週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第二百三十八段 御随身近友が自讃とて
 御随身近友(ミズヰジンチカトモ)が自讃(ジサン)とて、七箇条(シチカデウ)書
 き止(トド)めたる事あり。皆(ミナ)、馬芸(バゲイ)、させることなき事どもな
 り。その例(タメシ)を思ひて、自賛の事七つあり。
 
 一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院(サイシヤウクワウヰンヘン)の辺に
 て、男(ヲノコ)の、馬を走(ハシ)らしむるを見て、「今一度(ヒトタビ)馬を馳
 (ハ)するものならば、馬倒(タフ)れて、落つべし。暫(シバ)し見給へ」とて立
 ち止(ドマ)りたるに、また、馬を馳す。止(トド)むる所にて、馬を引き倒して、
 乗る人、泥土(デイト)の中に転(コロ)び入る。その詞(コトバ)の誤らざる事を
 人皆感ず。
 
 一、当代未(タウダイイマ)だ坊(ボウ)におはしましし比(コロ)、万里小路殿御
 所(マデノコウヂドノゴシヨ)なりしに、堀川(ホリカハノ)大納言殿伺候(シコ
 ウ)し給ひし御曹子(ミザウシ)へ用ありて参りたりしに、論語(ロンゴ)の四・
 五・六の巻(マキ)をくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪(アケ
 ウバ)ふことを悪(ニク)む』と云ふ文(モン)を御覧ぜられたき事ありて、御本
 (ゴホン)を御覧ずれども、御覧じ出(イダ)されぬなり。『なほよく引き見よ』と
 仰(オホ)せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九(ク)の巻のそこそこの程
 (ホド)に侍る」と申したりしかば、「あな嬉(ウレ)し」とて、もて参らせ給ひ
 き。かほどの事は、児(チゴ)どもも常(ツネ)の事なれど、昔の人はいさゝかの事
 をもいみじく自賛(ジサン)したるなり。御鳥羽(ゴトバ)院の、御歌(ミウタ)
 に、「袖(ソデ)と袂(タモト)と、一首の中(ウチ)に悪(ア)しかりなんや」
 と、定家卿(テイカノキヤウ)に尋(タヅ)ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂
 か花薄穂(ズスキホ)に出(イ)でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事(ナニゴ
 ト)か候ふべき」と申されたる事も、「時に当(アタ)りて本歌(ホンカ)を覚悟
 (カクゴ)す。道の冥加(ミヤウガ)なり、高運(コウウン)なり」など、ことこと
 しく記(シル)し置かれ侍るなり。九条相国伊通公(クデウノシヤウコクコレミチ)
 の款状(クワジヤウ)にも、殊(コト)なる事なき題目(ダイモク)をも書き載せ
 て、自賛せられたり。
 
 一、常在光院(ジヤウザイクワウヰン)の撞(ツ)き鐘(ガネ)の銘(メイ)は、在
 兼卿(アリカネノキヤウ)の草(サウ)なり。行房朝臣清書(ユキフサノアソンセイ
 ジヨ)して、鋳型(イカタ)に模(ウツ)さんとせしに、奉行(ブギヤウ)の入道
 (ニフダウ)、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外(ホカ)に夕(ユフベ)
 を送れば、声百里(ハクリ)に聞(キコ)ゆ」と云ふ句あり。「陽唐(ヤウタウ)の
 韻(ヰン)と見ゆるに、百里誤(アヤマ)りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉
 (タテマツ)りける。己(オノ)れが高名(カウミヤウ)なり」とて、筆者(ヒツシ
 ヤ)の許(モト)へ言ひ遣(ヤ)りたるに、「誤り侍りけり。数行(スカウ)と直
 (ナホ)さるべし」と返事(カヘリコト)侍りき。数行も如何(イカ)なるべきに
 か。若(モ)し数歩(スホ)の心か。おぼつかなし。
 
