週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第百六十八段 年老いたる人の
 年老(オ)いたる人の、一事(イチジ)すぐれたる才(ザエ)のありて、「この人の後
 (ノチ)には、誰にか問はん」など言はるゝは、老(オイ)の方人(カタウド)にて、
 生(イ)けるも徒(イタヅ)らならず。さはあれど、それも廃(スタ)れたる所のなき
 は、一生、この事にて暮れにけりと、拙(ツタナ)く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひ
 てありなん。
 
 大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、
 おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨(ワキマ)へ知らず」など言ひたるは、
 なほ、まことに、道の主(アルジ)とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔(ガ
 ホ)に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思
 ひながら聞きゐたる、いとわびし。
 
 ※
 年老いた人が、ある物事に優れた才能を持っていて、「この人が居なくなったら、誰を
 頼りにすればいいのか」などと言われるのは、老いの勲章の様なもので、長生きするの
 もいいものだと思えるね。だけれどね、一分の隙もない様では、一生、これに明け暮れ
 ていたんだなぁと、憐れにも思える。「もう忘れたよ」とか言っておくのがいいのじゃ
 ないかな。
 
 大体は、知っているにしても、あちこちで言い散らすのは、随分無理をしているように
 見えるし、中には間違いもあるだろう。「詳しくは知りませんが」などと言ったりした
 ほうが、よっぽど、大物に思えるよ。まして、知らない事まで、知っているような顔を
 して、年長者であるだけに、反論するのもはばかれるような人が話すのを、「そうでも
 ないんだけどなぁ」と思いながら聞き続けるのは、耐えられないよ。
 
 ※
 「ご隠居はん、枯れた老人になりたいものです。」
 「すまんね、ギラギラしてて。」
 「えぇっ、ご隠居はんはそんなことないですよ。」
 「それにあんまりものも知らんからね。」
 「いやそんなことないですって。困ったなぁそういう拗ねた老人の方が嫌われますよ。
 」
2009/09/05(Sat)

第百六十七段 一道に携はる人
 一道(イチダウ)に携(タヅサ)はる人、あらぬ道の筵(ムシロ)に臨みて、「あは
 れ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常の
 ことなれど、よに悪(ワロ)く覚ゆるなり。知らぬ道の羨(ウラヤ)ましく覚(オボ)
 えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智(チ)を取り出
 でて人に争ふは、角(ツノ)ある物の、角を傾(カタブ)け、牙(キバ)ある物の、牙
 を咬み出だす類(タグヒ)なり。
 
 人としては、善に伐(ホコ)らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大
 きなる失(シツ)なり。品(シナ)の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖(セ
 ンゾ)の誉(ホマレ)にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言は
 ねども、内心(ナイシン)にそこばくの咎(トガ)あり。慎(ツツシ)みて、これを忘
 るべし。痴(ヲコ)にも見え、人にも言ひ消(ケ)たれ、禍(ワザワヒ)をも招くは、
 たゞ、この慢心(マンシン)なり。
 
 一道にもまことに長(チヤウ)じぬる人は、自(ミヅカ)ら、明らかにその非(ヒ)を
 知る故に、志(ココロザシ)常に満たずして、終(ツイ)に、物に伐る事なし。
 
 ※
 ある分野の専門家が、別の分野の集会に参加して、「なんてことだ、自分の専門分野で
 あれば、黙って聞いているなんてことはしないのに。」と言ったり、思ったりするの
 が、当たり前なのかもしれないけれど、あまり良いことではないね。知らない分野を羨
 ましく思うのなら、「羨ましいな。どうしてこの分野に進まなかったのだろう。」と言
 うべきだよ。自分の才能をひけらかす様に人と争いたというのなら、角のある動物が、
 角を傾け、牙のある動物が、牙を剥き出しにするのと同程度だね。
 
 人格というのは、才能を誇らず、物を争わないのを良しとする。他人より優れた所が有
 るのは、大きな欠点だよ。品の良さも、才芸に恵まれることも、先祖の栄誉にでも、他
 人より優れていると思うことは、たとえ言葉に出さなくても、わずかな仕草に表れるも
 のだ。謙虚になって、これらを忘れるべき。愚かに見えたり、人にけなされたり、禍を
 招いたりするのは、ここから生まれる慢心からなのだ。
 
