延政門(エンセイモン)院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言(オ
 ンコト)つてとて申させ給ひける御歌、
 
 ふたつ文字(モジ)、牛の角(ツノ)文字、直(ス)ぐな文字、歪(ユガ)み文字と
 ぞ君は覚(オボ)ゆる
 
 恋しく思ひ参らせ給ふとなり。
 
 ※
 延政門院が、幼かった頃、院へ参る人に、お言つてをといって読まれたお歌、
 
 ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字 歪み文字とぞ君は覚ゆる
 
 こひしく思いますよという意味になるんだね。
 
 ※
 「ご隠居はん。和歌ってこういう風な遊びもあるんだということですけれど、ほのぼ
 のしていて良いのですが、コレだけなんでしょうか。」
 「いつものように批判精神で読んでみると。」
 「無理です。読めません、て。」
 
 延政門院:後嵯峨上皇の皇女。何番目の娘かは分かりませんが、兄弟は第四皇子の後
      深草天皇、第七皇子の亀山天皇という顔ぶれです。兼好の生まれていない
      時代の話なのですが、ありふれた日常とも思えるエピソードがなぜ書か
      れているのでしょうか。
2006/12/17(Sun)

第六十一段 御産の時、甑落す事は
 御産(ゴサン)の時、甑(コシキ)落す事は、定まれる事にあらず。御胞衣(オンエ
 ナ)とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。
 
 下ざまより事起りて、させる本説(ホンゼツ)なし。大原の里の甑を召すなり。古き
 宝蔵(ホウザウ)の絵に、賎(イヤ)しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きた
 り。
 
 ※
 皇室でのお産のとき、甑(こしき)を落とすことは、決められたことではない。胞衣
 (えな)が滞った時のまじないなのだ。滞ることがなければ、この事は行われない。
 
 庶民から起こった事で、根拠はない。大原の里の甑を取り寄せて使う。宝蔵にあった
 古い絵には、下賤の者の出産の場で、甑を落としている場面が描かれていた。
 
 ※
 「ご隠居はん。”迷信を斬る”のコーナーです。」
 「なんのこっちゃ。それにしてもすごいこと書いてるね。皇后が出産するときと賤し
 い身分の者の出産を同じように書くなんてね。」
 「やはり何かを批判していると見てよいのですかね。」
 
 甑(こしき):蒸篭のように食物を蒸す器具のことで、壷のような物らしい。落とす
        と割れると思うのだけれどね。胎盤など子供が敷いて使っていた(子
        敷き)ものがちゃんと出てくるように、つまり後産が上手くいくよ
        うにという意味で落としたそうだ。”大原の里の甑”は”大腹の子敷
        き”だから安産を願うってことなんだろう。
2006/12/10(Sun)

第六十段 真乗院に、盛親僧都とて、
 真乗院(シンジヨウヰン)に、盛親僧都(ジヤウシンソウヅ)とて、やんごとなき智
 者ありけり。芋頭(イモガシラ)といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にて
 も、大きなる鉢(ハチ)にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひながら、文をも
 読みけり。患(ワヅラ)ふ事あるには、七日(ナヌカ)・二七日(フタナヌカ)な
 ど、療治(レウヂ)とて籠り居て、思ふやうに、よき芋頭を選びて、ことに多く食ひ
 て、万の病を癒しけり。人に食はする事なし。たゞひとりのみぞ食ひける。極めて貧
 しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊(ボウ)ひとつを譲りたりけるを、
 坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋(ビキ)を芋頭の銭(アシ)と定めて、京なる人
 に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を乏(トモ)しからず召しけるほどに、ま
 た、他用(コトヨウ)に用ゐることなくて、その銭(アシ)皆に成りにけり。「三百
 貫の物を貧しき身にまうけて、かく計(ハカ)らひける、まことに有り難き道心者
 (ジヤ)なり」とぞ、人申しける。
 
 この僧都、或(アル)法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは何物
 ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似
 てん」とぞ言ひける。
 