 一、人あまた伴(トモナ)ひて、三塔巡礼(サンタフジユンレイ)の事侍りしに、横
 川(ヨカハ)の常行道(ジヤウギヤウダウ)の中、竜華院(リョウゲヰン)と書け
 る、古き額(ガク)あり。「佐理(サリ)・行成(カウゼイ)の間(アヒダ)疑ひあ
 りて、未(イマ)だ決(ケツ)せずと申し伝へたり」と、堂僧(ダウソウ)ことこと
 しく申し侍りしを、「行成ならば、裏書(ウラガキ)あるべし。佐理(サリ)なら
 ば、裏書(ウラガキ)あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積(チリツモ)り、虫
 の巣(ス)にていぶせげなるを、よく掃(ハ)き拭(ノゴ)ひて、各々(オノオノ)
 見侍りしに、行成位署(カウゼイヰジヨ)・名字(ミヤウジ)・年号(ネンガウ)、
 さだかに見え侍りしかば、人皆(ミナ)興に入(イ)る。
 
 一、那蘭陀寺(ナランダジ)にて、道眼聖談義(ダウゲンヒジリダンギ)せしに、八
 災(ハツサイ)と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化(シヨケ)
 皆(ミナ)覚えざりしに、局(ツボネ)の内(ウチ)より、「これこれにや」と言ひ
 出したれば、いみじく感じ侍りき。
 
 一、賢助僧正(ケンジヨソウジヨウ)に伴(トモナ)ひて、加持香水(カヂコウズ
 ヰ)を見侍りしに、未だ果てぬ程(ホド)に、僧正帰り出で侍りしに、陳(ヂン)の
 外(ト)まで僧都(ソウヅ)見えず。法師どもを返して求めさするに、「同じ様(サ
 マ)なる大衆(ダイシユ)多くて、え求め逢(ア)はず」と言ひて、いと久(ヒサ)
 しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入
 りて、やがて具(グ)して出でぬ。
 
 一、二月十五日(キサラギジフゴニチ)、月明(ツキアカ)き夜(ヨ)、うち更
 (フ)けて、千本の寺に詣(マウ)でて、後(ウシロ)より入りて、独(ヒト)り顔
 深く隠(カク)して聴聞(チヤウモン)し侍(ハンベ)りしに、優(イウ)なる女
 の、姿・匂(ニホ)ひ、人より殊(コト)なるが、分(ワ)け入りて、膝(ヒザ)に
 居(ヰ)かゝれば、匂ひなども移るばかりなれば、便(ビン)あしと思ひて、摩
 (ス)り退(ノ)きたるに、なほ居寄(ヰヨ)りて、同じ様(サマ)なれば、立ち
 ぬ。その後(ノチ)、ある御所様(ゴシヨサマ)の古き女房(ニヨウバウ)の、そゞ
 ろごと言はれしついでに、「無下(ムゲ)に(イロ)色なき人におはしけりと、見お
 とし奉(タテマツ)る事なんありし。情(ナサケ)なしと恨(ウラ)み奉る人なんあ
 る」とのたまひ出したるに、「更(サラ)にこそ心得(ココロエ)侍れね」と申して
 止(ヤ)みぬ。この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局(ミツボネ)の内よ
 り、人の御覧じ知りて、候(サウラ)ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便(ビン)
 よくは、言葉などかけんものぞ。その有様(アリサマ)参りて申せ。興あらん」と
 て、謀(ハカ)り給ひけるとぞ。
 
 
 ※
 御随身の中原近友が自慢話を、七箇条にまとめていたなぁ。全部、馬芸の事で、つま
 らなかった。それに倣って、自慢話を七つ書いてみようか。
 
 一、大勢で花見に行った時の事、最勝光院の辺りで、男が、馬を走らせているのを見
 て、「もう一度馬を走らせようものなら、馬が倒れて、落馬するだろう。暫く見てい
 ましょう」と立ち止まっていると、また、馬を走らせた。止めようと、手綱を引いた
 ところ馬が倒れてしまい、乗っていた人は、泥の中に転がり落ちた。言った通りに
 なって皆驚いていたな。
 