 ある分野で優れた人というのは、自身の至らなさを知るが故、志がいささかも衰えず、
 最後まで、誇る事をしないものなんだよ。
 
 ※
 「ご隠居はん、テレビに出てくる政治や経済の専門家は自説を誇る人ばかりですが。」
 「それはそれでいいじゃない。問題は、自説に固執するあまり、議論をはぐらかした
 り、すり替えたりする人だよ。」
 「ということは、門外漢である我々も人を見極められる程度の知識は必要と言う事です
 かね。」
 「『能ある鷹は爪を隠す。』では困る世の中だからね。」
2009/08/29(Sat)

第百六十六段 人間の、営み合へるわざを見るに
 人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏(ユキボトケ)を作りて、そのために
 金銀・珠玉(シユギヨク)の飾りを営(イトナ)み、堂(ダウ)を建てんとするに似た
 り。その構(カマ)へを待ちて、よく安置(アンヂ)してんや。人の命(イノチ)あり
 と見るほども、下(シタ)より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多
 し。
 
 ※
 人間の、営みというものを見ていると、春の日に雪仏を作り、金銀・珠玉の飾りを用意
 し、お堂を建てようとするのに似ている。その完成を待って、うまく安置することがで
 きるだろうか。人生は長いと思っていても、下から融け出す雪の様なのに、完成を待つ
 ことばかり多すぎはしないかな。
 
 ※
 「ご隠居はん、仕方ないじゃないですか。物事には順番があるのですから。」
 「そうではなくて、意味も無いことに時間を浪費していないかと言っているのだよ。」
 「そうですかねぇ。なんだか焦っているようにしか見えませんが。」
 「死が何時やって来るかわからない。だから焦りに似たものはあるだろうね。」
 「それにしても...春の日に雪はないような。そもそもこの例えはあり得ない様な。」
 「それを言っては身も蓋も...。」
2009/08/15(Sat)

第百六十五段 吾妻の人の
 吾妻(アヅマ)の人の、都の人に交(マジハ)り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、
 また、本寺(ホンジ)・本山を離れぬる、顕密(ケンミツ)の僧、すべて、我が俗(ゾ
 ク)にあらずして人に交れる、見ぐるし。
 
 ※
 東国の人が、都の人に交わり、都の人が、東国へ行って身を立てたり、また、本寺や本
 山を離れた、真言・天台などの僧が、仏門外のことで人に交わるのも、どれもこれも、
 見苦しい。
 
 ※
 「ご隠居はん、ちょっと差別っぽいですね。」
 「田舎者対都会人はまずいかもね。ただ、それは庶民レベルの話で、今でも交流できな
 い層はあるからね。」
 「兼好さんだって出家しているのに歌読んでますが...」
 「反省の弁なのかもよ。」
2009/08/08(Sat)

第百六十四段 世の人相逢ふ時
 世の人相逢(アヒア)ふ時、暫(シバラ)くも黙止(モダ)する事なし。必ず言葉あ
 り。その事を聞くに、多くは無益(ムヤク)の談(ダン)なり。世間(セケン)の浮説
 (フセツ)、人の是非(ゼヒ)、自他(ジタ)のために、失(シツ)多く、得(トク)
 少し。
 
 これを語る時、互(タガ)ひの心に、無益(ムヤク)の事なりといふ事を知らず。
 
 ※
 世の人々が出会う時、少しでも黙っているということはない。必ず言葉を交わす。その
 内容はと言えば、多くは無駄な雑談だ。世間の噂、人の評価、互いに、失うことが多
 く、得るものは少ししかない。
 
 こういう話をすると、互いに、無駄な事をしているとは思わないのだな。
 
 ※
 「・・・・」
 「どうしたのかな。」
 「黙止してみました。」
 「具合が悪いのかと思ったよ。」
 「ご隠居はん、徒然草も人のことあれこれ言っているのに。」
 「益があるってことなんだろうね。」
 「ご隠居はんとのやり取りはどうなんでしょうか。」
2009/08/01(Sat)

第百六十三段 太衝の太の字
 太衝(タイショウ)の「太(タイ)」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽(オンヤ
 ウ)の輩(トモガラ)、相論(サウロン)の事ありけり。盛親入道(モリチカニフダ
 ウ)申し侍りしは、「吉平(ヨシヒラ)が自筆の占文(センモン)の裏に書かれたる御
 記(ギヨキ)、近衛関白殿(コノヱノクワンバクドノ)にあり。点打ちたるを書きた
 り」と申しき。
 
 ※
 太衝の太の字に、点を打つのか打たないのか、陰陽の連中が、お互いに論じあうという
 ことがあった。盛親入道の言うには、「安倍吉平の自筆の占文の裏に書かれている日記
 が、近衛関白殿の手元にある。それには点を打って書いてあった」と言っていた。
 
