第七十段 元応の清暑堂の御遊に |
元応(ゲンオウ)の清暑堂(セイシヨダウ)の御遊(ギヨイウ)に、玄上(ゲンジヤ ウ)は失せにし比、菊亭大臣(キクテイノオトド)、牧馬(ボクバ)を弾(タン)じ 給ひけるに、座に著(ツ)きて、先(マ)づ柱(ヂユウ)を探られたりければ、一つ 落ちにけり。御懐(オンフトコロ)にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、 神供(ジング)の参る程によく干(ヒ)て、事故(コトユヱ)なかりけり。 いかなる意趣(イシユ)かありけん。物見ける衣被(キヌカヅキ)の、寄りて、放ち て、もとのやうに置きたりけるとぞ。 ※ 元応の頃清暑堂で行われた演奏会、玄上が盗まれた頃に当たるのだが、菊亭大臣は、 牧馬を弾くため、座について、準備をしていると、柱という部品が一つ取れてしまっ た。懐に続飯を持っていたので接着してみると、神に供物を供えたりしているうちに よく引っ付き、問題なく演奏できた。 どういう考えがあったのだろうか。被衣姿の観客が、牧馬に近づいて、柱を外して、 元のように置いていったんだ。 ※ 「ご隠居はん。大事な琵琶が盗まれてすぐ、それに次ぐ琵琶を、見知らぬ人間が近づ けるような場所に置いていたなんて、考えられませんねぇ。それにご飯粒で修理っ て。」 「楽器の演奏者は修理道具を持ち歩くものなのかもね。ご飯粒が正式な道具なのかは 分からないけれど。」 「すぐ乾いてしまう物ですから、演奏のたびに準備するのでしょうか。変な話です ね。それと、この女がどうなったのか、この話の続きを知りたいものです。」 元応:後醍醐天皇の時代。後醍醐天皇自身琵琶の名手だそうです。 清暑堂:平安京内裏にある演奏会場の一つ。 玄上、牧馬:琵琶の名器。この頃盗まれた玄上は2年後ある屋敷にあると言うこと で、六波羅探題の強制捜査を受、無事戻るそうです。 菊亭大臣:藤原兼季。西園寺兼季とも。 このあたりの話について詳しく書かれたサイトがありました。 http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/mori-shigeaki-godaigo-bunka.htm ここを読むと、政治的な謀略がありそうな感じも。 玄上は以前にも盗まれたと言う話があります。 その辺りはこちらのサイトで http://d.hatena.ne.jp/hananusubito/20070103 柱:琵琶の一部。 図解はこちらのサイトで。 http://www.diana.dti.ne.jp/~pipars/bi5.html 続飯(そくい):飯粒をつぶして造ったのり。現代の辞書にも載っているのでその まま使いました。 2007/02/17(Sat)
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