 一、後醍醐天皇が皇太子であられた頃、万里小路殿が御所であったが、堀川大納言が
 伺候されていた控室に用があって伺ったところ、論語の四・五・六の巻を広げられ
 て、「たった今、御所にて、『紫が、朱を奪うことを憎む』とうい原典を見たいと仰
 せになられて、あちらこちら探したのだが、見つける事ができなかったのだ。『引き
 続き探すように』と仰せなのだが、どこだったか知らないかね」との仰せに、「九の
 巻のどこそこ辺りにございます」とお答えすると「おぉありがたい」と、それを持っ
 て戻って行かれた。こんな事は、子供でも知っている事だけど、昔の人は些細なこと
 でも大げさに自慢しているからね。御鳥羽院が、御歌に、「袖と袂を、一首の中に入
 れるのは良くないだろうか」と、藤原定家に尋ねられたところ、「『秋の野の 草の
 袂か 花薄穂に 出でて招く 袖と見ゆらん』とございますので、お気になさる事は
 御座いません。」と答えた事も、「とっさに歌を思い出せた。冥利に尽きる。運が良
 かった」など、自慢げに記録を残している。九条相国伊通公の嘆願書にも、どうって
 ことない事柄を書き連ねて、自慢しているからね。
 
 一、常在光院の釣鐘の銘は、菅原在兼の草案による。藤原行房が清書して、鋳型に映
 そうとしていたところ、奉行をしていた入道に、草案を見せられたのだが、「花の外
 に 夕べを送れば 声百里に聞こゆ」という句が目に付いた。「陽唐の韻と思います
 ので、百里は誤りではないでしょうか」と言ったら、「よくぞお見せしたものだ。私
 のお手柄ですね。」といい、筆者の許へ遣いをやると、「誤りでした。数行と直して
 ください」と返事が来たのだ。数行もどうかなぁ。これは数歩という意味か。心配だ
 な。
 
 一、人を大勢引連れて、三塔を巡礼した時の事、横川の常行堂の中に、竜華院と書か
 れた、古い額があった。「佐理と行成のどちらの筆になるものなのか、未だに決着が
 付かないとの申し伝えがあります」と、堂僧がもったいぶって言うので、「行成な
 ら、裏書きがあるはず。佐理ならば、裏書きがあるはずがない」と言ったところ、裏
 にはチリが積もり、蜘蛛の巣が張って汚れていたのだが、よく掃き拭きとって、皆で
 調べてみると、行成の官位姓名・名字・年号が、はっきりと見て取れたものだから、
 皆興奮していたな。
 
 一、那蘭陀寺にて、道眼の説教があった時のこと、八災を度忘れしたようで、「これ
 を覚えているか」と尋ねたところ、修行僧の誰も覚えていなかったので、別室から
 「これこれのことですね」と言ってやったら、大変感心されたものだ。
 
 一、賢助僧正と一緒に、加持香水を見に行った時の事、法事が終わる前に、僧正は帰
 ろうとしたのだが、陣の外まで行ってもお供の僧都の姿が見えない。法師たちに探さ
 せたが、「同じような格好の人が多く、見つけることはできませんでした。」と言っ
 て、随分経ってから戻って来た、「何という事だ。あなたが、探してくれまいか」と
 言われたので、戻ってみると、すぐに見つけて出てこれた。
 
 一、二月十五日、月の明るい夜の事、真夜中近くになって、千本にある寺に詣でて、
 裏口から入り、独りで顔を深く隠して聴聞していたら、しとやかな女性で、姿も香り
 も、際立った人が、隣に分け入って来て、膝がくっ付き、香りも移りそうなぐらい寄
 り添ってきたので、これは拙いと思って、すり退くと、なおすり寄って来て、また同
 じ様になるので、立ち去ることにした。その後の事、ある御所様の年上の女官から、
 雑談のついでに、「まったく野暮な人だと、見下げておりましたよ。面白みの無いお
 方だと不満を言っているお人がおられますよ」と話し出すので、「何の事だかさっぱ
 り分かりません」と答えておいた。この事を、後に聞いたところによると、あの聴聞
 の夜、別室の陰から、見ていた人が、お仕えの女官を着飾らせて、「上手くいった
 ら、声をかけてみるのですよ。その様子を後で聞かせてちょうだい。楽しみだわ。」
 と、そんな謀り事を巡らせていたそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、よその掲示板に、ここの事を書いちゃだめですよ。」
 「うむ?どうしてじゃ。」
 「しょうもない自慢しやがって。って思われてしまいますよ。」
2010/12/12(Sun)

