週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第四十段 因幡国に
 因幡国(イナバノクニ)に、何(ナニ)の入道(ニフダウ)とかやいふ者の娘、かた
 ちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗(クリ)をのみ食
 ひて、更に、米(ヨネ)の類(タグヒ)を食はざりれば、「かゝる異様(コトヤウ)
 の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許(ユル)さざりけり。 
 
 ※
 因幡の国に住む、何とかという入道の娘、大変な美人だということで、多くの男が言
 い寄って来たけれど、この娘、ただ栗のみを食べ、米などは食べないので、「こんな
 おかしな娘、人前に出せない」と、親は許さなかった。
 
 ※
 「ご隠居はん、ついに来ましたね。第二百二十九段の『よき細工は、少し鈍き刀をつ
 かふといふ。・・・』と共に、徒然草を始めるきっかけの段です。」
 「何を書き、何を書かないか。の段だね。」
 「三位以上の人が仏門に入ることを入道と言うそうですから、いい家の娘が栗しか食
 べない。これは甘やかした結果ということなのか、嫁にやりたくないと言う親ばかの
 話なのか、もっと他に何かあるのか未だにわかりません。」
 「わからないままおいておくのもいいのではないかな。」
2006/07/02(Sun)

第三十九段 或人、法然上人に
 或人(アルヒト)、法然(ホフネン)上人に、「念仏の時、睡(ネブリ)にをかされ
 て、行(ギヤウ)を怠り侍る事、いかゞして、この障(サハ)りを止(ヤ)め侍ら
 ん」と申しければ、「目の醒(サ)めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりけ
 る、いと尊(タフト)かりけり。 
 
 また、「往生(ワウジャウ)は、一定(イチジヤウ)と思へば一定、不定(フジヤ
 ウ)と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。 
 
 また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。 
 
 ※
 ある人が、法然上人に、「念仏を唱えていると、睡魔に襲われて、修行を怠ってしま
 うのですが、どうしたら、ちゃんと修行できますか」と訊ねれば、「眠くないときだ
 け、念仏を唱えればいいのだよ」と答えたと言うことだ、確かにその通りだ。
 
 また、「極楽へは、行けると思えば行ける、行けないと思えば行けない」と仰った。
 これもまたその通り。
 
 そしてまた、「疑いながらも、念仏を唱えれば、極楽へ行ける」とも仰った。これも
 その通りなんだな。
 
 ※
 「ご隠居はん。法然上人とはウイットに富んだ人だったのですね。」
 「これはねウイットと言うより、念仏を唱えるということにはそれだけ強い法力があ
 るって言っているわけ。」
 「なんだ、そうなのですか。」
 「人間は修行中に眠ってしまったりするだらしなさや、極楽なんて本当にあるのかな
 ぁと迷ったりする生き物なのだけど、そういう人々も救済されますよ。そういうお話
 だね。」
2006/06/25(Sun)

第三十八段 名利に使はれて
 名利(ミヤウリ)に使はれて、閑(シヅ)かなる暇(イトマ)なく、一生を苦しむる
 こそ、愚かなれ。 
 
 財(タカラ)多ければ、身を守るにまどし。害を賈(カ)ひ、累(ワヅラヒ)ひを招
 く媒(ナカダチ)なり。身の後には、金(コガネ)をして北斗(ホクト)を支(サ
 サ)ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽し
 み、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉(キンギョク)の飾りも、心あ
 らん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金(コガネ)は山に棄(ス) て、玉
 (タマ)は淵(フチ)に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。 
 
 埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位(クラヰ)高く、やん
 ごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生れ、時
 に逢(ア)へば、高き位に昇り、奢(オゴリ)を極むるもあり。いみじかりし賢人・
 聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。偏(ヒトヘ)
 に高き官(ツカサ)・位を望むも、次に愚かなり。 
 
 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉(ホマレ)も残さまほしきを、つらつら思へば、
 誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉(ホ)むる人、毀(ソシ)る人、共に世
 に止(トド)まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰(タレ)をか
 恥(ハ)ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉はまた毀りの本(モト)なり。身の後
 (ノチ)の名、残りて、さらに益(エキ)なし。これを願ふも、次に愚かなり。 
 
