週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

TopPageへ   ご意見ご感想はありおーにゆ〜たるまで。   RSS2.0

最新  24.. 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10.. ページ

11 ページ 10 段分です。


第百八段 寸陰惜しむ人なし
 寸陰惜(スンインヲ)しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠
 る人のために言はば、一銭軽(イツセンカロ)しと言へども、これを重ぬれば、貧し
 き人を富める人となす。されば、商人(アキビト)の、一銭を惜しむ心、切(セツ)
 なり。刹那(セツナ)覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終(ヲ)ふ
 る期(ゴ)、忽(タチマ)ちに至る。
 
 されば、道人(ダウニン)は、遠く日月(ニチグワツ)を惜しむべからず。たゞ今の
 一念(イチネン)、空(ムナ)しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が
 命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日(ケフ)の暮るゝ間、何事を
 か頼み、何事をか営まん。我等(ワレラ)が生ける今日の日、何ぞ、その時節(ジセ
 ツ)に異ならん。一日のうちに、飲食(オンジキ)・便利(ベンリ)・睡眠(スヰメ
 ン)・言語(ゴンゴ)・行歩(ギヤウブ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。そ
 の余りの暇幾(イトマイク)ばくならぬうちに、無益(ムヤク)の事をなし、無益の
 事を言ひ、無益の事を思惟(シユヰ)して時を移すのみならず、日を消(セウ)し、
 月を亘(ワタ)りて、一生を送る、尤(モツト)も愚かなり。
 
 謝霊運(シヤレイウン)は、法華(ホツケ)の筆受(ヒツジユ)なりしかども、心、
 常(ツネ)に風雲(フウウン)の思(オモヒ)を観(クワン)ぜしかば、恵遠(ヱヲ
 ン)、白蓮(ビヤクレン)の交(マジハ)りを許さざりき。暫(シバラ)くもこれな
 き時は、死人に同じ。光陰(クワウイン)何のためにか惜しむとならば、内(ウチ)
 に思慮なく、外(ホカ)に世事(セジ)なくして、止まん人は止み、修(シュ)せん
 人は修せよとなり。
 
 ※
 少しの時間を惜しむ人は居ない。これは、よくわかっているからか、愚かなためか。
 愚かにも軽んずる人のために言えば、一銭は小銭だといっても、これが集まれば、貧
 しい人も豊かな人となる。だからこそ、商人の、一銭を惜しむ心というのは、真剣な
 のだ。一瞬を感じなくても、時は流れ止まることがないのだから、命の尽きるとき
 が、いずれやって来る。
 
 そうであるから、仏道修行者は、遠い将来を思ってはいけない。ただ今の一瞬を、無
 駄に過ごさないようにすべきだ。もし、人がやって来て、命が、明日には必ず尽きま
 すよと知らせてくれたとして、今日の暮れるまでに、何を願い、何をするのだ。我等
 が生きている今日という日が、なぜ、その日と違うといえるのだ。一日のうちに、飲
 食、排泄、睡眠、会話、移動、止めることができない事で、多くの時間を失う。その
 残りの短い時間で、意味の無い事をし、意味の無い事を言い、意味の無い事を考えて
 時を過ごし、日を費やし、月を経て、一生を送ってしまうのは、最も愚かなことだ。
 
 謝霊運は、法華経を翻訳した人だけれども、心は、常に自然を観照していたので、恵
 遠は、白蓮社とのかかわりを許さなかった。少しも時間がないのでは、死んでいるの
 と同じ。月日をなぜ惜しむのかと問われれば、心に思うことがあり、他人とのかかわ
 りがあるからこそ、止めたければ止められるし、修めたければ修められるからだとい
 うことだそうだ。
 ※
 「ご隠居はん、なんだかちょっと...」
 「お前が言うなと。」
 「はははは、そう、そのとおりです。窓の隙間から美男子を見ていたり、女の残り香
 がどうのとこうのと言っている同じ人の言葉とは思えませんよ。」
 