第二百三十七段 柳筥に据うる物は
 柳筥(ヤナイバコ)に据(ス)うる物は、縦様(タテサマ)・横様(ヨコサマ)、物に
 よるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木(キ)の間(アハヒ)より紙ひねりを
 通(トホ)して、結(ユ)い附(ツ)く。硯(スズリ)も、縦様に置きたる、筆転(コ
 ロ)ばず、よし」と、三条右大臣殿(サンデウノウダイジン)仰せられき。
 
 勘解由小路(カデノコウヂ)の家の能書(ノウジヨ)の人々は、仮にも縦様に置かるゝ
 事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。
 
 ※
 柳筥に据える物は、縦向き・横向き、物によって様々だ。「巻物などは、縦向きに置い
 て、木の間から紙縒りを通して、結んで留める。硯も、縦向きに置くと、筆が転ばなく
 て、よい。」と三条右大臣殿は仰せられた。
 
 勘解由小路の家の書家達は、間違えても縦向きに置く事は無い。必ず、横向きに据える
 のだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、こういうのが一番困るのです。想像するのが難しい。」
 「見た事もないからねぇ。」
 「それで、いつものように色々調べてみると、更に分からなくなりました。」
 「まぁそれでもまとめてみなはれ。」
 
 三条右大臣:不詳。三条実重(1260〜1329)内大臣の間違いではないかと言う説がある
       が、定かではない。三条右大臣と呼ばれる人物は他に藤原定方(873-
       932)が居るが、時代が古すぎるか。
 
 勘解由小路の家:藤原行成の子孫で世尊寺流という流派だそうです。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%B0%8A%E5%AF%BA%E6%B5%81
 この流派には筆の置き方についての作法があったのだろうか?
 
 柳筥の成り立ちについては下を参照。
 http://www.bag.or.jp/HISTORY/U_kiryu.html
 
 柳筥を作った人のブログ。
 http://mublog.sblo.jp/
 現代では、柳筥といえばこういう箱を指すようです。
 枝を加工して、紐で編むのではなく、板に溝を掘って作っています。
 
 こんな風に使っていたのか?
 http://f1.aaa.livedoor.jp/~heiankyo/co200508-1-54.htm
 これでは、枝を紐で編んだのでは、強度が足りない様な...
2010/12/04(Sat)

第二百三十六段 丹波に出雲と云ふ所あり
 丹波(タンバ)に出雲(イヅモ)と云ふ所あり。大社(オホヤシロ)を移して、めでた
 く造れり。しだの某(ナニガシ)とかやしる所なれば、秋の比、聖海(シヤウカイ)上
 人、その他も人数多(ヒトアマタ)誘ひて、「いざ給(タマ)へ、出雲拝(ヲガ)み
 に。かいもちひ召(メ)させん」とて具(グ)しもて行きたるに、各々(オノオノ)拝
 みて、ゆゝしく信(シン)起したり。
 
 御前(オマヘ)なる獅子(シシ)・狛犬(コマイヌ)、背きて、後(ウシロ)さまに立
 ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様(ヤウ)、
 いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(トノバラ)、殊勝(シユシ
 ヤウ)の事は御覧(ゴラン)じ咎(トガ)めずや。無下(ムゲ)なり」と言へば、各々
 怪(アヤ)しみて、「まことに他(タ)に異(コト)なりけり」、「都(ミヤコ)のつ
 とに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔した
 る神官(ジングワン)を呼びて、「この御社(ミヤシロ)の獅子の立てられ様、定めて
 習ひある事に侍らん。ちと承(ウケタマハ)らばや」と言はれければ、「その事に候
 ふ。さがなき童(ワラワベ)どもの仕りける、奇怪(キクワイ)に候う事なり」とて、
 さし寄りて、据(ス)ゑ直して、往(イ)にければ、上人の感涙(カンルヰ)いたづら
 になりにけり。
 
