第百四十六段 明雲座主 |
明雲座主(メイウンザス)、相者(サウジヤ)にあひ給ひて、「己れ、もし兵杖(ヒ ヤウヂヤウ)の難(ナン)やある」と尋ね給ひければ、相人(サウニン)、「まこと に、その相おはします」と申す。「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害(シヤ ウガイ)の恐れおはしますまじき御身(オンミ)にて、仮(カリ)にも、かく思(オ ボ)し寄りて、尋ね給ふ、これ、既(スデ)に、その危(アヤブ)みの兆(キザシ) なり」と申しけり。 果(ハタ)して、矢に当りて失せ給ひにけり。 ※ 明雲座主が、人相見を訪ねて、「私には、もしかすると武器による禍の相が出ていま せんか」と聞いたところ、人相見は、「おっしゃるように、その相が出ています。」 と答えた。「どんな相ですか」とさらに聞くと、「身に危険が及ばない御身分である にもかかわらず、もしや、と思って、訪ねてきたのは、これ、既に、危険の前兆であ ります。」と答えた。 結局、矢に当たって死んでしまった。 ※ 「ご隠居はん、死ぬのが怖い、死ぬのがわかった、なのに死から逃れられなかっ た。」 「後悔していたのだろうか、それとも腹をくくったのかな。」 明雲座主:(1115-1184)源顕通の子。詳しくはウィキペディアをご覧ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E9%9B%B2 最高位僧であり、70歳近い高齢でありながら戦場で殺生を行い挙句に戦死って? 2009/04/18(Sat)
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第百三十九段 家にありたき木は |
家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ゴエフ)もよし。花は、一重(ヒトヘ)な る、よし。八重桜(ヤヘザクラ)は、奈良の都にのみありけるを、この比(ゴロ) ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近(サコン)の桜、皆、一重(ヒトヘ)に てこそあれ。八重桜は異様(コトヤウ)のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植 ゑずともありなん。遅桜(オソザクラ)、またすさまじ。虫の附(ツ)きたるもむつ かし。梅は、白き・薄紅梅(ウスコウバイ)。一重なるが疾(ト)く咲きたるも、重 (カサ)なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚 え劣り、気圧(ケオ)されて、枝に萎(シボ)みつきたる、心うし。「一重なるが、 まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言(キヤウゴクノニ フダウチユウナゴン)は、なほ、一重梅をなん、軒(ノキ)近く植ゑられたりける。 京極の屋(ヤ)の南向きに、今も二本(フタモト)侍るめり。柳、またをかし。卯月 (ウヅキ)ばかりの若楓(ワカカヘデ)、すべて、万(ヨロヅ)の花・紅葉(モミ ヂ)にもまさりてめでたきものなり。橘(タチバナ)・桂(カツラ)、いづれも、木 はもの古(フ)り、大きなる、よし。草は、山吹(ヤマブキ)・藤(フヂ)・杜若 (カキツバタ)・撫子(ナデシコ)。池には、蓮(ハチス)。秋の草は、荻(ヲ ギ)・薄(ススキ)・桔梗(キチカウ)・萩(ハギ)・女郎花(ヲミナヘシ)・藤袴 (フヂバカマ)・紫苑(シヲニ)・吾木香(ワレモカウ)・刈萱(カルカヤ)・竜胆 (リンダウ)・菊。黄菊(キギク)も。蔦(ツタ)・葛(クズ)・朝顔。いづれも、 いと高からず、さゝやかなる、墻(カキ)に繁(シゲ)からぬ、よし。この外(ホ カ)の、世に稀(マレ)なるもの、唐めきたる名の聞きにくゝ、花も見馴(ナ)れぬ など、いとなつかしからず。 大方(オホカタ)、何(ナニ)も珍(メヅ)らしく、ありがたき物は、よからぬ人の もて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。 ※ 庭に植えたい木と言えば、松と桜。松は、五葉松もいいな。花は、一重の方が、よ い。八重桜は、奈良の都にだけあったものを、最近では、あちらこちらで見られるよ うになった。吉野の花も、左近の桜も、どちらも一重のはずだ。八重桜は好きじゃな い。うっとうしくて、あり得ない。植え無くてもいいのに。遅桜も、嫌なものだ。 虫が付くのも最悪。梅は、白い薄紅梅。一重のものが一面に咲くのも、重なるように 咲いた紅梅が香ってくるのも、どれもいい。遅い梅は、桜と咲き比べられると、見劣 りし、まるで気圧されて、枝にしがみ付いているようで、情けない。「一重の花が、 さっと咲いて、散ってしまうのは、清々しくて、いいものだ。」と、京極入道中納言 は、やはり、一重の梅をね、軒近くに植えられたそうだ。京極の屋敷の南向きに、今 も二本植わっている。柳もまた、いいもんだ。卯月の頃の若楓は、どんな花や紅葉よ りも優って素晴らしいものだね。橘に桂、どちらも、古くて、大きいほうが、よい。 草といえば、山吹、藤、杜若、撫子。池には、蓮。秋の草は、荻、薄、桔梗、萩、女 郎花、藤袴、紫苑、吾木香、刈萱、竜胆、菊。それに黄菊もあるな。蔦、葛、朝顔。 これらは、そんなに高くない、ささやかな、垣に沢山茂っていない方が、よい。これ 以外の、めずらしいもの、中国風の名を聞きなれないもの、花も見慣れないものなん て、どうでもいいんだな。 大抵の場合、珍しくて、希少な物なんて、センスのない人が持って喜ぶもの。 そんなもの、なくてもいいのに。 ※ 「ご隠居はん、お久しぶりです。」 「えっ?毎週会ってるけどね。」 「庭に植えたい木と言えば!」 「!?」 「花が咲いて実が生るものがいいなぁ。いいなぁというかそういう物しか植えていま せんが。」 「あらら、それでは兼好さんが嘆く方に入ってるよ。」 「いや、兼好さんも花見て一杯やってますよ。」 「ところで、この段もちょっと見方を変えて見てはどうだろう。」 「この段をですか?それはまた難しい...」 「二つの都、唐趣味、見慣れる花。」 「え...まぁ...。」 吉野の花:ソメイヨシノとは関係ないらしい。 http://www.jugemusha.com/jumoku-zz-yamazakura.htm 左近の桜:紫宸殿の向かって右側に植えられた桜。右近の橘。ひな人形も同じです ね。 京極入道中納言:藤原定家のこと。 2009/01/25(Sun)
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Re1:第百三十九段 家にありたき木は |
徒然草と直接関連は無いけれど、今日のニュースに藤原定家に関する記事がありまし たので載せておきます。 藤原定家自筆の書状がみつかったそうです。 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090403-OYT1T01064.htm 2009/04/04(Sat)
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