週刊徒然草

〜 ご隠居はんとありおーの徒然草 〜

 

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第十段 家居のつきづきしく
 家居(イヘヰ)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるもの
 なれ。 
 
 よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見
 ゆるぞかし。今めかしく、きらゝかならねど、木立(コダチ)もの古( フ)りて、わざ
 とならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(スノコ)・透垣(スイガイ) のたよりをかし
 く、うちある調度(テウド)も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。 
 
 多くの工(タクミ)の、心を尽(ツク)してみがきたて、唐(カラ)の、大和(ヤマト)の、
 めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(センザイ)の草木まで心のままならず
 作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時
 の間(マ)の烟(ケブリ)ともなりなんとぞ、うち見るより思はるゝ。大方は、家居にこ
 そ、ことざまはおしはからるれ。 
 
 後徳大寺大臣(ゴトクダイジノオトド)の、寝殿(シンデン)に、鳶(トビ)ゐさせじとて
 縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この
 殿の御心(ミココロ)さばかりにこそ」とて、その後(ノチ)は参らざりけると聞き侍る
 に、綾小路宮(アヤノコウヂノミヤ)の、おはします小坂 (コサカ)殿の棟(ムネ)に、
 いつぞや縄を引かれたりしかば、かの例(タメシ)思ひ出でられ侍りしに、「まこと
 や、烏(カラス)の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧(ゴラン)じかなしませ給ひてな
 ん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故
 (ユヱ)か侍りけん。 
 
 ※
 家を建るとなると、あれこれ理想や夢を思い描いたりして、短い人生のひとときの生
 活空間だとわかっていても、興味が尽きないものだよ。
 
 素敵な人が、のどかに暮らしていると、差し込む月の光でさえとても絵になって見え
 る。今風のデザインでも、豪華な造りでもない、庭木も馴染み、草花も自然な感じで
 育っていて、濡れ縁、竹垣の造りにも趣がある。室内を見渡せば家具類も長い間大切
 に使われている。とても上品ですばらしい。
 
 匠達が、心を込めて造った、国内外の珍しい、高価な調度品を並べたり、庭さきの草
 花まで手入れしているさまは、見苦しく、がっかりさせられる。そんな所に長く住む
 事ができるのだろうか。わずかな間で煙となって消えてしまうと思うのだけれどね。
 こんな風にほとんどの場合、家を見れば、そこに住まう人の人となりが推し量れる
 よ。
 
 後徳大寺大臣(藤原實定)の、寝殿に、鳶を止まらせないようにか縄を張らせている
 のを、西行が見て、「鳶の居ることが、何ぜ困るのだろう。この殿の心の狭いこ
 と。」と言って、その後は訪ねなくなったと聞いた、綾小路の宮(亀山帝の子、性惠
 法親王)の小坂殿の棟に、いつの間にか縄が引かれていたので、この話を思い出した
 のだけど、「これは、烏の群れが池の蛙を獲るのを見て、可哀相だと思いこうされて
 いるのだそうだ。」と人々が話しているのを聞き、あぁなるほどと思った。徳大寺に
 も何か事情があったに違いない。
 
 ※
 「ご隠居はん、私もこんな風に思うことはありますよ。」
 「ほう、例えばどんなときかな。」
 「この季節になると、家の外壁にクリスマスのデコレーションをするというのがあり
 ますよね。あれは私には理解できませんね。なんのアピールなんでしょう?」
 「あはは、そんな意地悪な言い方をしなくても。徳大寺にもなにか事情があるんだ
 よ。」
 「あ、いいフレーズですねぇ。『徳大寺にもなにか事情がある。』使えますねぇ。」
 「何に使うんやら。」
 「ところで、読んでいると西行のほうも心が狭いですねぇ。そんな事で嫌うなん
 て。」
 「ん...もしかすると、別の理由で藤原實定邸へ行きたくなかったのかも知れない
 よ。」
 「えっ!真実はどこに。」
2005/12/17(Sat)

第九段 女は、髪のめでたからんこそ
 女は、髪のめでたからんこそ、人の目立(メタ)つべかンめれ、人のほど・心ばへなど
 は、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。 
 
 ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝ヰ
 もねず、身を惜(ヲ)しとも思ひたらず、堪(タ)ふべくもあらぬわざにもよく堪へしの
 ぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。 
 
