週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第百五十八段 盃の底を捨つる事は
 「盃(サカヅキ)の底を捨つる事は、いかゞ心得たる」と、或(アル)人の尋ねさせ
 給ひしに、「凝当(ギヤウダウ)と申し侍れば、底に凝(コ)りたるを捨つるにや候
 ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ギヨダウ)なり。流れを残し
 て、口の附(ツ)きたる所を滌(スス)ぐなり」とぞ仰(オホ)せられし。
 
 ※
 「盃の底に残った酒を捨てるのは、なぜだと思う。」と、ある人から尋ねられたの
 で、「凝当(ぎょうどう)と言うのですから、底に溜まったものを捨てるためで
 は。」と答えたところ、「いやそうではない。魚道(ぎょどう)なんだよ。流れを作
 って、口の着いたところを漱ぐためだよ。」とおっしゃった。
 
 ※
 「ご隠居はん、まるで我々の会話のようですね。」
 「確かにね。」
 「これだけでは面白くないので、『組織内に居る澱の様な奴を追い出すことを隠語で
 魚道と言う。』とかどうですか。」
 「どっからそんな事を思いつくのやら。」
2009/06/27(Sat)

第百五十七段 筆を取れば物書かれ
 筆を取れば物書かれ、楽器(ガクキ)を取れば音(ネ)を立てんと思ふ。盃(サカヅ
 キ)を取れば酒を思ひ、賽(サイ)を取れば攤(ダ)打たん事を思ふ。心は、必ず、
 事(コト)に触れて来る。仮にも、不善(フゼン)の戯(タワブ)れをなすべから
 ず。
 
 あからさまに聖教(シヤウゲウ)の一句(イツク)を見れば、何となく、前後(ゼン
 ゴ)の文(モン)も見ゆ。卒爾(ソツジ)にして多年(タネン)の非を改むる事もあ
 り。仮に、今、この文を披(ヒロ)げざらましかば、この事を知らんや。これ則ち、
 触るゝ所の益(ヤク)なり。心更(サラ)に起らずとも、仏前(ブツゼン)にあり
 て、数珠(ジユズ)を取り、経(キヤウ)を取らば、怠るうちにも善業自(ゼンゴフ
 オノヅカ)ら修せられ、散乱(サンラン)の心ながらも縄床(ジヨウシヤウ)に座
 (ザ)せば、覚えずして禅定成(ゼンヂヤウナ)るべし。
 
 事(ジ)・理(リ)もとより二つならず。外相(ゲサウ)もし背かざれば、内証(ナ
 イシヨウ)必ず熟す。強ひて不信を言ふべからず。仰(アフ)ぎてこれを尊(タフ
 ト)むべし。
 
 ※
 筆を取れば書きたくなり、楽器を取れば音をたてたいと思うだろう。盃を取れば酒を
 思い浮かべ、サイコロを取れば博打を打つことを思う。心は、必ず、事に触れて表れ
 る。だから冗談であっても、悪ぶってはならないのだよ。
 
 にわかに経典をめくり適当に一句を選んでみると、何となくでも、前後の文を知るこ
 とがある。そして突然にして長年の過ちを改めることがある。例えば、今、この文章
 を読んだから、この事を知ることができただろ。これだって、事に触れるということ
 の効果なのだよ。気分が乗らなくても、仏前にあって、数珠を取り、経を手にすれ
 ば、自然と善業を行い、いらつく心でも縄床に座れば、いつの間にか落ち着いてく
 る。
 