 ※
 「ご隠居はん、普通に考えたら『太』がいいにきまってますよ。」
 「なぜそう思うの。」
 「そりゃぁ太陽に関係ありそうだからです。」
 「聞いたのが間違いだった...。」
 
 太衝  :陰暦九月のこと。
 安倍吉平:安倍晴明の子。陰陽博士。
2009/07/25(Sat)

第百六十二段 遍照寺の承仕法師
 遍照寺(ヘンゼウジ)の承仕法師(ジヨウジホフシ)、池の鳥を日来(ヒゴロ)飼ひ
 つけて、堂(ダウ)の内まで餌(ヱ)を撒(マ)きて、戸一つ開けたれば、数も知ら
 ず入(イ)り籠(コモ)りける後(ノチ)、己れも入りて、たて籠(コ)めて、捕
 (トラ)へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞(キコ)えけるを、草刈
 (カ)る童(ワラハ)聞きて、人に告げければ、村の男(ヲノコ)どもおこりて、入
 りて見るに、大雁(オホカリ)どもふためき合へる中(ナカ)に、法師交(マジ)り
 て、打ち伏せ、捩(ネ)ぢ殺しければ、この法師を捕(トラ)へて、所(トコロ)よ
 り使庁(シチヤウ)へ出(イダ)したりけり。殺す所の鳥を頸(クビ)に懸(カ)け
 させて、禁獄(キンゴク)せられにけり。
 
 基俊(モトトシノ)大納言、別当(ベツタウ)の時になん侍りける。
 
 ※
 遍照寺の承仕法師は、池の鳥を日頃から飼いならし、お堂の中まで餌を撒き、戸を一
 か所開けておくと、数え切れないほどの鳥が入り込んだので、自分も入って、戸を閉
 め切、捕まえて殺し始めると、異様な物音がしたので、草刈りをしていた子供が聞き
 つけて、人に知らせたところ、村の男たちが急いで、入ってみると、大きな雁が羽ば
 たき逃げ惑う中に、法師が飛びつき、抑え込み、絞殺していたので、この法師を捕ま
 えて、そこから検非違使庁へ突き出した。殺した鳥を首に掛けさせて、投獄された。
 
 基俊大納言が、長官の時の出来事だ。
 
 ※
 「ご隠居はん、一体これは...」
 「なんだろうね。」
 「なんだろうと聞かれても困りますし、どう感想を言えばいいのか。坊さんが殺生し
 たからでしょうか。」
 「それだと寺内部の問題で、検非違使は関係ないね。」
 「動物愛護でしょうか。」
 「そんな思想があったとは思えないけれど、猟で鳥を殺すのはいいとしても、屋敷内
 で大量に殺すと罪になるのか。」
 「あ...結果が同じでも、日常的に行われることは問題なくて、非日常の出来事は取
 り締まられる。」
 「異常ということかな。」
 
 遍照寺  :広沢池のそばにあった真言宗の寺。
 承仕法師 :雑用係の僧。
 基俊大納言:第九十九段に出てくる堀川相国(久我基具)の子。太政大臣の頃が
       1289-1290年なので、基俊が別当だったのもこの頃かと思われる。
       兼好さん10歳に満たない頃かぁ。
 
 『第九十九段 堀川相国は、美男のたのしき人にて』
 http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=10#100
2009/07/18(Sat)

第百六十一段 花の盛りは
 花の盛(サカ)りは、冬至(トウジ)より百五十日とも、時正(ジシヤウ)の後(ノ
 チ)、七日(ナヌカ)とも言へど、立春(リツシユン)より七十(シチジフ)五日
 (ゴニチ)、大様違(オホヤウタガ)はず。
 