 まことに、愛著(アイヂヤク)の道、その根深く、源(ミナモト)遠し。六塵(ロクヂン)
 の楽欲(ゲウヨク)多しといへども、みな厭離(オンリ)しつべし。その中に、たゞ、か
 の惑ひのひとつ止(ヤ)めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智(チ)あるも、愚かな
 るも、変る所なしと見ゆる。 
 
 されば、女の髪すぢを縒(ヨ)れる綱には、大象(ダイザウ)もよく繋(ツナ)がれ、女の
 はける足駄(アシダ)にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒
 (イマシ)めて、恐るべく、慎むべきは、この惑(マド)ひなり。 
 
 ※
 女は、髪が美しいというだけで、男の目を釘付けにしてしまう、気立てや人柄の良さ
 というのは、話し声から伝わる雰囲気だけで、姿を見なくてもわかるものだ。
 
 普段から、ちょっとした仕草で人の心を惑わせたり、だらしない寝顔を見せないよう
 に気を使い、自分のことよりも相手のことを思いやる、堪えられそうにないことにも
 けなげに堪えようとするその姿を見ると、これはもう、色欲を刺激されずにはいられ
 ない。
 
 ほんと、絶とうとしても絶ち切れないこの思い、その根は深く、何故そんな気持ちに
 なるのかさえよくわからない。六感を刺激するものは沢山あるけれど、みな絶つ事が
 できる。その中で、ただ、この思いひとつのみ絶つ事ができないのは、老いたるも、
 若きも、教養のある人も、おばかさんでも、みんな一緒なんだな。
 
 だから、女性の髪でよられた綱には、大きな象も繋がれるし、女性の履いた高下駄で
 作った笛の音には、盛りのついた雄鹿が集まってくるという言い伝えがある。自らを
 戒めて、恐れ、慎むべきは、この惑いだな。
 
 ※
 「ご隠居はん。第八段に続いての話題ですねぇ。」
 「そうだね。女性の美しさの象徴といえば髪の毛なんだね。話し声から明るく可愛ら
 しいというのもわかるよって。」
 「物越しって言うのは、今で言えば電話とかブラウン管越しってことでしょうか。」
 「なんだか嫌な予感がするね。君また暴走するのではないだろうね。」
 「暴走って。。。徒然草をより理解しやすくするための例えですよ。もう少し解説し
 てください。」
 「大きな象というのは権力者のことで、盛りのついた雄鹿というのはお金持ちのこと
 かな。」
 「あ〜なるほど、美人をあてがわれて篭絡される政治家と女子アナに群がるIT長者
 の図、みたいなものですか。」
 「君の例えはいつも下世話だねぇ。」(苦笑)
2005/12/04(Sun)

第八段 世の人の心惑はす事
 世の人の心惑はす事、色欲(シキヨク)には如(シ)かず。人の心は愚かなるものか
 な。 
 
 匂(ニホ)ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳(イシヤウ)に薫物(タキモノ) すと
 知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米(クメ)の仙人
 の、物洗ふ女の脛(ハギ)の白きを見て、通(ツウ)を失ひけんは、まことに、手足・は
 だへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんか
 し。 
 
 ※
 人の心を惑わすことといえば、色欲に及ぶものは無い。人の心というものは愚かなも
 のだよ。
 
 匂いなんて借りもので、しばらく衣装に焚き染められたものと知りながら、たまらな
 くいい匂いだと、必ず心がときめいてしてしまうんだよな。久米の仙人の、洗濯して
 いる女の子の白い生足を見て、神通力を失ったって話は、手足の肌の美しさや、ふっ
 くらした感じ、ほどよい曲線、さらに色白とくれば、なるほど納得できるよなぁ。
 
 ※
 「足フェチってばれましたか、ご隠居はん。」
 「知らんがな。」
 「仙人ですらこうなんですから、仕方ないですよね。」
 「知らんがな!」
 「しかし、前半は人間の心理を上手く表現しているなぁと思っていたのですが、後半
 は自分の好みの話になっていて、これじゃぁただのエロジジイですよ。あぁなんだか
 親近感が沸きますねぇ。」
 「こらこら、そう読まずに。いいなぁと感じる物事には、匂いのように実体の無いも
 のと、白い足のように実体があるものとがある。構造改革なんかの政治の話とか、賛
 成にしろ反対にしろこういう視点で見てみることも必要ではないかな。」
2005/11/28(Mon)

第七段 あだし野の露消ゆる時なく
 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部(トリベ)山の煙(ケブリ)立ち去らでのみ住み果つる
 習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。 
 