 但(タダ)し、強(シ)ひて智(チ)を求め、賢(ケン)を願ふ人のために言はば、
 智恵(チエ)出でては偽(イツワ)りあり。才能は煩悩(ボンナウ)の増長(ゾウチ
 ヤウ)せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智
 といふべき。可(カ)・不可(フカ)は一条(イチデウ)なり。いかなるをか善とい
 ふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功(コウ)もなく、名もなし。誰か知り、
 誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本(モト)より、賢愚(ケン
 グ)・得失(トクシツ)の境(サカヒ)にをらざればなり。 
 
 迷ひの心をもちて名利の要(エウ)を求むるに、かくの如し。万事は皆(ミナ) 非
 (ヒ)なり。言ふに足らず、願ふに足らず。 
 
 ※
 名利にとらわれて、ゆったりと過ごすひと時もないほど、一生あくせくするなんて、
 愚かなことだよな。
 
 財産が多ければ、身を守ることに困る。害、煩いを招く元凶だからだ。死んだあと、
 北斗星を支えられるほどの金があっても、残された人にとっては煩いになる。愚かな
 人の目を楽しませるなんてのも、更に意味がないことだよな。大きな車、肥えた馬、
 豪華な飾りも、心ある人には、かえって、馬鹿だなと思われるだけだ。金は山に捨
 て、宝石は河に投げ込め。
 そんなものをほしがるのは、とても愚かなことなのだ。
 
 後世に名を残さないというのも、理想の姿だ。位が高く、家柄もよいとしても、優れ
 た人とは言えない。愚か者でも、いい家に生まれ、時流に乗れば、高い位に就き、驕
 りを極めることができる。昔の賢人・聖人は、自らの意志で低い身分に留まり、時流
 に逢わず死んでゆく、そういうことも多かった。
 なんとしても高い官位に就こうとするのは、次に愚かなことなのだ。
 
 知性と心について、世に栄誉を残したいと思ったけれど、よく考えてみると、栄誉を
 求めると言うのも、他人からの評価を喜ぶことで、誉める人も、謗る人も、共に死ん
 でゆくのだ。そのことを伝え聞いた人もまた、この世から居なくなる。誰に恥じ、誰
 に知られることを願うのだ。栄誉と言うのも謗りの原因になる。死んだあと、名が残
 ったとしても、さらに益なんてない。
 これを願うのも、次に愚かなことなのだな。
 
 ただし、どうしても智を求めたり、賢を願う人のために言っておく、智恵が出るとい
 ずれ偽りが出る。才能とは煩悩が増長したものだ。伝え聞いたり、学んだりするの
 は、本当の智ではない。どんなことを智と思っているんだい。善悪も同じこと。何を
 善と言うんだい。悟った人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もない。だから誰
 にも知られず、誰にも伝えられない。だからといって、徳を与えず、愚を許すという
 ことではない。最初から、賢愚、得失なんてどうでもよいと悟っているのだ。
 
 迷いの心を持って名利を求めると、こんな風になる。全て駄目だね。話題にするほど
 のことでもないし、願うほどのことでもないということだ。
 
 ※
 「ご隠居はん。久々に怒ってますね。とっても早口で、まくし立てられている気分で
 す。」
 「兼好にしてはあまりに率直過ぎないだろうか。今までの段では、何か隠された意味
 があるのかと思わされるものが多かったからね。」
 「そうですね、これなら私にも無常観というものがわかりますよ。」
2006/06/18(Sun)

第三十七段 朝夕隔てなく
 朝夕(アサユフ)、隔(ヘダ)てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひき
 つくろへるさまに見ゆるこそ、「今更(イマサラ)、かくやは」など言ふ人もありぬ
 べけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。 
 
 疎(ウト)き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。 
 
 ※
 一日中、身近に居る人が、ふとした時、私に気を遣って、遠慮している様子を見る
 と、「今更水臭いなぁ」などと言う人も有るけれど、なかなか、礼儀正しい、立派な
 人だと思うな。
 
 あまり親しくない人が、気さくに話しかけてくるというのも、また、よい気遣いだと
 思うな。
 
 ※
 「ご隠居はん、親しい仲にも礼儀ありですか。」
 「そうだね。」
 「ある時は、相手を立て、ある時は打ち解ける。いわばもてなしの事ですよね。」
 「これは我々の時代でも同じだね。でも、これができる人って少ないと思わんかね。
 兼好の時代にもそう多くは居なかったのだろうね。」
2006/06/11(Sun)