 謝霊運:[385〜433]中国、南朝宋の詩人。官吏としてはこれと言った業績はなかった
     らしいが、文才があり、山水を題材に多くの作品を残している。法華経を漢
     訳したほどの人物ではあるが、詩人であり続けたことで、不信心者だと思わ
     れたのだろうか。
 恵遠 :[334〜416]仏僧。白蓮社という念仏結社をつくる。
 
 最後の二、三行は、そのまま現代語訳すると意味不明なので、散々考えたのですが、
 結局意味不明な文章になってしまいました。修行の時間がない=死人と同じ。だから
 月日を大切にしても修行しないのでは死んでいるのと同じ。死にたければ死ね、修行
 したければ修行せよ、二つに一つだ。そんなふうに読むのは、いき過ぎかな。
2008/02/11(Mon)

第百七段 女の物言ひかけたる返事
 「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」と
 て、亀山(カメヤマノ)院の御時、しれたる女房ども、若き男達(オノコタチ)の参
 らるる毎に、「郭公(ホトトギス)や聞き給へる」と問ひて心見(ココロミ)られけ
 るに、某(ナニガシ)の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へら
 れけり。堀川(ホリカハノ)内大臣殿は、「岩倉(イハクラ)にて聞きて候ひしやら
 ん」と仰せられたりけるを、「これは難(ナン)なし。数ならぬ身、むつかし」など
 定め合はれけり。
 
 すべて、男(オノコ)をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前
 (ジヤウドジノサキノ)関白殿は、幼(ヲサナ)くて、安喜門院(アンキモン)のよ
 く教へ参らせさせ給ひける故に、御詞(オンコトバ)などのよきぞ」と、人の仰せら
 れけるとかや。山階(ヤマシナノ)左大臣殿は、「あやしの下女(シモヲンナ)の身
 奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なり
 せば、衣文(エモン)も冠(カムリ)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。
 
 かく人に恥ぢらるゝ女、如何(イカ)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(シヤ
 ウ)は皆ひがめり。人我(ニンガ)の相(サウ)深く、貪欲甚(トンヨクハナハ)だ
 しく、物の理(コトワリ)を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞(コトバ)
 も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさまし
 き事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりた
 るかと思へば、その事、跡(アト)より顕(アラ)はるゝを知らず。すなほならずし
 て拙(ツタナ)きものは、女なり。その心に随(シタガ)ひてよく思はれん事は、心
 憂(ココロウ)かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女(ケンジ
 ヨ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷ひを主(アルジ)とし
 てかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚(オボ)ゆべき事なり。
 
 ※
 「女がかけた言葉に、すばやく、上手く受け答え出来るのが良い男というもので
 す。」ということで、亀山院の頃、いい気な女たちが、若い男たちがやって来るたび
 に、「ホトトギスの声をお聞きになられましたか。」と聞いて試してみたところ、何
 とかという大納言は、「私のようなものには、聞こえてきませんねぇ。」と答えられ
 たそうだ。堀川の内大臣は、「岩倉で聞いたような気がします。」とおっしゃったそ
 うで、「これは無難ね。私のようなものが、というのはだめだわね。」などと採点し
 合っていた。
 
 男子は、女子に笑われないように育てなければならない。「浄土寺前の関白殿は、幼
 い頃から、安喜門院に教え育てられたので、会話がうまい。」と、何方かがおっしゃ
 っていた。山階左大臣殿は、「下々の女性たちから見られる時でさえ、いつも恥ずか
 しくないよう、気を遣っている。」とおっしゃっていた。女が居ない世の中なら、服
 にも冠にも、いや全ての物に、気を遣う人はいないことだろう。
 