 ※
 丹波に出雲という所がある。大社を配した、立派な造りだ。しだの何とかという人の領
 地で、秋頃、聖海上人、他大勢を誘って、「どうぞお越しください、出雲参りに。かい
 もちをご馳走いたします」とのことだったので連れだって行き、それぞれ拝んで、心か
 ら祈った。
 
 神前の獅子・狛犬が、背を向け、後ろ向きに置かれていたので、上人、有難く感じて、
 「おぉ何と素晴らしい。この獅子の姿は大変珍しい。深い謂れがあるに違いない」と涙
 ぐみながら、「どうですか皆様方、この素晴らしさにお気づきではないのですか。つれ
 ないことですな」と言うので、みな不思議がりながら、「まことに他とは違います
 なぁ」、「都の人々にも教えなければ」などと言ったが、上人、もっと知りたくなっ
 て、年配で、物事に詳しそうな神官を呼んで、「この御社の獅子の配置には、特別な習
 わしがあると思うのです。ぜひお聞きかせください」と言ったところ、「その事です
 か。近所の悪ガキの仕業でして、怪しからん事です」と、近づいて、向きを直し、立ち
 去ってしまったので、上人の感涙は無駄になった。
 
 ※
 「ご隠居はん、何事も大げさに騒がないほうが良さそうですね。」
 「映像を見ただけでは分からない事が沢山あると言う事だろうね。」
 「えぇっ?なぜ映像なんですか。」
 「最近そう思う事は無いかね。」
 
 出雲大神宮
 兼好さんの時代、出雲神社と言えばここの事だそうです。出雲大社は明治になってから
 名称を変更したそうです。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE
2010/11/27(Sat)

第二百三十五段 主ある家には、
 主(ヌシ)ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来(ク)る事なし。主なき所に
 は、道行人濫(ミチユキビトミダ)りに立ち入り、狐・梟(フクロフ)やうの物も、人
 気(ヒトゲ)に塞(セ)かれねば、所得顔(トコロエガホ)に入(イ)り棲(ス)み、
 木霊(コタマ)など云ふ、けしからぬ形も現(アラ)はるゝものなり。
 
 また、鏡(カガミ)には、色(イロ)・像(カタチ)なき故に、万の影来(カゲキタ)
 りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。
 
 虚空(コクウ)よく物を容(イ)る。我等(ワレラ)が心に念々(ネンネン)のほしき
 まゝに来り浮(ウカ)ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主(ヌシ)あらまし
 かば、胸の中(ウチ)に、若干(ソコバク)の事は入り来らざらまし。
 
 ※
 主が居る家には、他人が、好き勝手に出入りする事は無い。主がないと、通りがかりの
 人が入り込んだり、狐や梟の様なものも、人気がないから、安心して住みつき、木霊の
 様な、怪しいものも現れるのだ。
 
 また、鏡には、色も形もないから、色々な姿を映す事が出来るのだ。鏡に色や形があれ
 ば、映らないだろう。
 
 空っぽであるから物が入る。我らの心に様々な欲望が生まれるのも、心の中が空っぽだ
 からではないのか。心に主となるものがあれば、胸中に、少しの迷いも生じないはず
 だ。
 
 ※
 「ご隠居はん、掲示板には主が居ますが、通りすがりでも立ち入ってほしいものです。
 」
 「炎上しても知らないぞ。」
 「怪しからぬものが現れるのは、主次第ですよ。そんなこと心配せずに早くブログでも
 始めて下さい。」
 「そっちに話を結び付けるか。」
 「ふっふっふっ。観念召され〜。」
 「ふん。儂は其方のように人生虚空ではないのでな。はっはっは。」
 「なんと!」(~_~;
2010/11/20(Sat)

第二百三十四段 人の、物を問ひたるに
 人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがましとにや、
 心惑(マド)はすやうに返事(カヘリコト)したる、よからぬ事なり。知りたる事も、
 なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、などかなからん。う
 らゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。
 
