週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第八十九段 奥山に、猫またといふものありて
 「奥山に、猫(ネコ)またといふものありて、人を食(クラ)ふなる」と人の言ひけ
 るに、「山ならねども、これらにも、猫の経上(ヘアガ)りて、猫またに成りて、人
 とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏(ナニアミダブツ)とか
 や、連歌(レンガ)しける法師の、行願寺(ギヤウグワンジ)の辺にありけるが聞き
 て、独り歩(アリ)かん身は心すべきことにこそと思ひける比(コロ)しも、或所に
 て夜更(ヨフ)くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川(コガハ)の端(ハ
 タ)にて、音(オト)に聞きし猫また、あやまたず、足許(アシモト)へふと寄り来
 て、やがてかきつくまゝに、頚(クビ)のほどを食はんとす。肝心(キモゴコロ)も
 失せて、防(フセ)かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助け
 よや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、こ
 のわたりに見知れる僧なり。「こは如何(イカ)に」とて、川の中より抱(イダ)き
 起したれば、連歌の賭物(カケモノ)取りて、扇(アフギ)・小箱(コバコ)など懐
 (フトコロ)に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有(ケウ)にして助かりたるさまに
 て、這(ハ)ふ這ふ家に入りにけり。
 
 飼ひける犬の、暗けれど、主(ヌシ)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。
 
 ※
 「山奥に、猫またというのがいて、人を食うそうだ。」とある人が言ったところ、
 「山ではないけれど、この辺りでも、猫の年老いたのが、猫またになって、人を襲う
 ことがあるよ。」と話しているのを、何とか阿弥陀仏とか名乗っている、連歌をする
 法師で、行願寺辺りに居るのが聞いていて、一人で歩くときは気をつけないとな、と
 思っていた丁度その頃、ある所で、夜遅くまで連歌をし、一人帰り道を歩いていたと
 ころ、小川のそばで、うわさに聞いていた猫またが、まっすぐ、足もとへ近づいて来
 て、そして飛びついたと思うと、首の辺りを食おうとした。あまりの驚きに腰が抜
 け、振りほどこうにも力が出ず、足もともよろめいて、小川へ転がり込み、「助けて
 くれ!猫またがでた!でた!」と叫んだので、家々から、松明を灯して走り寄ってみ
 れば、この辺りで見知った僧だった。「どうしたんです?」と、川の中から助け出し
 てみれば、連歌の賞品だろう、扇・小箱など懐に持っていたものも、ずぶ濡れになっ
 ていた。九死に一生を得たという感じで、這い蹲りながら家に逃げ込んだそうだ。
 
 飼っていた犬が、暗い中で、主人を見つけ、飛びついただけなんだけれどね。
 
 ※
 「ご隠居はん、暗いところで動くものを見て驚いたのですけど、よく考えたら自分の
 影でした。」
 「・・・・」
 「幽霊の正体見たりってのですね。仕方のない坊主ですよ。まったく。」
 「それでは坊主のことは笑えんがな。」
 「いつもは、これ兼好自身のこと?と思うこともあるのですが、今回はわざわざ何阿
 弥陀仏とか言って、自分のことではないって強調してますね。」
 「そりゃぁ坊主のくせに、賞品目当てに夜な夜な連歌して、噂話を本気にするなん
 て、情けなさ過ぎるからね。それに金品を持ってびくびくしていたんだろうね。」
 「それは欲深さからくるのでしょうね。」
2007/09/09(Sun)

第八十八段 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちた
 或者(アルモノ)、小野道風(ヲノノタウフウ)の書ける和漢朗詠集(ワカンラウエ
 イシフ)とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝(ゴサウデン)、浮ける事には侍ら
 じなれども、四条(シデウノ)大納言撰(エラ)ばれたる物を、道風書かん事、時代
 や違(タガ)ひ侍らん。覚束(オボツカ)なくこそ」と言ひければ、「さ候(サウ
 ラ)へばこそ、世にあり難(ガタ)き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵(ヒサ
 ウ)しけり。
 