 心と態度は二つに分かれているわけではない。見た目の感じが良ければ、内面も必ず
 成熟している。外面だけだと侮ってはならない。敬い尊びなさい。
 
 ※
 「ご隠居はん、人は見た目が9割。」
 「宗教の世界ではね、見た目が10割なのだよ。」
 「えぇ!見た目で判断するなんて...。」
 「信仰することによって心を良くすれば、それが外面に表れるということだからね、
 『外面が良い』は『心が良い』となるのだよ。」
 「なるほど〜そうでなければ信仰心も持てませんね。あぁだからかぁ昼日中にやって
 来る新興宗教の勧誘をする人たちが物静かで和やかなのは。」
 「・・・。」
 「よし!では敢えてここは『見た目に騙されるな!』としておきます。」
 「捻くれてるねぇ。『強ひて不信を言ふべからず。』を忘れてはいないかい。」
 「あれ?これでは百五十二段の資朝卿と同じじゃないか。」
 「聞いてないし。」
 
 縄床:調べてみたけれど、どの辞書にも『禅僧が使う縄をはって作った椅子』とあ 
    る。でも、椅子なんか使うかなぁ?縄座布団ならわからんでもないが...。
2009/06/20(Sat)

第百五十六段 大臣の大饗は
 大臣(ダイジン)の大饗(ダイキョウ)は、さるべき所を申(マウ)し請(ウ)けて
 行ふ、常(ツネ)の事なり。宇治左大臣殿(ウヂノサダイジンドノ)は、東(トウ)
 三条殿(サンデウドノ)にて行はる。内裏(ダイリ)にてありけるを、申されけるに
 よりて、他所(タシヨ)へ行幸(ギヤウガウ)ありけり。させる事の寄(ヨ)せなけ
 れども、女院(ニヨウヰン)の御所など借り申す、故実(コシツ)なりとぞ。
 
 ※
 大臣の任命式は、ふさわしい場所を借りて行われるのが、習わしとなっている。宇治
 左大臣殿は、東三条殿で行った。内裏として使われていたので、お願いして、他へ御
 移りいただいた。縁もゆかりもない、女院の御所などをお借りするのが、決まりとな
 っている。
 
 ※
 「ご隠居はん、兼好さんの時代より200年ほど前の話ですけど、時代背景が似てま
 すね。」
 「時代の潮目が変わる時だからね。」
 「人物を入れ替えてみることができるのでしょうか。」
 「さぁどうだろう。ただ、有職故実をいいことに、ある人を追い出すことはできたか
 もしれないね。」
 「まぁそう考えるとなんだか楽しいなぁ。」
 「・・・。」
 
 宇治左大臣:藤原頼長(1120-1156)のこと。左大臣に成ったのが1149年。
 東三条殿 :代々の藤氏長者が所有する邸宅で、度々皇居となったり、摂関家や皇室
       の重要行事の会場として使用されている。1150年に父忠実が兄忠通より
       取り上げ、1156年まで頼長のものとなっている。1166年焼失。以後再建
       されず。
 
 ということは、兼好さんの取り上げた例はちょっとおかしくないかな。
2009/06/13(Sat)

第百五十五段 世に従はん人は
 世に従(シタガ)はん人は、先(マ)づ、機嫌(キゲン)を知るべし。序悪(ツイデ
 ア)しき事は、人の耳にも逆(サカ)ひ、心にも違(タガ)ひて、その事成らず。さ
 やうの折節(ヲリフシ)を心得(ココロウ)べきなり。但(タダ)し、病(ヤマヒ)
 を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事なし。生(シヤ
 ウ)・住(ヂユウ)・異(イ)・滅(メツ)の移り変る、実(マコト)の大事は、猛
 (タケ)き河(カハ)の漲(ミナギリ)り流るゝが如し。暫(シバ)しも滞(トドコ
 ホ)らず、直(タダ)ちに行ひゆくものなり。されば、真俗(シンゾク)につけて、
 必ず果(ハタ)し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、
 足を踏み止(トド)むまじきなり。
 