 人は未(イマ)だ聞き及ばぬ事を、我が知りたるまゝに、「さても、その人の事のあさ
 ましさ」などばかり言ひ遣(ヤ)りたれば、「如何(イカ)なる事のあるにか」と、押
 し返し問ひに遣るこそ、心づきなけれ。世に古(フ)りぬる事をも、おのづから聞き洩
 (モラ)すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ遣りたらん、悪(ア)しかる
 べきことかは。
 
 かやうの事は、物馴(モノナ)れぬ人のある事なり。
 
 ※
 人が、物をたずねてきたとき、知らないわけでもないだろう、素直に答えるのもばかば
 かしいと、相手が困る様な返答をするのは、よくない事だね。知っている事でも、もっ
 とちゃんと知りたいと思って聞いているのかもしれない。もしかして、本当に知らない
 人、なのかもしれない。知っていることを素直に答えるのが、いいのではないかな。
 
 人がまだ知らないだろう事を、自分勝手に、「なんと、あの人は酷いのだろう」などと
 結論だけ言うのは、「どういう事なんですか」と、聞き返す事になるので、配慮が足り
 ないな。世の中で有名な事でも、知らないことだってあるのだから、ちゃんと説明しな
 いのは、よくないのではないかな。
 
 こういうのは、世の中を知らない人のする事なんだな。
 
 ※
 「ご隠居はん、乗数効果を知らないって責めるから、あんな風になってしまうんです
 よ。」
 「ははははっ。確かにこれは物事の本質ではないからね。」
 「こうやって他人を責める人は、物馴れぬ人だと、みた方がよいのでしょうか。」
 
 解説
 管総理が財務大臣であったころ、乗数効果を知らないと野党議員から非難され、その結
 果、官僚のレクチャーを受けるとともに、官僚批判がトーンダウンしてしまったという
 故事からの例え話である。
 
 なんていうふうに、ちゃんと説明してみました。しかし、第二百三十二段では、目上の
 人には説明の必要はない、と言ってます。昔はそうかもしれませんが、現代ではなかな
 かそうとも言い切れないだけに、難しいところです。
2010/11/13(Sat)

第二百三十三段 万の咎あらじと思はば
 万(ヨロヅ)の咎(トガ)あらじと思はば、何事(ナニゴト)にもまことありて、人を
 分(ワ)かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女(ナンニヨ)・老少(ラ
 ウセウ)、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、言(コト)うる
 はしきは、忘れ難(ガタ)く、思ひつかるゝものなり。
 
 万の咎は、馴れたるさまに上手(ジヤウズ)めき、所得(トコロエ)たる気色(ケシ
 キ)して、人をないがしろにするにあり。
 
 ※
 万事に過ち無きようにと思うならば、何事にも誠実で、誰にでも分け隔てなく、礼儀正
 しくし、口数は少ない方がよい。男も女も、老いも若きも、皆、その様に振舞うのがよ
 いけれど、特に、若い人は、身なりはきちんとしていて、言葉遣いが丁寧であると、忘
 れ難い、印象を残すことができる。
 
 万事の過ちは、慣れたつもりで格好を付けたり、得意顔して、人を見下したりする時に
 起こる。
 
 ※
 「ご隠居はん、これは素直にうなずけます。」
 「そうだね。これはいつの時代でも同じだね。」
2010/11/06(Sat)

第二百三十二段 すべて、人は、無智・無能なるべきもの
 すべて、人は、無智(ムチ)・無能(ムノウ)なるべきものなり。或(アルヒト)人の
 子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言(モノイ)ふとて、史書(シシ
 ヨ)の文(モン)を引きたりし、賢(サカ)しくは聞えしかども、尊者(ソンジヤ)の
 前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の許(モト)にて、琵琶法師(ビハホフ
 シ)の物語を聞かんとて琵琶を召(メ)し寄(ヨ)せたるに、柱(ヂユウ)の一つ落ち
 たりしかば、「作りて附(ツ)けよ」と言ふに、ある男の中(ナカ)に、悪しからずと
 見ゆるが、「古き柄杓(ヒシヤク)の柄(エ)ありや」など言ふを見れば、爪(ツメ)
 を生(オ)ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師(メクラホフシ)の琵琶、その沙汰
 (サタ)にも及ばぬことなり。道に心得たる由(ヨシ)にやと、かたはらいたかりき。
 「柄杓の柄は、檜物木(ヒモノギ)とかやいひて、よからぬ物に」とぞ或人仰せられ
 し。
 