 ※
 ある人が、小野道風が書いたと言われる和漢朗詠集を持っていたので、他の人が、
 「代々受け伝えられてきたものなので、根拠のないものではないとは思いますが、四
 条大納言が選ばれたものを、道風が書いたとしたら、時代が合いませんね。おかしい
 とはお思いになりませんか。」と言ったところ、「だからこそ、こんなに有難い物は
 他にないのだよ」と、ますます大切にしたそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、何かください。」
 「ん?」
 「たとえ偽物でも形見として大事にしますから。」
 「何かと思えば縁起でもない。まぁ確かにその物自体の価値のほかに、思い出や謂れ
 のような価値もあるものなぁ。」
 
 
 小野道風 :平安中期(894〜966)の書家。日本の書道の創始者。
       伝称筆跡が多いそうです。
 四条大納言:藤原公任(ふじわらのきんとう)。
       平安中期(966〜1041)の中古三十六歌仙の一人。
       自身は三十六歌仙を撰んでます。
 和漢朗詠集:1018年ごろ成立したと言われる和歌・漢詩を撰集したもの。
2007/09/03(Mon)

第八十七段 下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。
 下部(シモベ)に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治(ウヂ)に住み侍りける
 をのこ、京に、具覚房(グカクボウ)とて、なまめきたる遁世(トンゼイ)の僧を、
 こじうとなりければ、常に申し睦(ムツ)びけり。或時(アルトキ)、迎へに馬を遣
 (ツカハ)したりければ、「遥(ハル)かなるほどなり。口(クチ)づきのをのこ
 に、先(マ)づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よゝと
 飲みぬ。
 
 太刀(タチ)うち佩(ハ)きてかひがひしげなれば、頼(タノ)もしく覚えて、召
 (メ)し具(グ)して行くほどに、木幡(コハダ)のほどにて、奈良法師(ナラボフ
 シ)の、兵士(ヒヤウジ)あまた具(ア)して逢ひたるに、この男立ち向ひて、「日
 暮れにたる山中(サンチユウ)に、怪しきぞ。止(トマ)り候へ」と言ひて、太刀を
 引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺(ス)り
 て、「現(ウツ)し心なく酔(ヱ)ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」と言ひけ
 れば、おのおの嘲(アザケ)りて過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「御房(ゴバ
 ウ)は口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名(カウミヤウ)
 仕らんとするを、抜ける太刀空(ムナ)しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬り
 に斬り落としつ。
 
 さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人(サトビト)おこりて出であへば、
 「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負(テ
 オ)ほせ、打ち伏せて縛(シバ)りけり。馬は血つきて、宇治大路(ウヂノオホチ)
 の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた走らかしたれば、具覚房はく
 ちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、舁(カ)きもて来つ。辛き命(イノチ)
 生きたれど、腰斬り損(ソン)ぜられて、かたはに成りにけり。
 
 ※
 下男に酒を飲ませるのなら、気をつけたほうがいいよ。
 宇治に住んでいたある男は、京に住む具覚房という、浮世離れした僧と、小舅の間柄
 で、いつも親しくしていた。ある時、迎えに馬を遣わせたら、「時間はまだある。馬
 つきの男に、一杯飲ませておけ。」と、酒を出させれば、出されるままに、ぐびぐび
 と飲み干した。
 
 太刀を腰に下げきびきぎとした動きに、頼もしさを覚えながら、召し連れて行くと、
 木幡の辺りで、奈良法師が、多くの兵を引き連れている集団に出くわしたのだが、こ
 の男は立ちはだかり、「日暮れの山中に、怪しい奴らだ。止まれ!」と言って、太刀
 を引き抜いた、向こうも皆、太刀を抜き、矢をつがえだしたので、具覚房が手を摺り
 ながら、「こやつはただの酔っ払いです。どうかお許しください。」と言ったので、
 皆嘲笑しながら去っていった。するとこの男、具覚房に向かって、「御坊、なんとも
 ったいないことをするのです。私は酔ってなんかいませんよ。手柄を立てようとした
 のに、抜いた刀のやりどころがないではありませんか!」と怒って、具覚房を斬って
 しまった。
 
