応長(オウチヤウ)の比、伊勢国(イセノクニ)より、女の鬼に成りたるをゐて上 (ノボ)りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京(キヤウ)・白川 (シラカハ)の人、鬼見(オニミ)にとて出(イ)で惑(マド)ふ。「昨日は西園寺 (サイヲンジ)に参(マヰ)りたりし」、「今日は院(ヰン)へ参るべし」、「たゞ 今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言( ソラゴ ト)と云う人もなし。上下(ジヤウゲ)、ただ鬼の事のみ言ひ止(ヤ)まず。 その比、東山(ヒガシヤマ)より安居院辺(アグヰヘン)へ罷(マカ)り侍りしに、 四条(シデウ)よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町(ムロマチ) に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川(イマデガハ)の辺(ヘン)より見やれば、院 の御桟敷(オンサジキ)のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。はや く、跡なき事にはあらざンめりとて、人を遣(ヤ)りて見するに、おほかた、逢 (ア)へる者なし。暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果(ハテ)は闘諍(トウジヤウ) 起りて、あさましきことどもありけり。 その比、おしなべて、二三日(フツカミカ)、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼 の虚言(ソラゴト)は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。 ※ 応長の頃、伊勢の国より、女が鬼になった者を率いて上京してきたと言う事があり、 その頃から二十日ばかり、毎日、京・白川の人々は、鬼見物へ出歩くことに夢中にな った。「昨日は西園寺に現れた。」「今日は院へ現れるそうだ。」「今はどこどこに 居る。」などと言い合っている。本当に見たという人も居ず、反対に嘘だという人も 居ない。貴族も平民もみんな、鬼の話題で持ちきりだ。 その頃、東山から安居院の辺りへ出かけたときの事、四条より北側の人が、皆、北に 向かって走っていた。「一条室町に鬼が居る。」と言い立て合っている。今出川の辺 りから見れば、院の御桟敷のあたりには、さらに大勢の人が居て、大変な混雑になっ ていた。最初から、根も葉もないことだろうと思ってはいたが、人を遣って調べさせ ると、まったく、会えた者は居なかった。日が暮れる頃までそんな風に騒いで、果て は喧嘩まで起こるのだから、嘆かわしいことだ。 その頃、一様に、二、三日、人々が病気になることがあったが、あの、鬼の話は、こ の前兆だったという人も居る。 ※ 「ご隠居はん。最後に虚言と言ってますから、ここでの訳文では兼好さんは最初から 信じていなかったようにしてみました。」 「昔っから人というのは、怖いもの見たさという好奇心と、原因のわからないものの 因果を、他の出来事に求めてしまう習性がある。そこから迷信なんかも生まれるのだ けれど、そこに付け入る人間も居るという批判なんだろうね。」 応長:花園帝の時代の元号。一年のみ。 院:この頃は後宇多院のこと。 院の御桟敷:一条大路にある賀茂祭見物のための桟敷。
2006/09/10(Sun)
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