週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第百七十八段 或所の侍ども
 或所の侍(サブラヒ)ども、内侍所(ナイシドコロ)の御神楽(ミカグラ)を見て、人
 に語るとて、「宝剣(ホウケン)をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞きて、内な
 る女房の中に、「別殿(ベツデン)の行幸(ギヤウガウ)には、昼御座(ヒノゴザ)の
 御剣(ギヨケン)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にくかりき。その人、古
 き典侍(ナイシノスケ)なりけるとかや。
 
 ※
 ある所に居た侍どもが、内侍所で行われた御神楽について、人に語ろうと「宝剣をその
 人は持っておられた」などと言っているのを聞いて、御簾の中の女官が「別殿への行幸
 ですから、昼御座の剣ですね。」とさらりと言っていたのは、実に奥ゆかしい。その人
 は、長く天皇のお世話係をしていたそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、立派な武士が立派な刀を腰に差していました。」
 「あれは、竹光じゃよ。」
 「チャンチャン♪」
 「そんなこと言うてる場合やない。」
 「そうでした。」
 「まじめにやりなさい。」
 「でも、こんな感じではないですか。天皇が腰に差しているのだから宝剣に違いないと
 考えたのか、あまりにも実戦向きではなかったので宝剣だと言ったのか。」
 「どちらにしても物を知らなかったという事か。」
 
 内侍所の御神楽:三種の神器の一つ、八咫鏡を安置している所。そこで行われる神楽。
         現在では賢所で行われている。
2009/11/14(Sat)

第百七十七段 鎌倉中書王にて御鞠ありけるに
 鎌倉中書王(カマクラノチユウシヨワウ)にて御鞠(オンマリ)ありけるに、雨降りて
 後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰(サタ)ありけるに、佐々木隠岐入道
 (ササキノオキノニフダウ)、鋸(ノコギリ)の屑(クヅ)を車に積(ツ)みて、多く
 奉(タテマツ)りたりければ、一庭(ヒトニハ)に敷かれて、泥土(デイト)の煩(ワ
 ヅラ)ひなかりけり。「取り溜めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。
 
 この事を或者(アルモノ)の語り出でたりしに、吉田(ヨシダノ)中納言の、「乾き砂
 子(スナゴ)の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥(ハヅ)かしかりき。
 いみじと思ひける鋸の屑、賤(イヤ)しく、異様(コトヤウ)の事なり。庭の儀(ギ)
 を奉行(ブギヤウ)する人、乾き砂子を設(マウ)くるは、故実(コシツ)なりとぞ。
 
 ※
 鎌倉中書王の御庭で蹴鞠が行われた時の事、雨が降った後、未だ庭が乾いていなかった
 ので、何とか致せとお指図されると、佐々木隠岐入道が、おが屑を車に積んで、沢山献
 上し、庭一面に敷いたところ、泥の心配が無くなった。「抜かりの無い準備で、有難
 い。」と、人々は感じあった。
 
 この事をある者が話し出すと、吉田中納言より、「乾いた砂の用意は無かったのか」と
 たしなめられた、恥ずかしい限りだ。素晴らしいと思ったおが屑は、粗末で、不似合い
 な事なんだな。庭の整備を担当する者は、乾いた砂を用意しておくのが、当然なんだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、いつものように。」
 「ほう、いつものように。」
 「意地悪に考えると。」
 「意地悪なのか。」
 「関東の田舎者のすることと笑っているような。」
 「本当に意地悪だな。でも50年前の話が笑い話として伝わるだろうか。」
 
 
 鎌倉中書王:宗尊親王(1242-1274)中書王(中務卿)に成ったのは1265年。
       後嵯峨天皇の第一皇子で鎌倉幕府第6代将軍となる。
       1266年に都へ帰ってきているので、その後の出来事。
 佐々木隠岐入道:佐々木政義(1208-1290)
 吉田中納言:吉田経俊(1214-1276)のことか?
 