 若き人は、少(スコ)しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。
 
 ※
 何時でも、人は、無知、無教養でいるべきだな。ある人の子は、見たところ悪くは無い
 が、父の前で、人と話す時、史書の文言を引いたりするのだが、賢しく見えるだけで、
 目上の人相手にそんな必要はないと思うんだよな。また、ある人の許に、琵琶法師の物
 語りを聞こうと琵琶を取り寄せたら、じゅうの一つが外れて無かったので、「作って付
 けよう」となったところ、ある男が、それなりの人物に見えたが、「古い柄杓の柄は無
 いかな」などと声を上げたのでよく見ると、爪を伸ばしていた。琵琶を弾くんだろう
 な。琵琶法師の琵琶なのだから、そこまでする必要はないだろう。知ったかぶりを見せ
 られたようで、不愉快だった。「柄杓の柄は、ヒモノギといって、いい物ではない」と
 ある人は仰っていた。
 
 若い人は、少しの事で、よくも見えるし、悪くも見える。
 
 ※
 「ご隠居はん。大人げないですね。」
 「すまんのう。」
 「いえいえ、ご隠居はんではなく、兼好さんがですよ。」
 「いやいや、これは親心に近いのではないか。」
 「親切心ですか。」
 「能ある鷹は、という例えもある。」
 「それに比べて現代では、些細な事にケチ付ける小姑のような人が多くなった気がしま
 すね。」
2010/10/30(Sat)

第二百三十一段 園の別当入道は
 園(ソノ)の別当入道(ベツタウニフダウ)は、さうなき庖丁者(ホウチヤウジヤ)な
 り。或人の許(モト)にて、いみじき鯉(コヒ)を出だしたりければ、皆人(ミナヒ
 ト)、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけ
 るを、別当入道、さる人にて、「この程(ホド)、百日(ヒヤクニチ)の鯉を切り侍る
 を、今日(ケフ)欠(カ)き侍るべきにあらず。枉(マ)げて申し請(ウ)けん」とて
 切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、或人、北山太政入
 道(キタヤマノダイジヤウニフダウ)殿に語り申されたりければ、「かやうの事、己
 (オノ)れはよにうるさく覚ゆるなり。『切りぬべき人なくは、給(タ)べ。切らん』
 と言ひたらんは、なほよかりなん。何条(ナデウ)、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひ
 たりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。
 
 大方(オホカタ)、振舞(フルマ)ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝り
 たる事なり。客人(マレビト)の饗応(キヤウオウ)なども、ついでをかしきやうにと
 りなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出でたる、いとよし。
 人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉(タテマツ)らん」と云ひたる、ま
 ことの志なり。惜しむ由(ヨシ)して乞(コ)はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづ
 けなどしたる、むつかし。
 
 ※
 園の別当入道は、又なき料理人だ。ある人の所で、立派な鯉が出された、皆、別当入道
 の包丁さばきが見たいと思いながらも、容易くお願いしていいものかとためらっている
 と、別当入道は、察したようで、「この程、百日連続で鯉を切るという目標を立てたの
 ですが、今日で途切れさせるわけにはいきません。是が非でも切らせてもらいたい。」
 と言ってさばき始めた、とてもその場にふさわしく、大変盛り上がったと、ある人が、
 北山太政入道殿にお話しされたところ、「そのような事、私は芝居じみていていやだ
 な。『さばく人が居ないのでしたら、こちらへ。さばきますよ。』と言う程度で、よい
 のだ。なんなのだ、百日連続で鯉を切るって」とおっしゃった、全くだと思ったと人か
 ら聞いたのだが、全くその通りだね。
 