 こんなに人に気を遣わせる女たちだけど、どんなに良いものかと考えてみると、実は
 女というのは皆ゆがんでいる。自己中心的で、欲張りで、物事の筋道を考えない。た
 だただ、気持ちの移り変わりが速く、遠まわしに言っては、簡単なことさえ素直に話
 さない。深い考えがあるかと思えば、余計なことを聞きもしないのに喋り出す。計算
 高さでは、男より優れているかと思えば、その事が、後でばれるということを考えな
 い。素直でなく愚かなのが、女だな。そんな女たちに良く思われようとするのだか
 ら、情けないものだ。だったら、なぜ女に対して気を遣うのだろう。例えば賢女とい
 うものが居るとしたら、もっとつらく、うっとうしくなるのかな。それなら、あれこ
 れ迷いながらもそんな女たちと付き合っていく方が、やさしくもあり、楽しくもある
 と思えってことか。
 
 ※
 「ご隠居はん、女性から『もてるでしょ。』と聞かれた時、『いえいえ、全然』と答
 えてはいけないそうです。『さぁどうかなぁ。』と答えるといいそうです。」
 「何の豆知識かね。」
 「いや、まぁそんな風な会話かと。異性を気にする。でも気にする相手とはどんなも
 のか。自己中、欲張り、へそ曲がり。計算高く猫かぶり、お喋りで、おばかさん。」
 「敵を作ったね。それは。」
 
 堀川内大臣 :源(堀川)具守、岩倉具実の子。1249〜1316
 浄土寺前関白:藤原(九条)師教、藤原忠教の子。1273〜1320
 安喜門院  :後堀河帝の皇后、藤原有子、藤原公房の娘。1207〜1286
 山階左大臣 :藤原(山階)実雄。
 
 登場人物を並べてみましたが、気になるのは某大納言とは誰か。
 堀川内大臣と年が近い人。亀山天皇(1249年生まれ。在位1259〜1274)の頃の大納言
 で、おそらく十代。堀川が内大臣になったのが1313年ですから、1283年生まれの兼好
 からすれば、かなりの昔話ですね。某大納言は教養人で、女たちはその教養を理解で
 きなかったというお話です。と、言うわけで、この段全体が女性批判といってよいか
 と。
2008/01/27(Sun)

第百六段 高野証空上人、京へ上りけるに
 高野証空上人(カウヤノシヨウクウシヤウニン)、京へ上りけるに、細道(ホソミ
 チ)にて、馬に乗りたる女の、行(ユ)きあひたりけるが、口曳(ヒ)きける男、あ
 しく曳きて、聖(ヒジリ)の馬を堀へ落してンげり。
 
 聖、いと腹悪(ハラア)しくとがめて、「こは希有(ケウ)の狼藉(ラウゼキ)か
 な。四部(シブ)の弟子はよな、比丘(ビク)よりは比丘尼(ビクニ)に劣り、比丘
 尼より優婆塞(ウバソク)は劣り、優婆塞より優婆夷(ウバイ)は劣れり。かくの如
 くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入(ケイ)れさする、未曾有(ミゾウ)の悪
 行(アクギヤウ)なり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝやらん、
 えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学(ヒ
 シュヒガク)の男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言(ハウゴン)しつと思ひけ
 る気色(ケシキ)にて、馬ひき返して逃げられにけり。
 
 尊(タフト)かりけるいさかひなるべし。
 
 ※
 高野山の証空上人が、上京の途中、細道にて、馬に乗った女と、行き当たったのだ
 が、その馬の口を曳いていた男が、扱いを誤り、聖の乗った馬を堀へ落としてしまっ
 た。
 
 すると聖は、大変腹をお立てになって、「これは前代未聞の狼藉。シブの弟子という
 のはだな、ビクよりビクニは劣り、ビクニよりウバソクは劣り、ウバソクよりウバイ
 は劣る。こんなウバイのような身分のものが、ビクを堀へ突き落とすとは、未曾有の
 犯罪じゃ。」と言ったのだが、口曳きの男は、「何を言ってるのか、さっぱりわから
 ん。」と言ったので、上人は、ますます息巻いて、「何だと、この無教養者。」と罵
 ったのだが、とんでもない暴言を吐いたと気付いたのか、馬を引き返して逃げてしま
 ったそうだ。
 