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋
 (ハルアキ)を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ヒトトセ)を暮すほどだにも、こ
 よなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(チトセ)を過 (スグ)すとも、一夜
 (ヒトヨ)の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。
 命長ければ辱(ハヂ)多し。長くとも、四十(ヨソヂ) に足らぬほどにて死なんこそ、
 めやすかるべけれ。 
 
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べ
 の陽に子孫を愛して、さかゆく末(スヱ)を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪
 る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
 
 ※
 あだし野の露が消えることがなく、鳥部山の煙が消え去らないということなら、命の
 はかなさを感じることはできないだろうね。ものには終わりがあるからいいんだよ。
 
 命あるものを見ていると、人間ほど長生きなのは他に無いよね。夕方までしか生きら
 れないかげろうや、蝉の様に夏しか生きられないというのもあるからね。なんとなく
 一年を過ごすだけでも、ゆったりしていていいじゃない。来る日も来る日も命が惜し
 いと思えば、千年過ごしたって、一夜の夢のように感じることだろうよ。いずれ去ら
 ねばならないこの世の中に醜い姿をさらして、いったいどうするというんだい。命長
 ければ恥多し。長くても四十路に届かないぐらいで死ぬというのが、いいんじゃない
 かな。
 
 その年代を過ぎれば、姿の衰えを恥じる心も無くなり、どうやって人々の前へでしゃ
 ばろうかと考えたり、沈んでゆく夕日みたいなくせして子供や孫を可愛がり、孫の晴
 れ姿を見るまでは何とか長生きしたいと思う、そしてただひたすら社会的なものに執
 着し、ものの美しさを感じるゆとりもなくなる。こうなるとほんと醜いよね。
 
 ※
 「ご隠居はん、私、もうすぐ40なんですが..。そろそろ死なないといけませんね。」
 「まぁ年齢については昔の話ってことで。(そんなこと言ったら私はとっくに死んで
 いるはずですから)それに死ぬということだけではなく、出家や隠居という意味なん
 ですよ。嫌な言い方だけど社会的に死ぬわけですから。」
 「ふむ、なんとなく読んでいると、この人、何か嫌なことでも有ったのかなぁと。」
 「うん、嫌っているのだね。これは人の生き様の一般論に見えて、実は権力批判なん
 じゃないかな。」
2005/11/20(Sun)

第六段 わが身のやんごとなからんにも
 わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてあ
 りなん。 
 
 前中書王(サキノチユウシヨワウ)・九条大政大臣(クデウノオホキオトド)・花園(ハ
 ナゾノノ)左大臣、みな、族(ゾウ)絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣(ソメドノノオト
 ド)も、「子孫おはせぬぞよく侍(ハンベ)る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」
 とぞ、世継の翁(オキナ)の物語には言へる。聖徳太子の、御墓(ミハカ)をかねて築
 (ツ)かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と
 侍りけるとかや。 
 
 ※
 立派な身分のお方や、ましてや、そんな身分になれない者にも、子供なんて無いほう
 がいいだろうな。
 
 前中書王(中務卿兼明親王、醍醐帝の皇子)、九条大政大臣(藤原伊通、宗通の子、
 関白藤原道長の孫)、花園左大臣(源有仁、輔仁親王の子)などは家系が絶える事を
 望んでいた。染殿大臣(藤原良房、冬嗣の子)は「子孫は無いほうがいい。末代が劣
 っているのはよくない。」と言ったと大鏡にも書かれている。聖徳太子(用明帝の子、
 推古帝の皇太子)は自分の墓を作らせていたとき「ここを切れ。ここを断て。子孫は
 無きものと思うぞ。」と言ったとか。
 
 ※
 「ご隠居はん、複雑ですね。まず、皆さん錚々たる方のご子息なんですが、その人た
 ちが子供は要らないと言ってますね。末は劣ると。」
 「そうだね。」
 「これは子供の視点、若者の視点から見て、立身出世をしようと頑張る漢はカッコイ
 イ!!けど、子供や家族のために頑張っているお父さんはイケテナイってことでしょ
 うか。」
 「まぁそういう風に受取るのも面白くていいけれど、父となれば一族の後のことを考
 えると心配でもあるし、時として足かせと感じてしまったりするのだろうね。聖徳太
 子は自分の死後、一族が政敵によって滅ぼされるという予感を持っていたのだよ。い
 や、確信かな。そうして一族の未来に結論を出して事に臨んだんだね。」
 「なるほど。ところで第三段では子供ができるようなことを勧めていますが。」
 「まぁ理屈に行動が伴わないのが若者。あなたが言うように複雑なんだよ。」
 「行動が伴ったとき、若き兼好は妻も子も無い坊主になったわけですか。」
 「それはどうだろう。」
2005/11/13(Sun)