第三十六段 久しくおとづれぬ比
 「久しくおとづれぬ比(コロ)、いかばかり恨(ウラ)むらんと、我が怠(オコ
 タ) り思ひ知られて、言葉(コトノハ)なき心地するに、女の方(カタ)より、
 『仕丁 (ジチヤウ)やある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれ
 しけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍(ハンベ)りし、さもあるべき事
 なり。 
 
 ※
 「長い間連絡してなくって、どんなに怒っていることだろう、自分のだらしなさに気
 づいたところで、言い訳する言葉も見つからないのに、女のほうから、『お手伝いさ
 ん居ませんか。一人でよいのですけれど。』と声を掛けてくれたんだ、ありがたかっ
 たし、うれしかったよ。こういう心遣いができる女っていいよね。」と人が言ってた
 な、まぁよくあることだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、兼好さんも連絡してない人が居るのでしょうか。出家して連絡しづら
 いのかな。」
 「好意的に読めば、心遣いのできる女性を褒めているのだけれど、まぁ、自分も含め
 て男というのは情けないと言っているのですな。」
 「情けない、あ、わかった。負い目を感じているんですよ。負い目を感じるようなこ
 とをしたから連絡できなかった。そこに助け舟が出たんで、単純に喜んでいるのです
 よ。・・・ん、まってください、なんとなく手のひらで転がされているような..。」
 「みなまでいうな。」
2006/06/04(Sun)

第三十五段 手の惡き人の
 手の惡(わろ)き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうる
 さし。
 
 ※
 字が下手な人が、それを気にせず手紙をどんどん書くのはよし。格好悪いからと他人
 に書かせるのは鬱陶しいよね。
 
 ※
 「ご隠居はん。調べたところによると、兼好さんは恋文の代筆をしていたそうです
 よ。」
 「それは鬱陶しいだろうね。」
 「書かせるほうもほうですが...。」
 「手紙を書いて気持ちを伝えるのなら自筆じゃないとね。」
 「そうですよ、これじゃぁ詐欺ですよ。」
 「字が下手でもいいのだ。文字そのものではなく、中身が問題と言いたいところだけ
 ど、それを言うとワープロやメールでもいいのかとなるし。」
 「代筆もいいことになりますね。字が下手なだけでマイナスでしょうし。それに下手
 な文字で気持ちが伝わるのか、受け手の側にも教養と余裕を要求しますよね。」
 「結局、代筆は鬱陶しいというところで留めておくのがいいのかな。」
2006/05/28(Sun)

第三十四段 甲香は
 甲香(カヒカウ)は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし出でた
 る貝の蓋なり。 
 
 武蔵国金沢(カネサハ)といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」と
 ぞ言ひし。 
 
 ※
 甲香とは、ほら貝の様な形の、小さくて、口のところが細長く出ている貝の蓋のこと
 なんだ。
 
 武蔵国金沢の海辺で採れるのだけど、土地の者は、「へだなりと申します。」と言う
 のだよ。
 
 ※
 「ご隠居はん。お香の材料に『甲香』と書いて『へなたり』と読むものがありま
 す。」
 「なるほどね。徒然草では『コウコウ』と読むのだけどね。兼好は関東に行った時、
 京での呼名と違っていたので書き記したのかな。それにしても『申し侍る』って他に
 何か意味があるのかな。」
 「そうですよね。なんだか地元の人が単なる貝の蓋扱いしていないことがおかしかっ
 たのかなぁ。何か引っかかります。」
2006/05/21(Sun)

第三十三段 今の内裏作り出されて
 今の内裏(ダイリ)作り出(イダ)されて、有職(イウシヨク)の人々に見せられけ
 るに、いづくも難(ナン)なしとて、既(スデ)に遷幸(センカウ)の日近く成りけ
 るに、玄輝門院(ゲンキモンヰン)の御覧じて、「閑院殿(カンヰンドノ)の櫛形
 (クシガタ)の穴は、丸(マロ)く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじ
 かりけり。 
 
 これは、葉(エフ)の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされに
 けり。 
 
 ※
 今の御所が出来上がった時、有識者たちに検分させたところ、完璧だと言うことだっ
 たのに、遷幸の日が迫ったある日、玄輝門院がご覧になって、「閑院殿の櫛形の窓
 は、丸くて、縁もなかったのですよ」と仰せられた、さすがだな。
 