 貴重な経験だったってことだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、論語読みの論語知らずみたいなお話ですね。」
 「まぁ世の中こんなこともあるのだけれど、身分や立場の問題ではないのに、どうも
 そんなことで善悪の判断をしようとする人が居るね。」
 「個人攻撃ってやつですね。たしかに不毛なことですね。それに言行不一致というの
 もある。」
 「いいかげん気付いてほしいものだけれどね。」
 
 四部:釈迦の弟子には以下の四種ある。
 比丘:男の僧
 比丘尼:女の僧。尼僧
 優婆塞:男の信者
 優婆夷:女の信者
 上二つは出家していて、他は出家していない。
2008/01/20(Sun)

第百五段 北の屋蔭に消え残りたる雪の
 北の屋蔭(ヤカゲ)に消え残りたる雪の、いたう凍(コホ)りたるに、さし寄せたる
 車の轅(ナガエ)も、霜いたくきらめきて、有明(アリアケ)の月、さやかなれど
 も、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂(ミダウ)の廊(ラウ)に、なみなみにはあ
 らずと見ゆる男(ヲトコ)、女(ヲンナ)となげしに尻かけて、物語するさまこそ、
 何事かあらん、尽(ツ)きすまじけれ。
 
 かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫(カホ)りたるこ
 そ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。
 
 ※
 北側の家の陰に消えずに残っていた雪が、凍りつき、車の轅に、霜がきらめき、朝方
 の月、くっきりと澄んではいるけれど、辺りを全て照らし出すほどではない、ひと気
 のない御堂の廊下に、並ではない男、女となげしに腰掛けて、語り合う姿、どんなこ
 とを話しているのだろう、話題は尽きないようだ。
 
 容姿端麗、いい香りがここまで漂ってくるようで、見ていて惚れ惚れする。
 話し声が、途切れ途切れ聞こえるのも、いい感じだね。
 
 ※
 「ご隠居はん、めずらしく詩的な文ですね。」
 「詩人だね。でも変態。」
 「あ、言ってしまいましたね。」
 「冬の明け方の寒くて暗いうちに何をしているんだ、それもいい香りがするって、覗
 きかいな。」
 「四十四段という先例もありますか。でもご隠居はん、いい様に解釈するとです
 ね。」
 「できるんか。」
 「ええ。トイレに行こうとしたとき偶然見かけた。いや、朝帰りしたときに偶然見か
 けた。」
 「香りはどうする?」
 「そ、それは香りじゃなく、え....オーラ。そう、オーラですよ。」
2008/01/13(Sun)

第百四段 荒れたる宿の、人目なきに
 荒れたる宿の、人目(ヒトメ)なきに、女の、憚(ハバカ)る事ある比(コロ)に
 て、つれづれと籠(コモ)り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜(ユフヅ
 クヨ)のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことしくとがむれ
 ば、下衆女(ゲスヲンナ)の、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内せさ
 せて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心ぐるし。あやし
 き板敷(イタジキ)に暫(シバ)し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若(ワ
 カ)やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭(トコロセ)げなる遣
 戸(ヤリド)よりぞ入り給ひぬる。
 
 内(ウチ)のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのかなれ
 ど、もののきらなど見えて、俄(ニハ)かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう住みなし
 たり。「門(カド)よくさしてよ。雨もぞ降る、御車(ミクルマ)は門の下に、御供
 (オトモ)の人はそこそこに」と言へば、「今宵(コヨヒ)ぞ安き寝(イ)は寝
 (ヌ)べかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞(キコ)
 ゆ。
 
 さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深(ヨブカ)き鳥も鳴きぬ。来
 (コ)し方・行末(ユクスヱ)かけてまめやかなる御(オン)物語に、この度(タ
 ビ)は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急
 ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙(ヒマ)白くなれば、忘れ難
 き事など言ひて立ち出(イ)で給ふに、梢(コズヱ)も庭もめづらしく青み渡りたる
 卯月(ウヅキ)ばかりの曙(アケボノ)、艶(エン)にをかしかりしを思(オボ)し
 出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。
 
 ※
 荒れていて、誰も気にかけないような家に、女が一人、訳あって、ひっそりと隠れ住
 んでいるのを、ある人が、見舞おうと、夕月夜の薄暗い中、こっそりとお尋ねになっ
 たとき、犬がワンワンと吠え立てたので、出てきた下女に、「どちら様ですか」と問
 われたのだが、そのまま案内させて、入って行かれた。
 あまりの荒れ方に、どうやって暮らしているのだろうかと、とてもすまない思いがし
 た。
 痛んだ板敷きに暫く立って居られたが、落ち着いてはいるが、若やいだ感じで、「こ
 ちらへ」と言う声がしたので、開いていた狭い戸から入って行かれた。
 
 部屋の様子は、荒れては居なかった。いい感じで、部屋の隅のわずかな灯りが、調度
 を美しく見せ、よく馴染んだほのかな香りと共に住む人のセンスをうかがわせる。
 「門をしっかりお閉めなさい。雨が降るでしょうから、お車は門の下へ、お供の方は
 どこそこへ」と言う声も、「今宵はゆっくりお休みください」とささやく声も、姿は
 見えなくても、さほど離れていないので、かすかに聞こえる。
 
 さて、今回の事を細やかにお聞きになられているうちに、夜更けの鳥が鳴いた。昔の
 こと、これからのこと、色々話しているうちに、今度は鳥もにぎやかに鳴きだしたの
 で、もうすぐ夜が明けてしまいますねと聞こえたけれど、深夜に急いで帰らなければ
 ならない場所でもない、すこしゆっくりしていたら、戸の隙間が白んできたので、未
 練を断ち切るかのような言葉を残し部屋を出てゆくと、梢も庭も目を見張るほどに
 青々とさせた春の日の出とが、つややかできれいだったのを思い出しながら、この家
 の桂の木が見えなくなるまで、今も近くを通ると眺めているそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、若かりし頃の思い出ですか。」
 「兼好の?」
 「そう言われれば、他人の話にしては詳しく知りすぎな気もしますね。」
 「あ、なるほど。」
 「え、あっ、そういうことか。作り話というか小説というか、見てきたように書いて
 いるわけですかね。」
2008/01/13(Sun)

第百三段 大覚寺殿にて、近習の人ども
 大覚寺殿(ダイカクジドノ)にて、近習(キンジユ)の人ども、なぞなぞを作りて解
 かれける処へ、医師忠守(クスシタダモリ)参りたりけるに、侍従(ジジユウ)大納
 言公明卿(キンアキラノキヤウ)、「我が朝(テウ)の者とも見えぬ忠守かな」と、
 なぞなぞにせられにけるを、「唐医師(カライシ)」と解きて笑ひ合はれければ、腹
 立ちて退(マカ)り出(イ)でにけり。
 
 ※
 大覚寺で、近習の人などが、なぞなぞを作って楽しんでいるところへ、医師の丹波忠
 守がやって来た、そこで侍従大納言公明卿が「我が国の者とは見えない者で、タダモ
 リってだ〜れだ」と、なぞなぞにして、「唐医師」と解いて笑い者にされたので、腹
 を立てて帰ってしまった。
 
 ※
 「ご隠居はん、幼稚ないじめですね。いじめたほうを今回もからかうように”卿”っ
 て呼んでます。」
 「呼び方にこだわるねぇ。この先どうなるかわからないよ。」
 「大丈夫です。この先も同じように読みますから。」
 