 そして、「山賊がでたぞ!」と叫んでまわり、付近の人々が何事かと集まってくる
 と、「わしこそが山賊だ!」と言い、刀を振り回し暴れるので、大勢で囲んで痛めつ
 け、取り押さえて縛り上げた。馬は血まみれになり、宇治大路にある屋敷に駆け込ん
 できた。その光景に驚き、急ぎ多くの男を向かわせ、具覚房がくちなし原にうめきな
 がら倒れているのを、探し出し、担いで連れ帰った。なんとか命は取り留めたけれ
 ど、腰を斬られたので、体が思うように動かせなくなった。
 
 ※
 「ご隠居はん、馬には帰巣本能があるのでしょうか。」
 「興味はそこか。」
 「調べてみると、あるようです。ですから馬は宇治の屋敷に帰ってきたのでしょ
 う。」
 「なるほど。」
 「ところで。」
 「何かな。」
 「京から宇治への道中で、山の部分を探すと、伏見(桃)山辺りかなと。そんなとこ
 ろに奈良の僧兵が何処へ何をしに?」
 「下男の酔っ払いの話はいいのかい。」
 「それは、今でもよくあることですから...。」
2007/08/27(Mon)

第八十六段 惟継中納言は
 惟継(コレツグノ)中納言は、風月(フゲツ)の才(ザエ)に富める人なり。一生精
 進(イツシヤウシヤウジン)にて、読経(ドツキヤウ)うちして、寺法師(テラボフ
 シ)の円伊僧正(ヱンインソウジヤウ)と同宿して侍りけるに、文保(ブンポウ)に
 三井寺(ミヰデラ)焼かれし時、坊主にあひて、「御坊(ゴボウ)をば寺法師とこそ
 申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀
 句(シウク)なりけり。
 
 ※
 惟継中納言は、和歌の上手い人だ。酒肉を断って、仏道修行をし、寺法師の円伊僧正
 と寝食を共にして暮らしていたが、文保の頃三井寺が焼かれた時、僧正に向かって、
 「御坊を今まで寺法師とお呼びしていましたが、寺がなくなったので、これからはた
 だ法師とお呼びしましょう」と言ったとか。まぁ立派なお言葉で。
 
 ※
 「ご隠居はん、近所のパン屋が火事で焼けましたので、これからは近所の焼きたての
 パン屋と呼びましょう。」
 「なんのこっちゃ。」
 「いえ、不幸を笑い飛ばそうと言う意味で。」
 「まぁ惟継は居候みたいなものだから気楽だわな。」
 「別の考えとしては、最初に和歌の名人だと紹介しているのですから、もっと気の利
 いたこと言えよという嫌味なのかも。」
 「確かに洒落てはないものな。」
 「もしかすると、この二人にはいきさつがあって、例えば、『あなたは俗世を離れた
 のですから、中納言ではなく、ただの坊さんですなぁ』とか。」
 「それもまた秀句とは言えないけれどね。」
2007/08/12(Sun)

第八十五段 人の心すなほならねば
 人の心すなほならねば、偽(イツハ)りなきにしもあらず。されども、おのづから、
 正直(シヤウヂキ)の人、などかなからん。己(オノ)れすなほならねど、人の賢
 (ケン)を見て羨(ウラヤ)むは、尋常(ヨノツネ)なり。至りて愚かなる人は、た
 またま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少(スコ)しき
 の利を受けず、偽(イツハ)り飾りて名を立てんとす」と謗(ソシ)る。己れが心に
 違(タガ)へるによりてこの嘲(アザケ)りをなすにて知りぬ、この人は、下愚(カ
 グ)の性(セイ)移るべからず、偽りて小利(セウリ)をも辞(ジ)すべからず、仮
 りにも賢を学ぶべからず。
 
 狂人の真似(マネ)とて大路(オホチ)を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人
 を殺さば、悪人なり。驥(キ)を学ぶは驥の類(タグ)ひ、舜(シユン)を学ぶは舜
 の徒(トモガラ)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
 