 大抵の場合、わざわざ盛り上げなくとも、上品である事の方が、勝っているのではない
 かな。大事なお客をもてなすときも、下にも置かないようにするのも、よいけれど、単
 に、いつも通りにする方が、よいのだよ。人に物を贈る時も、もったいぶらずに、「こ
 れを差し上げます」というのが、真心というものだ。惜しめば欲しがってくれると思っ
 たり、勝負事の賭け物にしたりするのも、嫌なものだね。
 
 ※
 「ご隠居はん、大阪人は、わざと盛り上げようとしますからねぇ。」
 「いや、あれはわざとじゃない。自然とだよ。いつも通り。」
 「まぁ...そうですかね。」
 「ただ、上品とは程遠いけどのう。」
 「いとをかし。」
 
 園の別当入道:藤原基氏のこと。
 北山太政入道:西園寺実兼(1249-1322)のこと。
 
 北山太政入道って人は、鯉の話になると出てきますねぇ。
 第百十八段 鯉の羹食ひたる日は
 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=12#120
2010/10/23(Sat)

第二百三十段 五条内裏には
 五条内裏(ゴデウノダイリ)には、妖物(バケモノ)ありけり。藤大納言殿語(トウノ
 ダイナゴンドノ)られ侍りしは、殿上人(テンジヤウビト)ども、黒戸(クロド)にて
 碁を打ちけるに、御簾(ミス)を掲げて見るものあり。「誰(タ)そ」と見向きたれ
 ば、狐、人のやうについゐて、さし覗(ノゾ)きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、
 惑(マド)ひ逃げにけり。
 
 未練(ミレン)の狐、化け損じけるにこそ。
 
 ※
 五条にある内裏には、化物が居るのだそうだ。藤大納言殿が仰るところによると、殿上
 人たちが、黒戸で碁を打っていると、御簾を掲げて見ている者が居た。「誰だ」と振り
 向いたところ、狐が、人のようにひざまづいて、覗いていたので、「わっ狐だ」と大声
 で叫んだら、驚いて逃げていった。
 
 未熟な狐が、化け損ねたのだろう。
 
 ※
 「ご隠居はん、これは藤大納言が女を振ったが付き纏われたという自慢話では?」
 「そうだとするとひどい話じゃないか。」
 「まぁそうなんですけど、有り得るでしょう。」
 「それを子供に聞かせるのに、おどけて化物の話にしたと。」
 「はい。大人になって本当の意味がわかってはいたけれど、そのまま書き記した。」
 「まぁ有り得るか。」
 
 
 藤大納言:二条為世(1250-1338)のこと。兼好の師です。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%82%BA%E4%B8%96
 
 黒戸と言えば第176段
 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=18#179
 こちらは建物全体が黒戸です。
2010/10/16(Sat)

第二百二十九段 よき細工は
 よき細工(サイク)は、少し鈍き刀(カタナ)を使ふと言ふ。妙観(メウクワン)が刀
 はいたく立たず。
 
 ※
 よい細工と言うものは、少し切れ味の悪い刃物を使っているそうだ。妙観の使っていた
 刃物は大層切れ味が悪いそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、色々と取り上げられることの多い段です。」
 「そうだね」
 「でも不思議なのは、現代では妙観は知られた存在ではありませんし、作った像につい
 ても有名なものはありません。」
 「兼好の時代から見ても500年も前の人だから伝説化していたのかもね。」
 「それと、鈍いというのは切れ味だけなんでしょうか。見た目なんかはどうなのでしょ
 う。刃や柄ががすり減っていたり、手あかで黒くなってたり。」
 「そういう部分も自由に考えていいのではないかな。」
 
 妙観:勝尾寺にやって来た仏師。本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えら
    れている。
 
 勝尾寺:真言宗の寺。十一面千手観世音菩薩立像が本尊。像そのものの評価はさほど高
     くなく、国宝、重文でも無い。治承・寿永の乱で焼けなかったのか?
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B0%BE%E5%AF%BA
 
 勝尾寺の由来でもこの段の事が触れられています。
 http://www.katsuo-ji-temple.or.jp/about/index.html
2010/10/09(Sat)

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