 丹波氏は中国からの帰化人だそうで、その医師ですから”唐医師”と言えば忠守のこ
 となんでしょう。でも、見た目で中国人だとわかったのかなぁ。このなぞなぞ「わが
 国のタダモリといえば」だったら、平忠盛になるのでしょうね。まぁどちらにしても
 つまらんなぞなぞです。
2007/12/30(Sun)

第百二段 尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに
 尹(インノ)大納言光忠卿(ミツタダノキヤウ)、追儺(ツヰナ)の上卿(シヤウケ
 イ)を勤められけるに、洞院(トウヰンノ)右大臣殿に次第(シダイ)を申し請
 (ウ)けられければ、「又五郎男(マタゴラウヲノコ)を師とするより外(ホカ)の
 才覚(サイカク)候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士(ヱジ)
 の、よく公事(クジ)に慣れたる者にてぞありける。
 
 近衛(コノヱ)殿著陣(チヤクヂン)し給ひける時、軾(ヒザツキ)を忘れて、外記
 (ゲキ)を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候ふら
 ん」と忍びやかに呟(ツブヤ)きける、いとをかしかりけり。
 
 ※
 検察庁長官である大納言源光忠卿が、悪鬼払いの儀式の責任者を勤められるとき、洞
 院公賢右大臣殿に式次第について教えを請われたのだが、「又五郎に聞くよりほか思
 いつかないなぁ。」とおっしゃったそうだ。その又五郎とは、老いた衛士で、よく儀
 式に通じた者だそうだ。
 
 以前近衛殿が着座されようとした時、敷物を忘れたまま、外記をお呼びになったの
 で、近くで火の番をしていた又五郎が、「まず、敷物をお引きになられたほうがよろ
 しゅうございます。」と小声でつぶやいたそうだ、面白いね。
 
 ※
 「ご隠居はん、前段と似たお話ですが、この段は、並み居る大臣たちより警備のおじ
 いさんのほうが物事に通じていると面白がって居ますね。」
 「それは仕方がないことで、今だって大臣より職員のほうが通じているよね。」
 「この段では”卿”とか”殿”とか恭しく呼んでいますね。いつもなら”右大
 臣”、”相国”と呼び捨てですから。つい、からかっているように感じてしまいまし
 た。」
 「今年も一段と人が悪くなったねぇ。」
 
 
 尹 :弾正台長官、弾正台とは検察に当たる唐の官庁。検察長官といえば第九十九段
    の大理と役割がかぶっています。実際、律令制で定められた官庁でありながら
    権限は大理−検非違使に奪われていて、名目だけになっていたようです。
 追儺:大晦日に行われる悪鬼を追い払う行事。第十九段にも出てきていますね。現代
    では節分の豆まきがこれにあたるようです。
2007/12/29(Sat)

第百一段 或人、任大臣の節会の内辨を勤められけるに
 或人(アルヒト)、任大臣(ニンダイジン)の節会(セチヱ)の内辨(ナイベン)を
 勤められけるに、内記(ナイキ)の持ちたる宣命(センミヤウ)を取らずして、堂上
 (タウシヤウ)せられにけり。極まりなき失礼(シチライ)なれども、立ち帰り取る
 べきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱(ロクヰノゲキヤスツナ)、
 衣被(キヌカヅ)きの女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけ
 り。いみじかりけり。
 
 ※
 ある人が、大臣任命式で内辨を勤められたのだが、内記から辞令を受け取らずに、殿
 上へのぼってしまった。とんでもない失態だけれども、取りに戻るわけにもゆかず、
 どうしようかと困っていると、六位外記の中原康綱が、衣被姿の女官に耳打ちして、
 問題の辞令を、こっそりとお渡しになったそうだ。うまいことやったな。
 