 ※
 人の心は真っ直ぐではないのだから、偽りが無いわけはない。だからと言って、いつ
 でも、正直な人が、いないわけではないよ。自分は素直じゃないから、他人の立派さ
 を見て羨むのは、よくあることだ。もっとどうしようもなく愚かな人間というのは、
 目についた立派な人を見ては、とにかく嫌う。「あいつは大きな利を得るために、少
 しの利を取らず、格好つけてるだけさ。」と謗る。自分の考えと違うってだけでこん
 な風に嘲るんだけど、この人の、愚かさは直ることがなく、嘘でも小さな利益をこと
 わらず、立派な人の真似すらしない。
 
 狂人の真似だと言って街中を走れば、それは狂人だ。悪人の真似だといって人を殺せ
 ば、悪人となる。駿馬を見習うは駿馬だし、名君を見習えば名君となる。たとえ本心
 からではなくても立派な行いを見習う人を、優れた人という。
 
 ※
 「ご隠居はん、要するに偽悪は悪であるから、偽善も善だと。」
 「そう簡単に割り切れるだろうか。偽善と言うのはあると思うけれどね。」
 「でも、偽善と言うのは他人を嘲るとき使う言葉だってことですが。」
 「でも偽悪もないわけじゃないよ。人を殺すのは極端だけど、織田信長のようにうつ
 け者を装っていても周りからはうつけ者にしか見えないってのがその例だよ。」
 「善も悪も人為であることに変わりありませんが、そういうことなのかな。」
2007/08/06(Mon)

第八十四段 法顕三蔵の、天竺に渡りて
 法顕三蔵(ホツケンサンザウ)の、天竺(テンヂク)に渡りて、故郷(フルサト)の
 扇(アフギ)を見ては悲しび、病に臥(フ)しては漢の食(ジキ)を願ひ給ひける事
 を聞きて、「さばかりの人の、無下(ムゲ)にこそ心弱き気色(ケシキ)を人の国に
 て見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(コウユウソウヅ)、「優(イウ)に情
 ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。
 
 ※
 法顕三蔵の、天竺に渡って、故郷の扇を見ては悲しみ、病に臥しては故国の食べ物を
 欲しがるという話を聞いて、「そんな立派な人が、恥ずかしげもなく弱気な姿を他国
 に行ってまで見せたものだ。」と人が言ったところ、弘融僧都が「人間味あふれる三
 蔵じゃないか。」と言ったんだが、それこそ法師くさくない、いいこと言うじゃない
 か。
 
 ※
 「ご隠居はん、これはなんでしょう。深い意味でもあるのでしょうか。」
 「まぁ出家して坊主になって俗世から離れて修行するのは何のためか。自分のためで
 はなく人々を救うためなのだから、人の悲しみ苦しみがわからなきゃいけない。人間
 の心を失った人でなしになるためではないってことなんだよ。」
 「いつになく真面目だ。。。」
2007/07/29(Sun)

第八十三段 竹林院入道左大臣殿
 竹林院入道左大臣殿(チクリンヰンノニフダウサダイジンドノ)、太政大臣に上(ア
 ガ)り給はんに、何の滞(トドコホ)りかおはせんなれども、「珍しげなし。一上
 (イチノカミ)にて止(ヤ)みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿(トウ
 ヰンノサダイジンドノ)、この事を甘心(カンシン)し給ひて、相国(シヤウコク)
 の望みおはせざりけり。
 
 「亢竜(カウリヨウ)の悔(クイ)あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては欠
 け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。
 
 ※
 竹林院入道左大臣殿が、太政大臣になろうかというとき、何の障害もないのだけれ
 ど、「面白くない、左大臣で止めておこう。」と言って、出家してしまった。洞院左
 大臣、このことに感心して、同じく相国に成ろうとはしなかった。
 
 「亢竜の悔あり」とか言う言葉がある。月は満ちると欠け、物は盛んになれば衰え
 る。全ての事は、結末が見えると、破綻に近づくものなんだな。
 
 ※
 「ご隠居はん、天に昇った竜の後悔ってなんとなくわかりますよ。」
 「これはずいぶん美談のように書かれているけれど、西園寺家は源頼朝とは姻戚関係
 で、関東申次という鎌倉幕府との連絡役のような役職を世襲できるような立場だった
 わけ。だから皇位継承他朝廷の物事にとかく権勢を振るっていたんだよ。」
 「なるほ、だから太政大臣なんて何の権力もないただの官位には意味は無いと考えた
 のか。」
 