 春暮れて後(ノチ)、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気
 (キ)を催(モヨホ)し、夏より既に秋は通(カヨ)ひ、秋は即(スナハ)ち寒くな
 り、十月は小春(コハル)の天気(テンキ)、草も青くなり、梅も蕾(ツボ)みぬ。
 木(コ)の葉(ハ)の落つるも、先(マ)づ落ちて芽(メ)ぐむにはあらず、下(シ
 タ)より萌(キザ)しつはるに堪(タ)へずして落つるなり。迎(ムカ)ふる気
 (キ)、下に設けたる故に、待ちとる序甚(ハナハ)だ速し。生・老(ラウ)・病
 (ビヤウ)・死(シ)の移り来(キタ)る事、また、これに過ぎたり。四季は、な
 ほ、定(サダ)まれる序あり。死期(シゴ)は序(ツイデ)を待たず。死は、前より
 しも来(キタ)らず。かねて後(ウシロ)に迫れり。人皆死(シ)ある事を知りて、
 待つことしかも急(キフ)ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥(ヒカタハル)
 かなれども、磯(イソ)より潮(シホ)の満つるが如し。
 
 ※
 世の中を渡って行こうと思うならば、まず、タイミングというものを知るべきだね。
 タイミングが悪ければ、聞いただけで嫌になり、理解もされず、その事はうまくゆか
 なくなる。そこのところが大事なのだと心得ておくべきだ。だけど、病気になった
 り、出産したり、死んだりする事は、タイミングに関係なく、お構いなしにやってく
 る。生まれ・生き・老いて・死んでゆく、人生というものは、荒れた河が勢いよく流
 れるようなものだ。一瞬も留まらず、あっという間に流れゆく。だからこそ、立場に
 かかわらず、必ずやらねばならないことは、タイミングにとらわれてはならない。つ
 まらないことを心配して、踏みとどまったりしてはならないのだよ。
 
 春が過ぎ、夏になり、夏が終わって、秋が来るのではない。春は徐々に夏らしくな
 り、夏になると秋の気配がし、秋には寒さを感じ、十二月には小春日和もあり、草も
 青くなり、梅のつぼみも現れる。木の葉が落ちるのも、落ちてから芽吹くのではな
 く、下からの萌しに押されて落ちるのだ。やがて来る変化は、すでに準備ができてい
 るので、待ち受ける結果は一瞬に起こる。生・老・病・死の移り変わりは、また、こ
 れより早い。季節の移り変わりには、決まった順序がある。死には順番はないから
 ね。死は、前より来るわけではない。いつも後ろに迫っている。人は皆死ぬことを知
 っていて、それはずっと先のことなのに、思わぬ時にやって来る。遠く沖まで干潟で
 あっても、足元から潮が満ち始めるのに似ているね。
 
 ※
 「ご隠居はん、久しぶりにいつもの兼好さんが戻ってきました。話はわかるのですけ
 ど、死ぬぞ、死ぬぞ、はよせぇよ。と急かされてもですねぇ。」
 「そうだよね。突然命を奪われた事件、事故のニュースを見るとやり残したことが沢
 山あるだろうにと思うよね。」
 「いくら急いでも、やり切ることなんてできないと思いますよ。余命がわかってもそ
 れは同じじゃないでしょうか。」
2009/06/06(Sat)

第百五十四段 この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに
 この人、東寺(トウジ)の門に雨宿(アマヤド)りせられたりけるに、かたは者ども
 の集(アツマ)りゐたるが、手も足も捩(ネ)ぢ歪(ユガ)み、うち反(カヘ)り
 て、いづくも不具(フグ)に異様(コトヤウ)なるを見て、とりどりに類(タグヒ)
 なき曲物(クセモノ)なり、尤(モツト)も愛するに足(タ)れりと思ひて、目守
 (マモ)り給ひけるほどに、やがてその興尽(キヨウツ)きて、見にくゝ、いぶせく
 覚(オボ)えければ、たゞ素直(スナホ)に珍(メヅ)らしからぬ物には如(シ)か
 ずと思ひて、帰りて後(ノチ)、この間、植木を好みて、異様(コトヤウ)に曲折
 (キヨクセツ)あるを求めて、目を喜(ヨロコ)ばしめつるは、かのかたはを愛する
 なりけりと、興(キヨウ)なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨てら
 れにけり。
 
