第二百三十七段 柳筥に据うる物は |
柳筥(ヤナイバコ)に据(ス)うる物は、縦様(タテサマ)・横様(ヨコサマ)、物に よるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木(キ)の間(アハヒ)より紙ひねりを 通(トホ)して、結(ユ)い附(ツ)く。硯(スズリ)も、縦様に置きたる、筆転(コ ロ)ばず、よし」と、三条右大臣殿(サンデウノウダイジン)仰せられき。 勘解由小路(カデノコウヂ)の家の能書(ノウジヨ)の人々は、仮にも縦様に置かるゝ 事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。 ※ 柳筥に据える物は、縦向き・横向き、物によって様々だ。「巻物などは、縦向きに置い て、木の間から紙縒りを通して、結んで留める。硯も、縦向きに置くと、筆が転ばなく て、よい。」と三条右大臣殿は仰せられた。 勘解由小路の家の書家達は、間違えても縦向きに置く事は無い。必ず、横向きに据える のだ。 ※ 「ご隠居はん、こういうのが一番困るのです。想像するのが難しい。」 「見た事もないからねぇ。」 「それで、いつものように色々調べてみると、更に分からなくなりました。」 「まぁそれでもまとめてみなはれ。」 三条右大臣:不詳。三条実重(1260〜1329)内大臣の間違いではないかと言う説がある が、定かではない。三条右大臣と呼ばれる人物は他に藤原定方(873- 932)が居るが、時代が古すぎるか。 勘解由小路の家:藤原行成の子孫で世尊寺流という流派だそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%B0%8A%E5%AF%BA%E6%B5%81 この流派には筆の置き方についての作法があったのだろうか? 柳筥の成り立ちについては下を参照。 http://www.bag.or.jp/HISTORY/U_kiryu.html 柳筥を作った人のブログ。 http://mublog.sblo.jp/ 現代では、柳筥といえばこういう箱を指すようです。 枝を加工して、紐で編むのではなく、板に溝を掘って作っています。 こんな風に使っていたのか? http://f1.aaa.livedoor.jp/~heiankyo/co200508-1-54.htm これでは、枝を紐で編んだのでは、強度が足りない様な... 2010/12/04(Sat)
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第二百三十六段 丹波に出雲と云ふ所あり |
丹波(タンバ)に出雲(イヅモ)と云ふ所あり。大社(オホヤシロ)を移して、めでた く造れり。しだの某(ナニガシ)とかやしる所なれば、秋の比、聖海(シヤウカイ)上 人、その他も人数多(ヒトアマタ)誘ひて、「いざ給(タマ)へ、出雲拝(ヲガ)み に。かいもちひ召(メ)させん」とて具(グ)しもて行きたるに、各々(オノオノ)拝 みて、ゆゝしく信(シン)起したり。 御前(オマヘ)なる獅子(シシ)・狛犬(コマイヌ)、背きて、後(ウシロ)さまに立 ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様(ヤウ)、 いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(トノバラ)、殊勝(シユシ ヤウ)の事は御覧(ゴラン)じ咎(トガ)めずや。無下(ムゲ)なり」と言へば、各々 怪(アヤ)しみて、「まことに他(タ)に異(コト)なりけり」、「都(ミヤコ)のつ とに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔した る神官(ジングワン)を呼びて、「この御社(ミヤシロ)の獅子の立てられ様、定めて 習ひある事に侍らん。ちと承(ウケタマハ)らばや」と言はれければ、「その事に候 ふ。さがなき童(ワラワベ)どもの仕りける、奇怪(キクワイ)に候う事なり」とて、 さし寄りて、据(ス)ゑ直して、往(イ)にければ、上人の感涙(カンルヰ)いたづら になりにけり。 ※ 丹波に出雲という所がある。大社を配した、立派な造りだ。しだの何とかという人の領 地で、秋頃、聖海上人、他大勢を誘って、「どうぞお越しください、出雲参りに。かい もちをご馳走いたします」とのことだったので連れだって行き、それぞれ拝んで、心か ら祈った。 神前の獅子・狛犬が、背を向け、後ろ向きに置かれていたので、上人、有難く感じて、 「おぉ何と素晴らしい。この獅子の姿は大変珍しい。深い謂れがあるに違いない」と涙 ぐみながら、「どうですか皆様方、この素晴らしさにお気づきではないのですか。つれ ないことですな」と言うので、みな不思議がりながら、「まことに他とは違います なぁ」、「都の人々にも教えなければ」などと言ったが、上人、もっと知りたくなっ て、年配で、物事に詳しそうな神官を呼んで、「この御社の獅子の配置には、特別な習 わしがあると思うのです。ぜひお聞きかせください」と言ったところ、「その事です か。近所の悪ガキの仕業でして、怪しからん事です」と、近づいて、向きを直し、立ち 去ってしまったので、上人の感涙は無駄になった。 ※ 「ご隠居はん、何事も大げさに騒がないほうが良さそうですね。」 「映像を見ただけでは分からない事が沢山あると言う事だろうね。」 「えぇっ?なぜ映像なんですか。」 「最近そう思う事は無いかね。」 出雲大神宮 兼好さんの時代、出雲神社と言えばここの事だそうです。出雲大社は明治になってから 名称を変更したそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE 2010/11/27(Sat)
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第二百三十一段 園の別当入道は |