 
 竹林院入道左大臣:西園寺公衡、実兼の子。1311年に出家。実兼は大覚寺統へ近づ
 き、息子である公衡は持明院統側へ近づくのだけれど、それは幕府との関係が影響し
 ていて、結局幕府滅亡とともにその権勢も衰えたようです。第五十段で鬼が現れたと
 言われた西園寺が家名の由来で、鬼が現れた応長という年は1311年なんですね。
 
 洞院左大臣:藤原実泰。洞院家は西園寺家の庶流。こちらも大覚寺統持明院統両方に
 関係が深いけれど、幕府とは遠かったのが違いかな。左大臣をしていたのは1318〜
 1322年と1323〜1324年。西園寺公衡の時も藤原実泰の時も太政大臣をやったのは鷹司
 冬平なので、どちらも太政大臣をやりたくなかっただけかもしれない。
 
 太政大臣:律令制の最高位。中国風に言えば相国。天皇の師範というだけで、特に司
 る仕事はない。だから常に任官者がいたわけではないので、二人とも太政大臣を意識
 しすぎ。特に清華家でもない洞院家の者が太政大臣に成る事を意識するのは不自然で
 はないのかな。それとも何か事情があったのか。
2007/07/15(Sun)

第八十二段 羅の表紙は
 「羅(ウスモノ)の表紙(ヘウシ)は、疾(ト)く損ずるがわびしき」と人の言ひし
 に、頓阿(トンナ)が、「羅は上下(カミシモ)はつれ、螺鈿(ラデン)の軸(ヂ
 ク)は貝落ちて後(ノチ)こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚え
 しか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融(コウ
 ユウ)僧都(ソウヅ)が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事な
 り。不具(フグ)なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
 
 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置
 きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏(ダイリ)造らるゝにも、必ず、作り
 果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢(センケン)の作れる内外
 (ナイゲ)の文(フミ)にも、章段(シヤウダン)の欠(カ)けたる事のみこそ侍
 れ。
 
 ※
 「薄絹で造られた表紙は、すぐに擦れて傷んでしまうのが難点だ。」と誰かが言った
 ところ、頓阿が、「薄絹は上下がほつれ、螺鈿の軸は貝が落ちた後こそ、味があ
 る。」と言ったのは、なるほどそのとおりだと思う。数冊からなる物語など、装丁が
 揃っていないのは格好悪いと言うけれど、弘融僧都が、「物を必ず同じように揃えよ
 うとするのは、素人のする事だ。不揃いである事にもよさがあるのだよ。」と言った
 事も、全くそのとおりだ。
 
 「全て、何もかもが、整いすぎているのは、良くないことだ。少し足らないぐらい
 が、面白く、いつまでも飽きのこない出来栄えとなる。内裏を造る時にも、必ず、造
 りきらない所を残すようにしている。」と、ある人が言ってたな。昔の国内外の賢人
 が残した文章も、章段の欠けているものばかりだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、み・・」
 「盛者必衰の理をあらはす。」
 「わぁx!ま、またそれですか。
  でもまぁ、満ちたるは欠け、欠けたるは満ちですか。」
 「どこかで聞いたような。」
 
 螺鈿の軸というのは下記参照。ページの下のほうにありますよ。
 http://www.umam.jp/exhibition/backstage.html
2007/06/10(Sun)

第八十一段 屏風・障子などの
 屏風(ビヤウブ)・障子(シヤウジ)などの、絵も文字もかたくななる筆様(フデヤ
 ウ)して書きたるが、見にくきよりも、宿(ヤド)の主(アルジ)のつたなく覚ゆるな
 り。
 
 大方、持てる調度(テウド)にても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物
 を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品(シナ)なく、見にくきさまにし
 なし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふな
 り。古めかしきやうにて、いたくことことしからず、つひえもなくて、物がらのよき
 がよきなり。
 