 さもありぬべき事なり。
 
 ※
 資朝卿が、東寺の門で雨宿りをしているとき、障害者たちが集まっているのを、手も
 足もねじれゆがみ、そりかえり、誰もかれも障害の様子が違っていて、さまざまでも
 の珍しく、そこのところが愛でるに足りると思って、眺めていたところ、まもなく面
 白みが消え、醜く、目障りにさえ思えてきて、ごく普通でもの珍しくないものには及
 ばないと思うようになり、帰った後、今まで、植木の中から好んで、あれこれと曲の
 あるのを探して、観賞していたのは、あの障害者たちを愛でていたのと同じだったの
 だと、気を落としながら、鉢に植えられている木々を、みな引き抜いて捨ててしまっ
 た。
 
 あり得る話だな。
 
 ※
 「ご隠居はん、まぁそんな風に考えなくても、と思うのです。ちょっと思い込みが激
 しくないですか。兼好さんもちょっと呆れ気味に感じますが。」
 「・・・・。」
 ご隠居はんは終始無言だった。
 
 東寺:京都にある東寺真言宗の総本山教王護国寺のこと。
2009/05/30(Sat)

第百五十三段 為兼大納言入道
 為兼大納言入道(タメカネノダイナゴンニフダウ)、召し捕(ト)られて、武士ども
 うち囲(カコ)みて、六波羅(ロクハラ)へ率(ヰ)て行(ユ)きければ、資朝卿
 (スケトモノキヤウ)、一条わたりにてこれを見て、「あな羨(ウラヤ)まし。世に
 あらん思い出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。
 
 ※
 為兼大納言入道が、召し捕らえられ、武士たちが取り囲んで、六波羅へ引連れていっ
 たところ、資朝卿、一条わたりでこれを見て、「なんと羨ましいことか。この世に生
 まれたからには、こうでなくてはならないな。」と言い放った。
 
 ※
 「ご隠居はん、今回も日野資朝の話です。この人の性格が少しずつわかってきまし
 た。勤皇、幕府嫌いを隠せない。」
 「次の段をちらっと見たけれど、どうもそれだけではなさそうだよ。」
 
 為兼大納言入道:京極為兼(1254-1332)
         前段の西園寺内大臣の祖父(実兼)に仕える。持明院統。
         実兼は元は持明院統で、為兼との対立から大覚寺統となってゆきま
         す。資朝が大覚寺統と言うことなのでこの段からも両統迭立問題よ
         りも幕府との関わり方に対する批評と言えるかと思います。
2009/05/24(Sun)

第百五十二段 西大寺静然上人
 西大寺静然上人(サイダイジノジャウネン)、腰屈(カガ)まり、眉(マユ)白く、
 まことに徳たけたる有様(アリサマ)にて、内裏(ダイリ)へ参られたりけるを、西
 園寺内大臣殿(サイヲンジノナイダイジンドノ)、「あな尊(タフト)の気色(ケシ
 キ)や」とて、信仰(シンガウ)の気色(キシヨク)ありければ、資朝卿(スケトモ
 ノキヤウ)、これを見て、「年の寄(ヨ)りたるに候(サウラ)ふ」と申されけり。
 
 後日(ゴニチ)に、尨犬(ムクイヌ)のあさましく老(オ)いさらぼひて、毛(ケ)
 剥(ハ)げたるを曳(ヒ)かせて、「この気色(ケシキ)尊(タフト)く見えて候
 ふ」とて、内府(ダイフ)へ参らせられたりけるとぞ。
 