 ※
 「ご隠居はん、普通に読めば、名指ししていない内辨の失敗、中原康綱のお手柄の話
 なのでしょうけれど、私は性格が悪いので。」
 「言わんでもわかってるよ。」
 「中原め、うまくやりやがって。という感じで終わらせて見ました。」
 「実際はどうだったかわからないけれどね。」
 「今なら、メダル授与式でプレゼンターがメダルを持ってくるわけではなく、女官が
 お盆に載せて渡す。そんな感じでしょう。」
 「女官て...」
 
 節会:節日に行われる宴会。任大臣の節会は臨時ということです。
 内辨:大臣任命の儀式の際に任命される役職。現代風に言えばプレゼンターかな。
 内記:天皇側近の書記係りとして詔勅の作成や宮中の記録を担当していた。
    大・中・少がある。軍隊の階級と同じだな。
 外記:太政官の書記係として公文書の作成や公務の記録を担当。
    こちらは大・少の二階級。中原氏の世襲だそうです。
2007/12/16(Sun)

閑話
 「ご隠居はん、いよいよ3年目、100段越えです。」
 「ふんふん、ここまでの感想は。」
 「徐徐に原文でも意味がわかるようになってきたというのは、前回の閑話でも書きま
 した。今はもう少し微妙なニュアンスが感じられるようになってきたのです。ただ、
 そうなると、現代文へ置き換えるのが難しくなってきました。この微妙な感じはどう
 表現したらいいのか。原文のままでもいいのではないか、いや、そんなのはおかし
 い、と迷ってしまうようになりました。」
 「それにその感じ方は、読む人によっても違うだろうからね。」
 「そうなんです。ですからご隠居はんと検討できることの重要さがわかりました。」
 「そうだろう、そうだろう。」
 「そうやって検討して、感じをつかんでも、私の文章力では精精語尾を変えるぐらい
 しかできませんので、表現というのは難しいものだとつくづく考えさせられます。」
 「そう、伝えたいことを短い文章にするというのは難しい。徒然草はそういう文章な
 んだよ。」
 「きっと難しいと感じているのはその所為なんですね。ということで、これからもよ
 ろしくお願いしますご隠居はん。」
2007/12/15(Sat)

第百段 久我相国は、殿上にて水を召しけるに
 久我相国(コガノシヤウコク)は、殿上(テンジヤウ)にて水を召(メ)しけるに、
 主殿司(トノモヅカサ)、土器(カハラケ)を奉りければ、「まがりを参らせよ」と
 て、まがりしてぞ召しける。
 
 ※
 久我相国が、殿上にて水を飲もうとしたとき、主殿司が、カワラケを差し上げたのだ
 が、「まがりを持ってきなさい」といい、まがりで飲んだそうだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、前段と同じく相国の話で、それ以外何の話、という感じです。」
 「短い文だけど、書き留めたのだから意味があるのだろうね。」
 「前段と対になっている?」
 「相国にも色々ですか。ん...保留としましょう。」
 
 久我相国:久我通光(1187〜1248・在位1246〜1248)と久我雅実(1058〜1127・在位
      1122〜1124)の両説がある。100年以上も違うとは...
      久我通光は在位中に亡くなっているので、毒殺を恐れていた?この後の相
      続争いもありますので。
      久我雅実は久我相国記というのを書いている。こちらの可能性が高いか。
 主殿司 :雑務担当の女官。
 土器  :素焼きの杯。今、かわらけと言えば、白い色の釉薬を使った焼き物ですよ
      ね。神棚でお供えなんかが載っているあれです。
      イメージとしては下のリンク参照。使い捨てってことですから、殿上にふ
      さわしくないと思ったのか、もったいないと思ったのか。
 http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/mb14/tame19.html
 まがり :薄い木をまげて作った器。ひしゃくのようなものかな?検索しても見当た
      らなかった。本当に器のことを言っているのか?
2007/11/27(Tue)

最新  24.. 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10.. ページ


Resbo-2005 B - a (RaKuGaKiNoteTopPage)