 ※
 屏風や襖などの、絵や文字が下手な筆遣いのものなら、見栄えが悪いだけではなく、
 主がおろかに見えてしまう。
 
 そういう場合は他にも、飾られている品々で、がっかりさせられることがある。だか
 らといって高級品を持てというのではないよ。傷まないようにと、品のない、見苦し
 い状態にしたり、珍しくしようと、無意味に手を加えたりする、そういううっとうし
 い好みのことを言っているんだよ。昔からある、シンプルで、高価でない、質がよい
 ものがよいのだよ。
 
 ※
 「ご隠居はん、いつも不思議に思うことがあります。」
 「ほう、それは?」
 「エレベーターの出入り口ってステンレスで出来ているのですが、傷がつかないよう
 に、カーペットをガムテープで張り付けているところが沢山あるんです。」
 「なるほど。傷まないようにしているのだけれど、見苦しいよね。」
 「意味が無いじゃないですか。それとあと、デコレーション。車、携帯電話、爪。」
 「ん...それは個人の好みだしね。」
 「ご隠居はん、歯切れが悪いですよ。」
 
 まぁ確かに個人の好みなんですが、明らかに趣味の悪い場合もありますし(~_~;
2007/06/09(Sat)

第八十段 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、兵(ツハモノ)の道を立て、
 夷(エビス)は、弓ひく術(スベ)知らず、仏法(ブツポフ)知りたる気色(キソ
 ク)し、連歌(レンガ)し、管絃(クワンゲン)を嗜(タシナ)み合へり。されど、
 おろかなる己(オノ)れが道よりは、なほ、人に思ひ侮(アナヅ)られぬべし。
 
 法師のみにもあらず、上達部(カンダチメ)・殿上人(テンジヤウビト)・上(カ
 ミ)ざままで、おしなべて、武(ブ)を好む人多かり。百度(モモタビ)戦ひて百度
 勝つとも、未(イマ)だ、武勇(ブユウ)の名を定め難し。その故は、運に乗じて敵
 を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮(キハマ)りて、つひに敵に降
 (クダ)らず、死をやすくして後(ノチ)、初めて名を顕(アラ)はすべき道なり。
 生けらんほどは、武に誇(ホコ)るべからず。人倫(ジンリン)に遠く、禽獣(キン
 ジウ)に近き振舞(フルマヒ)、その家にあらずは、好みて益(ヤク)なきことな
 り。
 
 ※
 人はみな、縁の無いものほど好きになる。法師は、武道を、田舎武士は、弓も引けな
 いのに、仏法を知ったような顔をして、連歌や管弦を楽しんでいる。でもね、本分が
 疎かでは、なお、人から馬鹿にされるってもんだ。
 
 法師だけじゃない、上達部、殿上人、上ざままで、おおかた、武を好む人が多いもの
 だ。百度戦って百度勝っても、それでも、武勇で名を上げることは難しい。それは、
 運に乗って敵を倒すと、簡単に勇者となってしまう。兵尽き、矢窮まって、それでも
 敵に降らず、死んでこそ、初めて武勇によって名を残すことができるそういう世界だ
 からだ。生きている間は、武を誇ってはならない。武とは人倫を外れ、禽獣に近い行
 い、武家でなければ、好んだっていいことなんか一つも無いのだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、まるでマイケル・ムーアのようですね。軍事による殺人も獣なみと批
 判していますよ。」
 「まぁ批判は批判でも専門家に任せようという批判でしょう。ネオコンみたいに政治
 の中枢が軍事好きというのも困りものですから。」
 「坊主は坊主らしく、武人は武人らしくですか。」
 「そう、坊主が武士の真似事をし、武士が公家のようなことをしている世の中は、一
 見平和なのだろうけど、世の乱れの始まりだと。」
 「男が女のようなことをし、女が男の真似をし、大人が子供の、子供が大人のような
 ことをする今の世は、成熟しているようだけれど乱れているってことかな。遠い過去
 から見ても、そう見えるのでしょうか。」
 
 上達部:公卿ともいう。太政大臣・左右大臣・大中納言・参議三位以上の位の人。
 殿上人:五位以上の位の人と殿上に上ることを許された六位蔵人のこと。兼好は殿上
 人だったんだろうか?
2007/05/27(Sun)

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