園(ソノ)の別当入道(ベツタウニフダウ)は、さうなき庖丁者(ホウチヤウジヤ)な り。或人の許(モト)にて、いみじき鯉(コヒ)を出だしたりければ、皆人(ミナヒ ト)、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけ るを、別当入道、さる人にて、「この程(ホド)、百日(ヒヤクニチ)の鯉を切り侍る を、今日(ケフ)欠(カ)き侍るべきにあらず。枉(マ)げて申し請(ウ)けん」とて 切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、或人、北山太政入 道(キタヤマノダイジヤウニフダウ)殿に語り申されたりければ、「かやうの事、己 (オノ)れはよにうるさく覚ゆるなり。『切りぬべき人なくは、給(タ)べ。切らん』 と言ひたらんは、なほよかりなん。何条(ナデウ)、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひ たりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。 大方(オホカタ)、振舞(フルマ)ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝り たる事なり。客人(マレビト)の饗応(キヤウオウ)なども、ついでをかしきやうにと りなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出でたる、いとよし。 人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉(タテマツ)らん」と云ひたる、ま ことの志なり。惜しむ由(ヨシ)して乞(コ)はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづ けなどしたる、むつかし。 ※ 園の別当入道は、又なき料理人だ。ある人の所で、立派な鯉が出された、皆、別当入道 の包丁さばきが見たいと思いながらも、容易くお願いしていいものかとためらっている と、別当入道は、察したようで、「この程、百日連続で鯉を切るという目標を立てたの ですが、今日で途切れさせるわけにはいきません。是が非でも切らせてもらいたい。」 と言ってさばき始めた、とてもその場にふさわしく、大変盛り上がったと、ある人が、 北山太政入道殿にお話しされたところ、「そのような事、私は芝居じみていていやだ な。『さばく人が居ないのでしたら、こちらへ。さばきますよ。』と言う程度で、よい のだ。なんなのだ、百日連続で鯉を切るって」とおっしゃった、全くだと思ったと人か ら聞いたのだが、全くその通りだね。 大抵の場合、わざわざ盛り上げなくとも、上品である事の方が、勝っているのではない かな。大事なお客をもてなすときも、下にも置かないようにするのも、よいけれど、単 に、いつも通りにする方が、よいのだよ。人に物を贈る時も、もったいぶらずに、「こ れを差し上げます」というのが、真心というものだ。惜しめば欲しがってくれると思っ たり、勝負事の賭け物にしたりするのも、嫌なものだね。 ※ 「ご隠居はん、大阪人は、わざと盛り上げようとしますからねぇ。」 「いや、あれはわざとじゃない。自然とだよ。いつも通り。」 「まぁ...そうですかね。」 「ただ、上品とは程遠いけどのう。」 「いとをかし。」 園の別当入道:藤原基氏のこと。 北山太政入道:西園寺実兼(1249-1322)のこと。 北山太政入道って人は、鯉の話になると出てきますねぇ。 第百十八段 鯉の羹食ひたる日は http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=12#120 2010/10/23(Sat)
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第二百三十段 五条内裏には |
五条内裏(ゴデウノダイリ)には、妖物(バケモノ)ありけり。藤大納言殿語(トウノ ダイナゴンドノ)られ侍りしは、殿上人(テンジヤウビト)ども、黒戸(クロド)にて 碁を打ちけるに、御簾(ミス)を掲げて見るものあり。「誰(タ)そ」と見向きたれ ば、狐、人のやうについゐて、さし覗(ノゾ)きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、 惑(マド)ひ逃げにけり。 未練(ミレン)の狐、化け損じけるにこそ。 ※ 五条にある内裏には、化物が居るのだそうだ。藤大納言殿が仰るところによると、殿上 人たちが、黒戸で碁を打っていると、御簾を掲げて見ている者が居た。「誰だ」と振り 向いたところ、狐が、人のようにひざまづいて、覗いていたので、「わっ狐だ」と大声 で叫んだら、驚いて逃げていった。 未熟な狐が、化け損ねたのだろう。 ※ 「ご隠居はん、これは藤大納言が女を振ったが付き纏われたという自慢話では?」 「そうだとするとひどい話じゃないか。」 「まぁそうなんですけど、有り得るでしょう。」 「それを子供に聞かせるのに、おどけて化物の話にしたと。」 「はい。大人になって本当の意味がわかってはいたけれど、そのまま書き記した。」 「まぁ有り得るか。」 藤大納言:二条為世(1250-1338)のこと。兼好の師です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%82%BA%E4%B8%96 黒戸と言えば第176段 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=18#179 こちらは建物全体が黒戸です。 2010/10/16(Sat)
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第二百二十九段 よき細工は |
よき細工(サイク)は、少し鈍き刀(カタナ)を使ふと言ふ。妙観(メウクワン)が刀 はいたく立たず。 ※ よい細工と言うものは、少し切れ味の悪い刃物を使っているそうだ。妙観の使っていた 刃物は大層切れ味が悪いそうだ。 ※ 「ご隠居はん、色々と取り上げられることの多い段です。」 「そうだね」 「でも不思議なのは、現代では妙観は知られた存在ではありませんし、作った像につい ても有名なものはありません。」 「兼好の時代から見ても500年も前の人だから伝説化していたのかもね。」 「それと、鈍いというのは切れ味だけなんでしょうか。見た目なんかはどうなのでしょ う。刃や柄ががすり減っていたり、手あかで黒くなってたり。」 「そういう部分も自由に考えていいのではないかな。」 妙観:勝尾寺にやって来た仏師。本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えら れている。 勝尾寺:真言宗の寺。十一面千手観世音菩薩立像が本尊。像そのものの評価はさほど高 くなく、国宝、重文でも無い。治承・寿永の乱で焼けなかったのか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B0%BE%E5%AF%BA 勝尾寺の由来でもこの段の事が触れられています。 http://www.katsuo-ji-temple.or.jp/about/index.html 2010/10/09(Sat)
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