 このお話も兼好の生まれる前のこと。
2009/11/07(Sat)

第百七十六段 黒戸は
 黒戸(クロド)は、小松御門(コマツノミカド)、位(クラヰ)に即(ツ)かせ給ひ
 て、昔、たゞ人にておはしましし時、まさな事(ゴト)せさせ給ひしを忘れ給はで、常
 に営ませ給ひける間なり。御薪(ミカマギ)に煤(スス)けたれば、黒戸と言ふとぞ。
 
 ※
 黒戸御所は、光孝天皇が、即位され、昔、ただの臣下であった時、日常のありふれた事
 をされていたのをお忘れにならず、いつでも営めるようにした建物なのだ。薪で煤けて
 いるので、黒戸と言うのだそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、臥薪嘗胆に比べると、随分おとなしい話ですね。」
 「そういう意味で解釈するとそうかもね。」
 「ですから、ただ単に料理が趣味だっただけではないかと!」
 「それでは有難味が無くなるなぁ。それでいいのかな。」
2009/11/01(Sun)

第百七十五段 世には、心得ぬ事の多きなり。
 世には、心得ぬ事の多きなり。ともある毎(ゴト)には、まづ、酒を勧めて、強
 (シ)ひ飲ませたるを興(キヨウ)とする事、如何(イカ)なる故とも心得ず。飲む
 人の、顔いと堪へ難(ガタ)げに眉(マユ)を顰(ヒソ)め、人目を測りて捨てんと
 し、逃げんとするを、捉(トラ)へて引き止めて、すゞろに飲ませつれば、うるはし
 き人も、忽(タチマ)ちに狂人となりてをこがましく、息災(ソクサイ)なる人も、
 目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒(タフ)れ伏す。祝ふべき日などは、
 あさましかりぬべし。明くる日まで頭(カシラ)痛く、物食はず、によひ臥(フ)
 し、生(シヤウ)を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、公(オホヤケ)・私(ワ
 タクシ)の大事を欠きて、煩(ワヅラ)ひとなる。人をしてかゝる目を見する事、慈
 悲(ジヒ)もなく、礼儀にも背けり。かく辛(カラ)き目に逢ひたらん人、ねたく、
 口惜しと思はざらんや。人の国にかゝる習(ナラ)ひあンなりと、これらになき人事
 にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。
 
 人の上(ウヘ)にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人
 も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞(コトバ)多く、烏帽子(エボシ)歪(ユガ)み、
 紐外(ヒモハヅ)し、脛(ハギ)高く掲げて、用意なき気色、日来(ヒゴロ)の人と
 も覚えず。女は、額髪(ヒタヒガミ)晴れらかに掻(カ)きやり、まばゆからず、顔
 うちさゝげてうち笑ひ、盃(サカヅキ)持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴(サ
 カナ)取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。声の限り出して、おのおの
 歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒く穢(キタナ)き身(ヌ)を肩抜ぎて、
 目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎し。或(アル)はま
 た、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、下(シ
 モ)ざまの人は、罵(ノ)り合(ア)ひ、争(イサカ)ひて、あさましく、恐ろし。
 恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果(ハテ)は、許さぬ物ども押し取りて、縁
 (エン)より落ち、馬(ウマ)・車(クルマ)より落ちて、過(アヤマチ)しつ。物
 にも乗らぬ際(キハ)は、大路(オホチ)をよろぼひ行きて、築泥(ツイヒヂ)・門
 (カド)の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年(トシ)老い、袈裟(ケ
 サ)掛けたる法師の、小童の肩を押(オサ)へて、聞えぬ事ども言ひつゝよろめきた
 る、いとかはゆし。かゝる事をしても、この世も後の世も益(ヤク)あるべきわざな
 らば、いかゞはせん、この世には過ち多く、財(タカラ)を失ひ、病(ヤマヒ)をま
 うく。百薬(ヒヤクヤク)の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ。憂(ウレヘ)
 忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂(ウ)さをも思ひ出でて泣くめる。後の世
 は、人の智恵を失ひ、善根(ゼンゴン)を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒
 (カイ)を破りて、地獄に堕(オ)つべし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生
 が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。
 
 かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折(ヲリ)もあるべし。月の
 夜、雪の朝(アシタ)、花の本(モト)にても、心長閑(ノドカ)に物語して、盃出
 (イダ)したる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入
 (イ)り来て、とり行ひたるも、心慰(ナグサ)む。馴れ馴れしからぬあたりの御簾
 (ミス)の中(ウチ)より、御果物・御酒(ミキ)など、よきやうなる気(ケ)はひ
 してさし出されたる、いとよし。冬、狭(セバ)き所にて、火にて物煎(イ)りなど
 して、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋(カリヤ)、
 野山などにて、「御肴(ミサカナ)何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、を
 かし。いたう痛む人の、強(シ)ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、と
 り分きて、「今ひとつ。上少し」などのたまはせたるも、うれし。近づかまほしき人
 の、上戸(ジヤウゴ)にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 
 さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者なり。酔ひくたびれて朝寝(アサイ)
 したる所を、主(アルジ)の引き開けたるに、惑(マド)ひて、惚(ホ)れたる顔な
 がら、細き髻(モトドリ)差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、
 掻取姿(カイトリスガタ)の後手(ウシロデ)、毛生ひたる細脛(ホソハギ)のほ
 ど、をかしく、つきづきし。
 
 ※
 世の中には、理解できない事が沢山ある。何かあるごとに、まず、酒を勧め、無理に
 でも飲ませる事を良しとするなんて、全く理解できないよ。飲まされる人が、困り顔
 に眉を顰め、人目を見計らって捨てようとしたり、逃げようとするのを、捉まえ引き
 止め、むやみやたらと飲ませれば、気品のある人も、たちまち醜態をさらし、元気
 だった人も、まるで重病の患者の様に、前に後ろに構わず倒れ伏す。これが祝いの日
 なら、あきれ返るばかりだ。あくる日は頭が痛く、物も食べずに、呻き伏し、人生が
 途切れたかのように、昨日の記憶を無くし、公私の予定を台無しにして、難渋する。
 他人をこんな状況に追いやるなんて、思いやりも、礼儀もありはしない。こんな辛い
 目に遭った人は、恨み、悔しさで一杯だろう。他国にこういった風習があると、知ら
 ない人が聞いたなら、馬鹿げた事だと、不思議に思うだろうね。
 
 人の事だと思っても、気の毒で仕方が無い。思慮深く、奥ゆかしく見える人も、辺り
 構わず大声で笑い、喋り、烏帽子を歪め、服装も乱れ、着物の裾をたくし上げ、想像
 もつかないその様子に、同じ人とはとても思えない。女は、前髪を掻きあげ額を剥き
 出しにし、恥ずかしげも無く、体を反らせて大笑いし、盃を持った手に抱き付いた
 り、さらに下品になると、肴を取って、人の口に銜えさせ、自分もそれを食べようと
 するのだから、見てられないよ。声を張りあげ、好き勝手に歌い踊り、年老いた法師
 は囃したてられるまま、黒ずんだみすぼらしい体をもろ肌脱いで、目も当てられない
 ほど体をくねらせ踊り、それを喜んで見ている人も人だ、ばかばかしい。また別の所
 では、自分がいかに立派かと自慢話を、身のほどをわきまえず言い聞かせたり、ある
 いは泣き出したり、下様になると、罵り合い、争って、見苦しく、唖然とする。恥を
 さらし、迷惑をかけ、果ては、人の物まで取合って、縁から落ちたり、馬・車から落
 ち、怪我をする。乗り物に乗らない者は、大路をふらふら歩き、土塀・門の下などに
 向かって、粗相をしまくり、年老いた、袈裟掛けの法師などは、お付きの子供の肩に
 つかまって、聞くに堪えない事を言いつつよろめいている、なんとも嘆かわしい。こ
 んな事をしても、この世やあの世で役に立つなら、好きにすればいいのだけれど、こ
 の世では過ちが多く、財産を失ったり、病を招いたりする。百薬の長とは言うが、
 様々な病気は酒が原因だ。嫌な事を忘れられるというけれど、酔っている人は、ずっ
 と昔のつらい記憶を思い出して泣いているぞ。あの世では、人の知恵を失い、善根を
 無くして、悪を増し、多くの規範を破って、地獄に落ちてしまう。「酒を人に飲ませ
 た人は、五百回生まれ変わる間、手の無い生き物になる。」と、御仏は説かれたん
 だ。
 