 ※
 西大寺の静然上人が、腰が曲がり、眉が白く、徳が溢れるかのようなお姿で、内裏へ
 やって来られたのを、西園寺内大臣殿が、「あぁなんと尊いお姿か」と、心酔してい
 る表情だったので、資朝卿、その様子を見て、「ただ年を取っているだけではない
 か」と言った。
 
 数日後、むく毛の犬のやたらに年がいってよれよれで、毛が禿げているのを曳かせ
 て、「この様子が尊く見えるのだろ」といって、内府の元へ連れて行かせたそうだ。
 
 ※
 「御隠居はん、なんと嫌味な人でしょうか。」
 「二人には何か確執があったのだろうね。」
 「いやぁそれにしてもあからさまですね。いくら中納言でも内大臣に向かってこの言
 いようは。」
 「後に島流しにされて、斬られるような人だからね。ただ言い方はともかく、見た目
 で判断するなって言いたいのかもしれないよ。」
 「公卿は血なんだよ!ってことですか?」
 「いや、そこは普通実力と考えないかい。」
 
 西大寺   :奈良県にある真言律宗の総本山。幕府との繋がりが強い。
        鎌倉の極楽寺も真言律宗。
 
 西園寺内大臣:西園寺実衡(1290-1326)
        第八十三段の竹林院入道左大臣西園寺公衡の子。
        祖父は大覚寺統、父は持明院統、子は持明院統。
        本人はどうだったのだろう。
        代々関東申次の家であるので両統迭立問題よりも幕府との繋がりを嫌
        われたのかも。
        第八十三段はこちら
        http://bbs.mail-box.ne.jp/ture/index.php?page=9#84
 
 資朝卿   :日野資朝(1290-1332)
        内大臣とは同い年だが、二人の関係はよくわからない。
        後醍醐天皇の側近なのだから大覚寺統なのでしょう。
        兄と弟は持明院統。
        詳しくはウィキペディアで。画像がもろにこの段です。
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E8%B3%87%E6%9C%9D
 
 むく毛の犬 :毛の長い犬のこと。
 内府    :内大臣のこと。
2009/05/16(Sat)

第百五十一段 或人の云はく
 或人(アルヒト)の云はく、年五十(ゴジフ)になるまで上手に至らざらん芸(ゲ
 イ)をば捨つべきなり。励(ハゲ)み習ふべき行末(ユクスヱ)もなし。老人(ラウ
 ジン)の事をば、人もえ笑はず。衆(シュ)に交りたるも、あいなく、見ぐるし。大
 方(オホカタ)、万(ヨロヅ)のしわざは止(ヤ)めて、暇(イトマ)あるこそ、め
 やすく、あらまほしけれ。世俗の事に携(タヅサ)はりて生涯を暮(クラ)すは、下
 愚(カグ)の人なり。ゆかしく覚(オボ)えん事は、学び訊(キ)くとも、その趣
 (オモムキ)を知りなば、おぼつかなからずして止(ヤ)むべし。もとより、望むこ
 となくして止まんは、第一の事なり。
 
 ※
 ある人が言うには、五十路になるまでに上達しなかった芸はやめた方が良いそうだ。
 一生懸命練習したところで結果は見えている。老人のすることだから、誰も笑えな
 い。大勢に交わるのも、相応しくなく、みっともない。ほとんどの、社交的な事はや
 めて、ゆとりを持つことこそ、周りから見ると、理想的なんだけどね。世俗の事に関
 わって一生過ごすなんて、愚か者だよ。知りたいことがあったら、人に聞き教わり、
 その概要がわかったら、その程度で止めておくこと。それよりも、知りたいと思わな
 い方が、良いに決まっているけれどね。
 
