第百十六段 寺院の号 |
寺院の号(ガウ)、さらぬ万(ヨロヅ)の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも 求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比(コロ)は、深く案じ、 才覚(サイカク)をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目 慣れぬ文字を付かんとする、益(エキ)なき事なり。 何事も、珍しき事を求め、異説(イセツ)を好むは、浅才(センザイ)の人の必ずあ る事なりとぞ。 ※ 寺院の号、他の全ての物についても、名前をつける時、昔の人は、何を期待したわけ でもなく、ありのまま、簡単に付けたものだ。最近では、あれこれと考えを巡らし、 知識をひけらかしているように見えて、嫌味なもんだ。人の名前にも、見慣れぬ文字 を使おうとしているようだけど、いいことなんか何んにもないのだけれどね。 何事につけ、珍しさ、風変わりを好むのは、浅はかな人間のよくすることだ。 ※ 「ご隠居はん。もうなにも言いません。これ見てください。」 「ヘンな名前の子供」急増はいかがなものか? http://jp.youtube.com/watch?v=HWc-vMnolII 最近の親は子供にこんなDQNネームを名づけます3(自重.ver) http://jp.youtube.com/watch?v=17M9WsJrqOc&NR=1 赤ちゃんに一風変わった名前が流行、専門コンサルタントも登場 http://www.excite.co.jp/News/odd/00081206258046.html 2008/04/12(Sat)
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第百十四段 今出川の大殿 |
今出川(イマデガハ)の大殿(オホイトノ)、嵯峨(サガ)へおはしけるに、有栖川 (アリスガハ)のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(サイワウマル)、御牛 (オンウシ)を追ひたりければ、あがきの水、前板(マヘイタ)までさゝとかゝりけ るを、為則(タメノリ)、御車(ミクルマ)のしりに候ひけるが、「希有(ケウ)の 童(ワラハ)かな。かゝる所にて御牛(オンウシ)をば追ふものか」と言ひたりけれ ば、大殿、御気色(ミケシキ)悪(ア)しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸 にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭(カシラ)を打ち当てられにけ り。この高名(カウミヤウ)の賽王丸は、太秦殿(ウヅマサドノ)の男、料(レウ) の御牛飼(オンウシカヒ)ぞかし。 この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふ ばら、一人はおとうしと付けられけり。 ※ 今出川の大臣が、嵯峨へ向かわれたとき、有栖川の辺りの、水の流れている所で、賽 王丸が、牛を追い立てたため、跳ね上げられた水が、御車の前板へばさばさとかかっ た。為則が、御車の後ろの席に座っていたのだが、「なんという御者だ。こんな場所 で牛を追いたててどうする。」と言ったので、大臣、機嫌が悪くなって、「お前、車 の運転について、賽王丸以上の者は居らんのだぞ。この馬鹿者。」と言って、御車に 頭を打ち付けられた。この有名な賽王丸は、太秦殿の家来で、天皇家の牛飼なのだ。 この太秦殿に仕える侍女たちは、膝幸(ひざさち)、こと槌(ことづち)、胞腹(ほ うばら)、乙牛(おとうし)と名付けられているそうだ。 ※ 「ご隠居はん、何も車に頭を打ち付けなくてもいいと思うのですが...。」 「気性が荒い貴族だね。あるいは賽王丸に気を遣ったのかもしれないよ。」 「大臣が気を遣うのですか。これには裏の力関係でもあるのでしょうか。」 今出川の大殿:菊亭兼季(右大臣在職1322-1323年)、西園寺実兼の子。 参考:第八十三段 竹林院入道左大臣殿 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=9#84 この今出川の大殿については、西園寺公相(1223-1267)だとする説もあるようです が、時代が違い過ぎるような気がします。ただ、その父実氏(1194-1269)は第九十 四段で登場するわけで、百年前の話を書いたネタ本があれば可能かもしれない。祖父 公経(1171-1244)と合わせれば賽王丸が仕えた西園寺家三代というのとは合うし、 実兼(1249-1322)、公相(1223-1267)と兼季が大臣だった1322年だと少なくとも6 0歳を超えていないと無理なんだなぁ。 賽王丸:西園寺家に三代に渡って仕えているらしい牛飼。 太秦殿:藤原信清(1159-1216)に縁のある者としかわからない。 2008/03/30(Sun)
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