 こんなにまで嫌う物だけど、どうしても、止められないのもあるだろう。月の夜、雪
 の朝、桜の下などで、のどかに話している時、盃を出すのは、多くの喜びを生み出す
 よ。予定も無い日に、思っても居ない友人がやって来て、とり行うのも、心を和やか
 にさせる。近寄りがたい高貴なお方が御簾の中より、御果物・御神酒など、差し出さ
 れたものなら、問題ない。冬、狭い所で、火で物をあぶったりしながら、親しい者同
 士向かい合って、心行くまで飲むのは、いいものだ。旅の仮屋、野山などで「肴はな
 いけど」などと言いながら、草の上で飲むのも、いいね。下戸の人が、強く勧められ
 て少しだけ飲む、これもいい。目上の人から、とりわけて、「さぁさお一つ、まだ飲
 み足りないでしょう」などと勧められるのは、うれしいものだ。親しくなりたいと
 思っていた人が、酒好きで、すっかり打ち解けられた、これもうれしいね。
 
 それに、酒好きは、陽気で、罪も許せるかな。酔い潰れて朝寝しているところを、家
 主が戸を開けると、驚いて、寝ぼけ眼で、髪も乱し、服も着ず抱いて持ち、帯を引き
 ずりながら逃げだしては、着物の裾を掻きあげている後ろ手、毛の生えた細い脛、お
 かしな格好、いかにも酔っぱらいだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、もうすぐ忘年会シーズンです。」
 「がはははっ。いいタイミングだ。」
 「七百年後の日本でも同じ光景が繰り広げられていますね。」
 「成長せんのう。」
 「お互い、こんな醜態はさらしたくないものですね。」
2009/10/24(Sat)

第百七十四段 小鷹によき犬
 小鷹(コタカ)によき犬、大鷹(オホタカ)に使ひぬれば、小鷹にわろくなるといふ。
 大(ダイ)に附き小(セウ)を捨つる理(コトワリ)、まことにしかなり。人事(ニン
 ジ)多かる中に、道を楽(タノ)しぶより気味(キミ)深きはなし。これ、実(マコ
 ト)の大事なり。一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか廃(スタ)れざ
 らん、何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。
 
 ※
 小鷹に向いた犬を、大鷹に使ってしまうと、小鷹には向かなくなるという。大きな事を
 始めると小さな事に魅力を感じなくなるというのは、そのとおりだろうね。人の行いは
 数々あれど、仏道ほど心が満ち足りる事はない。これこそ、本当に大切なことなんだ
 よ。一度でも、仏門をたたき、これを志せば、他の事は止め、他の事を始めようとすら
 思わない。愚かな人でも、賢い犬の心より劣っているなんて事はないだろう。
 
 ※
 「ご隠居はん、ぃや〜な感じ。愚かなオーストラリア人と賢いクジラはどちらが劣って
 いるのか、というお話ですか。」
 「これこれ、なんと言う事を。」
 「まぁそれは冗談としても、大事の中に小事なしって諺がありますけど、これは小事に
 関わる余裕が無い、ってことですから。私は余裕を失いたくないです。」
 「兼好さんはそもそも死が近くにあるから余裕が無いって考えだからね。」
 「そうだとしても仏道に価値を見出せないのは人にあらずってのは。どうせ言うなら、
 大事も小事もやればできる。犬よりも賢いのだもん。とか。」
2009/10/17(Sat)