第五段 不幸に憂に沈める人の
 不幸(フカウ)に憂(ウレヘ)に沈める人の、頭(カシラ)おろしなどふつゝかに思ひとり
 たるにはあらで、あるかなきかに、門(カド)さしこめて、待つこともなく明(アカ)し
 暮したる、さるかたにあらまほし。 
 
 顕基(アキモト)中納言の言ひけん、配所(ハイショ)の月、罪なくて見ん事、さも覚え
 ぬべし。 
 
 ※
 不幸や辛さに落ち込んでいる人は、剃髪なんかにうっかり走るのではなくて、居るの
 か居ないのかわからないような感じで、家に閉じこもって、あても無く暮らしている
 という感じでいいのではないかな。
 
 源顕基の中納言が言う、「配所の月、無実で見る」って、こんな感じなんだろうね。
 
 ※
 「ご隠居はん、今で言えば夜逃げですか。」
 「いやいや、経済的な問題ではないのだから、ただの家出かな。自殺というのも少し
 含まれているかな。」
 「世の捨て方ですね。」
 「よく考えもせずに、家出や自殺って結論を出さずに、家に閉じこもって、ああでも
 ない、こうでもないと悩み続けたっていいだろって話。」
 「そういう時に見る月ってきれいで澄んでいて、どこと無く寂しげなのですよね。」
2005/11/06(Sun)

第四段 後の世の事
 後の世(ヨ)の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。
 
 ※
 後の世のことを思って、仏の道に親しむというのは、いいことだ。
 
 ※
 「ご隠居はん、短いので簡単かと思ったのですが、これで、これだけでよいのでしょ
 うか?」
 「例えば、こういう風にも受取れるのではないかな。人というのはどうしても今を楽
 しく、自分さえ良ければいいと生きてしまいそうになる。けれど、少し過去を振り返
 ってみると、今の自分たちの社会があるのは、過去の人々の努力の積み重ね、その結
 果だとわかるはずだ。であるから当然自分たちの生き方が後の世に繋がっているの
 だ、自らを律して生きなさいと。」
2005/10/30(Sun)

第三段 よろづにいみじくとも
 万(ヨロヅ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(サカ
 ヅキ)の当(ソコ)なき心地ぞすべき。 
 
 露霜(ツユシモ)にしほたれて、所定めずまどひ歩(アリ)き、親の諫(イサ)め、
 世の謗(ソシ)りをつゝむに心の暇(イトマ)なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さる
 は、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。 
 
 さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あら
 まほしかるべきわざなれ。 
 
 ※
 何事も要領よくこなせても、色を好まない男というのは、どこか掴み所が無く、例え
 ば立派な盃と思い、手に取ったら底が無かった、という感じかな。
 
 露霜に濡れながら、あちらこちらと歩き回り、親の諌めや、近所の評判など気にする
 余裕も無いくらい、今日はどの娘にしようかなと悩んでみたりして、ひとりでゆっく
 り眠る夜が無いというのがいいんだな。
 
 とはいっても、ひたすら遊び廻ってばかりいるのではなく、女の子から軽い奴と思わ
 れないようにするのが、腕の見せ所なのだけどね。
 
 ※
 「ご隠居はん、実際はなかなかそうはいかないものですけど。」
 「だからこそ文字にする意味があるのだよ。ありふれたことだと書いても面白くない
 だろ。」
 「こじつけて考えれば、まぁ何事もほどほどに、バランスが大事ってことですか。」
 「そういうこと。」(笑)
 「今の世の中、何時、誰が、何を言うのかわかりませんから、某政治家のように過去
 の女性関係であれこれ言われる場合もありますから。」
 「だからそこが”腕の見せ所”って兼好は言っているのだよ。うん、今日の話のいい
 失敗例かな。でも彼の場合、事の起こりが、立派な盃ではなかったのに手に取られた
 からなんだけどね。」
2005/10/16(Sun)