 これは、葉の形をした、木で縁を造っていたのだが、誤りだったので、作り直され
 た。
 
 ※
 「ご隠居はん。素直に読めば、50年以上前に失われた閑院殿の窓の形を当時14歳の玄
 輝門院が覚えていたことに対して感心していると言うことですが。」
 「徒然草が批判精神を込めているとして読んだらどうなるかな。」
 「そうですねぇ、有識の者達は新しい御所の出来栄えを褒めてごまをすったつもり
 が、そんな必要のない玄輝門院にダメなものはダメと言われたという事でしょうか。
 
 玄輝門院:後深草天皇の妃(1246-1329年)第二十七段で退位した花園天皇の祖母。
 閑院殿:藤原冬嗣の邸宅。平安時代に建築され、高倉天皇(在位1168-1180年)の時
 より御所として使われ、後深草天皇(在位1246-1259年)が御所として使っていた
 1259年焼失し、以後再建されていない。
2006/05/15(Mon)

第三十二段 九月廿日の比
 九月廿日(ナガツキハツカ)の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見あ
 りく事侍りしに、思(オボ)し出(イ)づる所ありて、案内せさせて、入( イ)り
 給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫(カヲ)り
 て、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。 
 
 よきほどにて出(イ)で給ひぬれど、なほ、事ざまの優(イウ)に覚えて、物の隠れ
 よりしばし見ゐたるに、妻戸(ツマド)をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。
 やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知ら
 ん。かやうの事は、ただ、朝夕(アサユフ)の心づかひによるべし。 
 
 その人、ほどなく失(ウ)せにけりと聞き侍りし。 
 
 ※
 九月二十日のころ、ある人より供を仰せつかり、夜明けまで月を見ながら歩くことに
 なったんだけど、ふと思い出した所があったらしく、案内を頼み、入らせてもらっ
 た。
 露に覆われた荒れた庭に、たきものの香りが、自然な感じで薫っていて、そのことで
 やっと人が暮らしているのだとわかるような、しんみりしていてなかなかいい感じの
 お屋敷だった。
 
 そのうち満足して出てきたのだけれど、なお、その屋敷の佇まいに惹かれて、物陰よ
 りしばらく見入っていると、客を見送ったあと門の戸を更に開けて、月を眺めている
 ようだった。もしすぐに屋敷に入って戸を閉められたなら、少し嫌な気分になったか
 もしれない。そんなところを見ている人が居るなんて、知るわけはないだろう。でも
 こういう心遣いは、ただ、一朝一夕にできるものではないよね。
 
 その人、程なく亡くなったそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん。いい人は早死にするもんですね。我々は長生きしそうですね。」
 「はははは、何をゆうてるんや。」
 「それはともかく驚いたのは、この時代夜通し歩いて月見る風習があったのかと。な
 にせ夜中に他家へ訪ねていくということは、どこの家もそうしていたということでし
 ょう。」
 「今の暦で11月10日頃か。夜は冷え込むはずだね。」
 「暦見ても載ってませんね。」
2006/05/07(Sun)

第三十一段 雪のおもしろう降りたりし朝
 雪のおもしろう降りたりし朝(アシタ)、人のがり言ふべき事ありて、文(フミ) 
 をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事(カヘリコト)に、「この雪いかゞ見る
 と一筆(ヒトフデ)のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ事、聞き
 入(イ)るべきかは。返(カヘ)す返(ガヘ)す口をしき御心(ミココロ)なり」と
 言ひたりしこそ、をかしかりしか。 
 
 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。 
 
 ※
 雪がいい感じで降った朝、ある人にお願い事があったので、手紙を出したのだけれ
 ど、雪については触れないようにしたら返事に、「この雪であれこれ思ったと少しも
 書かないような、そんな無粋な方の仰る事、聞き入れるべきなのか。もう最低だ
 わ。」と書かれていたのが、おかしかった。
 
 今は亡き人なので、こういうことも忘れられない。
 
 ※
 「ご隠居はん、チョー最低って言われたようですが。」
 「なぜそう思われたのかの原因は雪にあるのだろうけど、どんな雪が降ったのだと思
 う?」
 「京都には珍しい大雪なのかと、ただそう思ったのですが。」
 「家も埋まるような大雪なのか、あたり一面が白く染まる程度の雪なのか。」
 「あ、わかりましたよご隠居はん。見ると二人の共通の思い出が浮かぶような、そん
 な雪なんですよ。」
 「それをわざと書かないで相手の反応をうかがって、おかしがっている。」
 「はは、なるほど。でも、亡くなったのですね。」
 「ここのところ、亡くなった人の思い出を書き続けている。寂しいのだろうかね。」
2006/04/30(Sun)

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