第百七十三段 小野小町が事
 小野小町(ヲノノコマチ)が事、極(キハ)めて定かならず。衰へたる様は、「玉造
 (タマツクリ)」と言ふ文(フミ)に見えたり。この文、清行(キヨユキ)が書けりと
 いふ説あれど、高野大師(カウヤノダイシ)の御作(ゴサク)の目録に入れり。大師は
 承和(ジヨウワ)の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや。なほお
 ぼつかなし。
 
 ※
 小野小町の事については、ほとんどわかっていない。老後の様子は、「玉造小町壮衰
 書」という書物から知ることができる。この書物は、清行が書いたと言う説があるけれ
 ど、高野大師の著書目録に入っている。大師は承和年間の初めに亡くなった。小町が妙
 齢となるのは、その後の事。やはりわからないよね。
 
 ※
 「ご隠居はん、結論としては、わからない、ということです。」
 「それで正しいのではないかな。玉造小町壮衰書の書かれた年代も曖昧、その小町が小
 野小町のことかも曖昧だからね。」
 「そうですよね、空海が幼女小町に萌えて書いたとは...」
 「お〜こら、こら。」
 
 小野小町:(825?-不明)歌人で絶世の美女ということだけど、実在を疑う説もある。
 清行  :三善清行(847-919)漢学者。
 高野大師:空海(774-835)
2009/10/10(Sat)

第百七十二段 若き時は
 若き時は、血気(ケツキ)内に余り、心物(モノ)に動きて、情欲(ジヤウヨク)多
 し。身を危(アヤブ)めて、砕け易(ヤス)き事、珠(タマ)を走らしむるに似たり。
 美麗(ビレイ)を好みて宝を費(ツヒヤ)し、これを捨てて苔(コケ)の袂(タモト)
 に窶(ヤツ)れ、勇(イサ)める心盛(サカ)りにして、物と争ひ、心に恥(ハ)ぢ羨
 (ウラヤ)み、好む所日々(ヒビ)に定まらず、色に耽(フケ)り、情(ナサケ)にめ
 で、行ひを潔(イサギヨ)くして、百年(モモトセ)の身を誤り、命を失へる例(タメ
 シ)願はしくして、身の全(マツタ)く、久しからん事をば思はず、好ける方に心ひき
 て、永き世語(ヨガタ)りともなる。身を誤つ事は、若き時のしわざなり。
 
 老いぬる人は、精神衰へ、淡(アハ)く疎(オロソ)かにして、感じ動く所なし。心自
 (オノヅカ)ら静かなれば、無益(ムヤク)のわざを為さず、身を助けて愁(ウレヘ)
 なく、人の煩(ワヅラ)ひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにまされる事、若く
 して、かたちの、老いたるにまされるが如し。
 
 ※
 若い時は、血の気多く、心は乱れやすく、欲望も多い。身を危険にさらし、傷つきやす
 く壊れやすいところは、まるで宝石を転がすかのようだね。美しさ派手さを求めて贅沢
 をする、かと思えばこれをあっさり捨てて僧衣に身をやつす、格好を付けようと、人と
 競ったり、劣等感から他人を羨んだり、あっちもこっちもと、恋愛に夢中になり、恋心
 をいとおしむ、やる事は単純で、人生をなげうって、命を失った話に憧れて、身の危
 険、命の儚さも忘れ、気の済むように傾いては、後々の笑い種となる。身を誤ること、
 これが若さというものかな。
 
 老いた人は、精神も衰え、物事に淡泊になり、心が動じることも無い。心が自然と静か
 であれば、要らない事もしないし、体に気をつけているから怪我もなく、人の世話にな
 らないように気を遣う。年を取り、知恵が、若者より優れるというのは、若者の、容姿
 が、老人より優れているというのと同じだね。
 