第二段 いにしへのひじりの御代
 いにしへのひじりの御代(ミヨ)の政(マツリゴト)をも忘れ、民の愁(ウレヘ)、国のそ
 こなはるゝをも知らず、万(ヨロヅ)にきよらを尽していみじと思ひ、所せきさました
 る人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。 
 
 「衣冠(イクワン)より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる
 事なかれ」とぞ、九条(クデウ)殿の遺誡(ユイカイ)にも侍(ハンベ)る。順徳院の、禁
 中(キンチュウ)の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉(タテマツ)り物は、おろ
 そかなるをもッてよしとす」とこそ侍れ。 
 
 ※
 いにしえより続く帝の政治方針を忘れ、民の憂い、国土の荒廃にも気づかず、何事に
 も贅をつくしては悦に入り、ふんぞり返っているような者をみると、何を考えている
 のかと情けなくなる。
 
 「衣冠より馬、車にいたるまで、そのまま使えばよい。豪華な装飾など求めてはなら
 ない。」と死んだ九条殿の訓戒にもある。順徳院の、宮中のことを書いた書物にも、
 「帝の使用するものは、質素なものほどよい。」とある。
 
 ※
 「ご隠居はん、権力批判、でましたね。命、危ないですよ。」(笑)
 「前段だけだったらそうだろうね、でも後段を見ると、九条殿って言うのは右大臣、
 順徳院というのは天皇のこと。国のトップ二人がこう言っているのだから、誰も逆ら
 えないよね。」
 「虎の威を借りたわけですか。」
 「いや、それは違う。”虎の威を借る”というのは、権力者の権勢をかさに着て偉そ
 うにすることだから、兼好のとは全然違うよ。むしろ逆で、兼好が批判した官僚、貴
 族こそが威を借りて好き放題にやっていたんだよ。」
 「なるほど。ところで、話の中身はなんとなく今の世の中に似ていますね。国民は不
 景気で所得も減って自殺者も増えている、国は借金が増える一方。なのに一部の者は
 既得権を使って贅沢をしている。税金、年金、保険料等を使っては豪華な施設を作っ
 て。」
 「そうだね。」
 「人間って、七百年近く前から精神的に成長していないのですね。」
2005/10/10(Mon)

第一段 いでやこの世に生まれては
 いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多(オホ)かンめれ。 
 
 御門(ミカド)の御位(オホンクラヰ)は、いともかしこし。竹の園生(ソノフ) の、末
 葉(スヱバ)まで人間の種(タネ)ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様はさらな
 り、たゞ人(ビト)も、舎人(トネリ)など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・うま
 ごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下( シモ)つかたは、ほどに
 つけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちを
 し。 
 
 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるゝよ」と
 清少納言(セイセウナゴン)が書けるも、げにさることぞかし。勢(イキホヒ)まうに、
 のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖(ソウガヒジリ)の言ひけんやう
 に、名聞(ミョウモン)ぐるしく、仏の御教(ミオシヘ)にたがふらんとぞ覚ゆる。ひた
 ふるの世捨人(ヨステビト)は、なかなかあらまほしきかたもありなん。 
 
 人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひた
 る、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(ムカ)はまほしけ
 れ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。し
 な・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざら
 ん。かたち・心ざまよき人も、才(ザエ)なく成りぬれば、品(シナ)下り、顔憎さげな
 る人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。 
 
 ありたき事は、まことしき文(フミ)の道、作文(サクモン)・和歌(ワカ)・管絃(クワ
 ンゲン)の道。また、有職(イウショク)に公事(クジ)の方、人の鏡ならんこそいみじ
 かるべけれ。手など拙(ツタナ)からず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましう
 するものから、下戸(ゲコ)ならぬこそ、男(ヲノコ)はよけれ。 
 
 ※
 さて、この世に生をうけた以上、こうなりたいと願うことは色々あってもかまわない
 はずだ。
 
 帝の位は、とても畏れ多いな。竹の園生の末葉まで常人の血統ではないのだから、語
 るまでもない。一の人の貫禄もそうだし、貴族の中でも舎人を賜るような人は立派で
 品よく見える。その子や孫の世代までは、没落しても品のよさは変わらないだろう。
 それより下の身分の者は、家柄なりなのに、時流に乗って出世しただけで得意顔にな
 り、偉くなったもんだと思っているようだけれど、勘違いしているよな。
 