 この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書(ノウジヨ)・学匠(ガクシヨウ)・
 辯舌(ベンゼツ)、人にすぐれて、宗の法燈(ホフトウ)なれば、寺中(ジチユウ)
 にも重く思はれたりけれども、世を軽(カロ)く思ひたる曲者(クセモノ)にて、万
 自由(ジイウ)にして、大方、人に従ふといふ事なし。出仕(シユツシ)して饗膳
 (キヤウゼン)などにつく時も、皆人の前据(ス)ゑわたすを待たず、我が前に据ゑ
 ぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行きけり。斎
 (トキ)・非時(ヒジ)も、人に等しく定めて食はず。我が食ひたき時、夜中にも暁
 (アカツキ)にも食ひて、睡(ネブ)たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれ
 ども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜(イクヨ)も寝(イ)ねず、心を
 澄(ス)ましてうそぶきありきなど、尋常(ヨノツネ)ならぬさまなれども、人に厭
 (イト)はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。
 
 ※
 真乗院に、盛親僧都という、大変な智者が居た。芋頭というものが大好きで、沢山食
 べていたそうだ。説教の席でも、大きな鉢に山盛りにして、膝元に置き、食べなが
 ら、書物を読んだ。病気になったりすると、七日・ふた七日など、治療と称して籠も
 り、思うように、好きな芋頭を選んで、更に沢山食べ、どんな病気も治したそうだ。
 人には食べさせなかった。ただただ一人で食べていた。とっても貧しかったのに、師
 匠から、亡くなる前、銭二百貫と坊一軒を譲り受け、坊を百貫で売り、全部で三万疋
 を芋頭の予算として、都に居る人に預けておき、十貫ずつ取り寄せて、芋頭を不足な
 く召し上り続け、そして、他の事には用いず、その予算の全てが芋頭になった。「三
 百貫ものお金を貧しき身に持ちながら、こんな風に使ってしまえるなんて、まことに
 有り難い道心者だな。」と、人々は言った。
 
 この僧都、ある法師を見て、”しろうるり”という名を付けた。「しろうるりって何
 ですか」と人から問われると、「それは私も知りません。もしあったとすれば、その
 僧の顔に似ているんだろうね。」と言ってのけた。
 
 この僧都、姿よく、力持ちで、大食いであり、書がうまく、仏学、弁舌、人より優れ
 ていた、宗の大切な指導者であり、寺中から尊敬されていたけれど、世の中を軽く見
 る変わり者で、なんでも思うまま、大方、人に随うということがなかった。出仕して
 饗膳などにつく時も、皆の前に膳が行き渡るのを待たず、自分の前に据えられれば、
 さっさと食べ始め、帰りたくなったら、一人退席してしまう。斎や非時にも、人と同
 じように決まったとき食べなかった。自分が食べたい時、夜中でも早朝でも食べ、眠
 りたければ、昼間でも眠り、どんな出来事が起こっても、人の言う事を聞き入れな
 い、目が覚めていれば、幾夜も眠らずとも、すまし顔して過ごしていたりする、世の
 中の常識から外れているけれど、人から嫌がられず、全て許されている。徳のきわみ
 なんだな。
 
 ※
 「ご隠居はん、また仁和寺ですよ。今度は僧都、えらいさんですよ。」
 「変わり者の親玉といいたいわけ?」
 「さすが親玉だけあって、今まで見たいなただのアホとは違ってますが。」
 「でも、兼好は手放しで誉めてはいないように思わないかい。」
 「しろうるりって呼ばれた腹いせかな。」
 「腹いせって、意味も分からないのに。もしかしたらいい意味かも知れないよ。それ
 にその法師が兼好とは限らないし。」
 「確かに嫌味っぽくも読めますね。徳によってもたらされたことが、やりたい放題と
 いうのはちょっと...。」
 
 真乗院:仁和寺の中にある坊で、門主が隱居所として用いていた。
 芋頭:里芋の親芋のこと。根っこにあたる部分で、そこから小芋ができる。
 疋:銭十文。三万疋は三十万文。一貫が千文ですから、三万疋は三百貫。要するに譲
   り受けた全てという事ですか。あぁややこしい。
 斎:午前中の食事のこと。読みは”とき”で、文献によっては”斎”ではなく”時”
   と書かれているようです。時に非ず、で非時となるわけです。元々は斎の一食だ
   けだったものが非時にも摂って、この時期には一日二食としていたようです。
 非時:正午の食事。これ以降は食べてはならない戒律がある。
2006/12/03(Sun)

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