第百三十二段 鳥羽の作道は |
鳥羽(トバ)の作道(ツクリミチ)は、鳥羽殿建てられて後の号(ナ)にはあらず。 昔よりの名なり。元良親王(モトヨシノシンノウ)、元日(グワンニチ)の奏賀(ソ ウガ)の声、甚だ殊勝(シユシヨウ)にして、大極殿(ダイコクデン)より鳥羽の作 道まで聞えけるよし、李部(リホウ)王(ワウ)の記に侍るとかや。 ※ 鳥羽作道は、鳥羽殿が建てられた後の呼び名ではない。昔からの名前なのだ。元良親 王の、新年の祝辞を述べる声が、非常に明瞭で、大極殿から鳥羽作道まで聞こえたと いう事が、李部王の日記に載っているそうだ。 ※ 「ご隠居はん、あの声の大きいお方はどなたですか。」 「あれは元良親王だよ。」 「鳥羽作道に居ても聞こえるほどでしたよ。」 「はははっ。そんなに大きかったか。『面白いから日記に書いておこう。』」 「ご隠居はん、鳥羽作道は羅城門から南へ延びる道だそうです。そうすると大極殿か ら5kmほどの距離があります。本当に聞こえたんでしょうか。」 「いや、そんなつっこみは...。それほど大きかったという表現だから。て言うか聞 こえたって言ったのは君だろ。」 鳥羽の作道:現在では跡すらない道。 鳥羽殿 :白河上皇が1086年に建立。 元良親王 :(890-943)陽成天皇(869-949)の第一皇子。天皇が17歳で退位した 後に生まれる。歌人。百人一首にも入ってますね。 李部王の記:醍醐天皇の第四皇子重明親王(906-954)の日記。 李部とは式部の唐名。920年頃以降について書かれているそうで、 元良親王30歳以降のエピソードと考えられるが、李部王の記が現存し ていないため、真相は不明。 詳しくはWikiで http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%BE%BD%E4%BD%9C%E9%81%93 元良親王の歌 わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思う 不倫でお騒がせのあの方からは、こんな切なさは微塵も感じられませんなぁ。 2008/08/02(Sat)
|