 坊主ほどなりたくないものはない。「他人からは、木の端切れみたいだと思われてい
 るのよ」と清少納言が書いているのも、その通りだと思うよ。大物になって世間から
 持て囃されても、立派だとは思えない。増賀上人が言ってたことみたいに、名声は毒
 で、御仏の教えに背いていると思うな。全くの世捨て人のなかには、なかなか立派な
 方もいるのだけれどね。
 
 人は、容姿や振舞が美しいのがなにより、そして話し方、耳に心地よく、面白い、そ
 れでいてしゃべり過ぎない、そういう人とはずっと向き合っていたいと思うよ。立派
 だと思っていた人に、幻滅するような本性を見せられることは、とても残念なことだ。
 家柄や容姿は生まれつきだから仕方ないとしても、志というのは、よい人からよりよ
 い人へは変わろうと思えば変わっていくことができるのではないかな。容姿も志もよ
 い人が、処世に欠けているばかりに、育ちの悪さ、品のなさが顔に出たような人の中
 に混ざると、なかなか出世できないというのは、残念なのだけれどね。
 
 身につけたいものは、質の高い学識教養、漢詩、和歌、音楽などを嗜む心。それに、
 朝廷の典礼や政事儀式に通じ、人の手本になれるというのがいいかな。字も下手では
 なくすらすらと書けて、歌も上手く場を盛り上げて、酒を勧められれば遠慮がちであ
 りながらけっして下戸ではないというのが男としては理想的かな。
 
 ※
 「ご隠居はん、これはなんですか?どんな人になりたいか、小学生の将来なりたい職
 業みたいな話しかと思ったら、愚痴ですか?」
 「はっはっはっ、その通り、若き兼好の愚痴。まずは用語解説から。”竹の園生”と
 いうのは、帝の宮殿には竹が植えてあたことに由来する言葉で、”末葉”はそこでお
 生まれになる子々孫々を表しているのだよ。”一の人”は摂政関白。”舎人”は身辺
 警護の者ってこと。」
 「なるほど」
 「で、天皇はその末裔にいたるまで尊い、摂政関白も、身辺警護員をつけてもらって
 いる上級貴族もたいしたものだけど、それ以外の貴族は羽振りが良くったってろくで
 もないと言っているんですな。」
 「負け惜しみのような。。。」
 「次になりたくないものの代表、清少納言の言葉を借りて『坊主なんて頼りなくって
 ものの役にもたたないわ』」
 「清少納言って毒舌。。。」
 「いい袈裟着て人々から崇められるなんて仏の教えに背いているよ、と坊主批判」
 「自分も坊主なのに。。。」
 「じゃぁどういう人間ならいいかということをあれこれ言っているのだけれど。」
 「育ちの悪さ品のなさが顔に出たような人ってドラマに出てくる典型的な悪役のイメ
 ージじゃないですか。」(笑)
 「いつの時代もおんなじってことやねぇ。」
 「で、身につけたいことって言うことですけど...これってただの自慢では?」
 「そうかもね。」
 「はぁ。。。」
2005/10/06(Thu)

序段 つれづれなるままに
 つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事
 (ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 
 
 ※
 退屈なので、一日中、スズリに向かって、らちもない事を、とりとめもなく書き付け
 れば、妙に変な気持ちになる。
 
 ※
 「さて、ご隠居はん。今日から徒然草を読んでいくわけですけども、なんとも読み難
 い文章ですね。同じ国の言葉とは思えないぐらい違いますけれど、他国もこんなもの
 なのでしょうか?」
 「他国はどうなのかは知らないけれど、多かれ少なかれあるのではないかな。」
 「今なら日記に書くか、私たちのように雑談で喋るようなことにも思いますけれど、
 彼には話し相手になる友達が居なかったのでしょうか?」(笑)
 「いや、これを読んでいけばそのうちわかると思うけど、当時では言葉にすると命を
 失うようなことも書かれてあるらしいから。」
 「えぇっ?ということは裏情報とか?」
 「権力者批判みたいなものだよ。今なら言論の自由があるけれど、当時はそうでもな
 いんだよ。」
 「それがメインなのですか?」
 「テーマは”無常観”。何を書き、何を書かないか、読み進めていくうちにわかる
 よ。」
 
 こんな感じで進めてゆきたいと思います。
 原文は http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~eguchi/pdd/turedure.html より。
 訳文はありおーが適当に(^^;
 ですから歴史的、学問的に正しくないところも多々ありますので、その辺りは。。。
 
 では、スタートです。
2005/10/02(Sun)

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