 ※
 「ご隠居はん、これは50を過ぎたら何もするなってことではないのですよ。」
 「ほう。」
 「50までにあらゆることに精通して、教養を備えておきなさいってことですよ。」
 「ふんふん、いいねぇ。」
 「だから、見慣れぬ物事があっても人から少し話を聞くと、あぁこういうことか、と
 すぐ理解できる。」
 「なるほど、それで。」
 「ただ、それは昔はそうであって、今のように物事が目まぐるしく変わる世の中だと
 無理ですよ。だからパソコンのことが分からなくってもいいのですよ。ご隠居は
 ん。」
 「ぎくっ。。。いつもより口が滑らかだと思ったら、そんなオチかね。」
2009/05/10(Sun)

第百五十段 能をつかんとする人
 能(ノウ)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。う
 ちうちよく習ひ得(エ)て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめ
 れど、かく言ふ人、一芸(イチゲイ)も習ひ得(ウ)ることなし。
 
 未(イマ)だ堅固(ケンゴ)かたほなるより、上手(ジヤウズ)の中に交りて、毀
 (ソシ)り笑はるゝにも恥(ハ)ぢず、つれなく過ぎて嗜(タシナ)む人、天性(テ
 ンゼイ)、その骨(コツ)なけれども、道(ミチ)になづまず、濫(ミダ)りにせず
 して、年を送れば、堪能(カンノウ)の嗜まざるよりは、終(ツヒ)に上手の位(ク
 ラヰ)に至り、徳たけ、人に許されて、双(ナラビ)なき名を得(ウ)る事なり。
 
 天下(テンカ)のものの上手といへども、始めは、不堪(フカン)の聞(キコ)えも
 あり、無下(ムゲ)の瑕瑾(カキン)もありき。されども、その人、道の掟正(オキ
 テタダ)しく、これを重くして、放埒(ハウラツ)せざれば、世の博士(ハカセ)に
 て、万人(バンニン)の師となる事、諸道変(シヨダウカハ)るべからず。
 
 ※
 才能を身に付けようとするなら、「上手くできない間は、なまじっか人に知られる
 な。人知れず練習し上達してから、お披露目する方が、格好いいぞ」とよく言われる
 が、そんな人は、一芸も身につけられない。
 
 まだ初心者の状態から、上手な人々に交じって、そしり笑われてもくさらず、平気な
 顔して努力できる人は、生まれつき、筋が悪くても、漫然とせず、でたらめにせず、
 長年続けていれば、要領はいいが努力しない人より、最後は上手くなって、品格がつ
 き、人から認められ、第一人者と称せられるようになる。
 
 天才的な才能の持ち主と言っても、始めは、下手糞と言われたり、ひどく侮辱された
 りもした。それでも、そういう人が、教えに従って、これを守り、怠けずに続けるこ
 とで、大家となり、指導者となるのは、あらゆる分野で変わりない。
 
 ※
 「ご隠居はん、日々漫然と暮らしている身としては耳が痛いですね。だから言うので
 はないですけれど、努力を続けられるのも天性の骨のような気もしますが。」
 「そう、努力し続けることも才能だからね。」
 「それと、こういう人は隠れたところでも努力できるのですよ。」
 「それもその通りだね。ただ、世の中にはその努力をむなしく感じさせる天才が居る
 ってことも付け加えておくよ。」
 「そうなんですよね。うさぎの足をもった亀が居るのですよね。」
2009/05/05(Tue)

第百四十九段 鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず
 鹿茸(ロクジヨウ)を鼻に当てて嗅(カ)ぐべからず。小(チヒ)さき虫ありて、鼻
 より入(イ)りて、脳を食(ハ)むと言へり。
 
 ※
 鹿茸を鼻に当てて嗅いではいけない。小さな虫が居て、鼻から入って、脳を食うと言
 われている。
 
 ※
 「ご隠居はん、怖すぎます。」
 「動物由来だからノミやダニは居るかもしれないね。」
 「強壮剤を鼻から吸うと、覚醒剤のような作用があるとかでしょうか。」
 「そんな話聞いたことないよ。」
 
 鹿茸:鹿の幼角で漢方薬の原料として使われている。滋養強壮の効果があるそうで
    す。
2009/04/25(Sat)

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