 ※
 花の盛りは、冬至から百五十日後とも、春分の後、七日とも言われたりしているが、
 立春より七十五日、というのが大体あっている。
 
 ※
 「ご隠居はん、年によって違いますが、冬至12月21日から150日後は5月20
 日、春分の日3月20日から7日後は3月27日、立春2月4日から75日後は4月
 20日、ということですが、現代ではどうかと調べてみたところ、3月下旬から4月
 下旬までのひと月が見頃のようです。徒然草ではお馴染みの仁和寺では4月上旬から
 4月下旬ということですから、兼好さんが言う4月20日頃と言うのはいい感じです
 ね。」
 「温暖化している、開花が早まっているという割にはあまり変わらないのかな。」
 「その点で調べてみたところ、冬の気温が高いと開花が遅れる場合もあるそうですか
 ら、開花と温暖化の関連性を言うのは難しいようです。」
 「その他に何かあるかな。」
 「桜の国に、なぜ桜の見ごろを示す暦が無いのか。調べたところ開花に関するものは
 ありました。七十二候の中に『桜始開』と言って桜の花が咲き始める頃を表す言葉が
 ありました。春分の日の後、6〜10日の間を指しています。3月26日〜30日で
 すね。江戸時代から使われているようなので、兼好さんの時代には無かったと思いま
 す。」
 「桜の品種にもよるだろうけれど、現代と変わりないね。それはそうと、本文につい
 ての話がまだだけど。」
 ギクッ!
 「え...厳しい冬の寒さを耐えるのに、満開の桜を想像したいのですよ。」
 「満開の桜の下でのどんちゃん騒ぎを想像したいのか。」
 「そ、そうですね。いつの時代も同じですね。あはははっ。」
 
 時正:昼と夜が同じ長さである日。ということだけど、昼と夜の区別はどうつけたの
    やら。
 
 京都桜めぐり
 http://www.kotomeguri.com/sakura/index.html
 
 Wiki-桜前線
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%89%8D%E7%B7%9A
2009/07/11(Sat)

第百六十段 門に額懸くるを「打つ」と言ふは
 門(モン)に額懸(ガクカ)くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路二
 品禅門(カデノコウヂノニホンゼンモン)は、「額懸くる」とのたまひき。「見物
 (ケンブツ)の桟敷(サジキ)打つ」も、よからぬにや。「平張(ヒラバリ)打つ」
 などは、常の事なり。「桟敷構(カマ)ふる」など言ふべし。「護摩(ゴマ)焚
 (タ)く」と言ふも、わろし。「修(シユ)する」「護摩(ゴマ)する」など言ふな
 り。「行法(ギヤウボフ)も、法(ホフ)の字を清(ス)みて言ふ、わろし。濁(ニ
 ゴ)りて言ふ」と、清閑寺僧正(セイガンジノソウジヤウ)仰(オホ)せられき。常
 に言ふ事に、かゝる事のみ多し。
 
 ※
 門に額を掛けることを「打つ」と言うのは、良くない。勘解由小路二品禅門は、「額
 を掛ける」と言っている。「見物の桟敷を打つ」と言うのも、良くないな。「平張り
 を打つ」などと、よく言われるものだ。「桟敷を構える」と言うべき。「護摩を焚
 く」と言うのも、間違い。「修する」「護摩をする」と言うのが正しい。「行法も、
 法の字を澄んで発音するのは、間違いだ。濁らせて言う。」と、清閑寺の僧正が仰っ
 た。普段の言葉遣いの中に、こういう例は多い。
 
 ※
 「ご隠居はん、焼きたてのパン屋さんですね。パン屋さんが焼きたて?ってあれで
 す。」
 「もうちょっと良い例はないのかな。」
 「蚊に噛まれる、食われるとか。」
 「兼好さんの例の方が良さそうだね。」
 「では、お言葉に従いまして。最初の額の話は、門に金具を打って、それへ額を掛け
 るわけですから、「額を掛ける」。杭や柱を地面に打って、桟敷を組み立てるから
 「桟敷を構える」。護摩とは儀式そのもののことで、焚かれるものは供物や護摩木。
 だから「護摩をする」。「行法」は今では「ぎょうほう」と読むが昔の仏教用語では
 「ぎょうぼう」。以上です。日本語は正しく使いましょう。でも難しいな。」
2009/07/04(Sat)

第百五十九段 みな結びと言ふは
 「みな結(ムス)びと言ふは、糸を結び重(カサ)ねたるが、蜷(ミナ)といふ貝に
 似たれば言ふ」と、或やんごとなき人仰せられき。「にな」といふは誤(アヤマリ)
 なり。
 
 ※
 「みな結びと言うのは、糸の結び目を重ねた様子が、蜷(みな)という貝に似たとこ
 ろから名付けられた」と、あるお偉い方がおっしゃった。「にな」と言うのは誤り
 だ。
 
 ※
 「ご隠居はん、引き続き国語のお話ですね。辞書で調べてみると『みな』とも『に
 な』とも読むようです。蜷貝も『にながい』『みながい』と、どちらでも読むよう
 で、蜷川さんは『にながわ』とも『みながわ』とも読み、皆川と言うのは当て字だそ
 うです。」
 「何のこっちゃ...。」
 「兼好さんはなぜ『にな』という読み方を否定したのでしょう。」
 「それはわからないね。さらに現代では結び方のほうは、『にな結び』といい、『み
 な結び』とは言わないようだから謎は深まるね。」
2009/06/27(Sat)

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