 ※
 「ご隠居はん、最近では、子供がそのまま年を取ったような人が多くて困りますね。」
 ギクッ!
 「ご隠居はん...心が動じるという事は、まだまだ若いってことですよ。」
 「うれしいのやら、かなしいのやら。」
2009/10/03(Sat)

第百七十一段 貝を覆ふ人の
 貝(カヒ)を覆(オホ)ふ人の、我が前なるをば措(オ)きて、余所(ヨソ)を見渡し
 て、人の袖(ソデ)のかげ、膝の下まで目を配(クバ)る間に、前なるをば人に覆(オ
 ホ)はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふや
 うなれど、多く覆ふなり。碁盤(ゴバン)の隅に石を立てて弾くに、向ひなる石を目守
 (マボ)りて弾くは、当らず、我が手許(テモト)をよく見て、こゝなる聖目(ヒジリ
 メ)を直(スグ)に弾けば、立てたる石、必ず当る。
 
 万の事、外(ホカ)に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。清献公
 (セイケンコウ)が言葉に、「好事(カウジ)を行(ギヤウ)じて、前程(ゼンテイ)
 を問ふことなかれ」と言へり。世を保(タモ)たん道も、かくや侍らん。内(ウチ)を
 慎まず、軽(カロ)く、ほしきまゝにして、濫(ミダ)りなれば、遠き国必ず叛(ソ
 ム)く時、初めて謀(ハカリコト)を求む。「風に当り、湿(シツ)に臥(フ)して、
 病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。目の前なる人の愁(ウ
 レヘ)を止(ヤ)め、恵みを施し、道を正しくせば、その化(クワ)遠く流れん事を知
 らざるなり。禹(ウ)の行きて三苗(サンベウ)を征(セイ)せしも、師(イクサ)を
 班(カヘ)して徳を敷(シ)くには及(シ)かざりき。
 
 ※
 貝合せを楽しむ人にありがちなのは、目の前にある貝には見向きもせず、他を見まわし
 て、相手の袖の下、膝の下まで目を配っている間に、目の前の貝を相手に取られてしま
 うことだろうね。たくさん取る人は、遠くまでまんべんなく取るようには見えず、近い
 ところばかりを取っているようだけど、最後には多く取っているものだ。碁盤の端に石
 を置き弾くときは、向かいにある石を狙って弾いても、当たらないけれど、手元をよく
 見て、近くの星を真っ直ぐ狙って弾けば、置いた石に、必ず当たるよ。
 
 どんな事だって、他に原因を求めちゃいけない。ただただ、自身の行いを正しくするべ
 きだよ。清献公という人の言葉に、「正しい事をしていろ、未来を憂う必要はない」と
 いうのがある。世を治める方法も、これと変わらない。倹約に心がけず、軽率で、好き
 勝手に振る舞い、濫りになれば、遠くの国は必ず叛くその時、初めて対策を求めてしま
 う。「風に当たり、病気になって、治癒を神仏に願うのは、愚かな人だ。」と医学書に
 書かれている通りだ。目の前にいる人々の問題を解決し、富を分かち、行いを正しくす
 れば、それが徐々に広がっていくという事を知っておくべきだね。禹が三苗を征服でき
 たのも、軍勢を引き揚げて徳政を敷いたことに他ならない。
 
 ※
 「ご隠居はん、宴会では、自分の皿の料理より大皿のを先に食べるのが鉄則です。」
 「なんのこっちゃ。そんなことするから食い意地が張ってると評判を落とすのだよ。」
 「あ...そうですね。でも自国は不況で失業者が大勢いても、他国を援助しなければい
 けない世の中ですからね。」
 
 清献公:宋の趙抃のこと。
 禹  :夏の伝説的な帝、聖人。三苗という蛮族の住む国を従えようとした時、武力で
     は無理だったが、自国で徳政を敷き豊かにすることで感化させた。
2009/09/26(Sat)

第百七十段 さしたる事なくて人のがり行くは
 さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果
 てなば、疾(ト)く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。
 
 人と向(ムカ)ひたれば、詞(コトバ)多く、身もくたびれ、心も閑(シヅ)かなら
 ず、万の事障(サハ)りて時を移す、互ひのため益(ヤク)なし。厭(イト)はしげに
 言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由(ヨシ)をも言ひてん。
 同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今暫(シバ)し。今日(ケフ)は
 心閑(シヅ)かに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍(ゲンセキ)が青
 き眼(マナコ)、誰にもあるべきことなり。
 
 そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、文(フ
 ミ)も、「久しく聞(キコ)えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。
 
 ※
 たいして用も無いのに人を訪ねて行くのは、良くない事だね。用があって行ったとして
 も、用事が済めば、さっさと帰るべき。何時までも居られては、困ってしまうだろ。
 
 人と向き合えば、何か話さないといけないから、体も疲れ、気分も休まらず、時間を無
 駄にして、互いのためにならない。気を遣って言わないのも悪い。気分が乗らない時
 は、はっきりと、そう言えばいい。意気の合う人とが、おもむろに、「もう少し、今日
 はゆっくりさせてもらうよ」とか言うような場合は、この限りではないよ。『阮籍の青
 き眼』というのは、誰にでもあるものだ。
 
 音沙汰の無かった人が、やって来て、和やかに話して帰ってゆく、これならいいね。そ
 れに、手紙も「御無沙汰しております」なんて書き出しを見ただけで、すごくうれしい
 ものだよね。
 
 ※
 「ご隠居はん、早い話が自分勝手ってことですよ。用事が無くても久しぶりだとOKっ
 て...」
 「まぁそれは、用事も無いのに毎日やって来られても困るという事だよ。」
 「それはわかりますよ。訳文もその辺り考えてみたんです。『さしたる事なくて』と
 『そのこととなきに』の違いは一体何かと。」
 「なんでも受け止め方一つだよ。」
 「それを言っちゃぁ...。」
 
 阮籍が青き眼:晋の時代の賢人で、気の合わない人には白眼で、気の合う人には青眼で
        対したそうで、白眼視という言葉はここから来たそうですが、なんとも
        露骨な(^^;
2009/09/19(Sat)

第百六十九段 何事の式といふ事は
 「何事(ナニゴト)の式(シキ)といふ事は、後嵯峨(ゴサガ)の御代(ミヨ)までは
 言はざりけるを、近きほどより言ふ詞(コトバ)なり」と人の申し侍りしに、建礼門
 (ケンレイモン)院の右京大夫(ウキヤウノダイブ)、後鳥羽(ゴトバノ)院の御位
 (オホンクラヰ)の後、また内裏住(ウチズ)みしたる事を言ふに、「世の式(シキ)
 も変(カハ)りたる事はなきにも」と書きたり。
 
 ※
 「しきたりなどと言うことは、後嵯峨天皇の時代までは言われなかったもので、最近に
 なって使われ出した言葉なのです」と誰かがいっていたけれど、建礼門院の右京大夫
 が、後鳥羽天皇の即位後、内裏に戻って来た事を言って、「ここのしきたりは何も変
 わっていないわね」と書き残しているのだけれどね。
 
 ※
 「ご隠居はん、知ったかぶりはやめましょう。」
 「はいはい」
 「でもこんなこと言うと何も言えなくなりませんか。」
 「だから前段で言ってるように『詳しくは知りませんが』を前置きにして。」
 「詳しくは知りませんが、建礼門院の右京大夫がこう書き残してますよ。って。」
 「そうそう、そうすれば間違っていても大丈夫。」
 「なんだかずるいですね。」
 
 後嵯峨天皇:在位1242-1246
 後鳥羽天皇:在位1183-1198
 右京大夫 :女官としての職務上の名であって実名ではない。
       この段では十数年のブランクの後復帰した時の感想を引用しているのだ
       が...。
 
2009/09/12(Sat)

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